あの人のせいだとおもうんです(1)

「とりあえずしゃがんで!」


 ひとしきり伸びていく背丈を見上げながら、慌てて叫ぶ。アリスはおろおろしながらしゃがみ込んだ――というよりは、その場にへたり込んだ。どしん、と音がする。


「ふえ、ええ……ん」

「泣くな、えらいことになるから! 立たないでね、オンステから見えるから!」

「ええいっ、面妖な! 首をはねろ!」

「ははっ、女王のご命令ならば!」

「やめなさい!」

「やっば。非現実がリアルだ」

「花ちゃん日本語壊滅してるからね!?」


 呆然とする花ちゃんにつっこみつつ、わたし自身脳みそがパーンってなりそうだ。なにこれ、なんでこんなことに!?


「おやおやおや。食べて欲しいと願う食べ物は素敵な魔法をもたらせたもので」

「お前の仕業か帽子屋ー!」


 そういえばお茶会してましたね!? そんでもってアリスの世界ってありましたよね、そういうアイテム!?

 わたしを食べて、とか書いてあって食べると異常にでかくなるやつありましたね!?

 そんなものをお茶会のお菓子に出さないでいただきたい心から。


「どうしよう、どうしよう、まだ大きくなっちゃうわ!」

「寝そべれ!」


 鍵を押し付けてこの子をドツきでもすれば一時的にあちらの世界には行って頂けるだろうけれど、さすがにこんな泣いてる上にパニクってる幼女をそれで放り出しておしまい、は気が引ける。

 考えろ考えろ考えろ。イレギュラーはいつものことだ。何かしら、この事態を切り抜ける術はある。絶対に!

 アリスは、こちらの人間。いままでとは条件が違う。この事態を突破する『鍵』になり得るものは――?


「……『彼』だ」

「平澤?」


 思わず漏れた呟きをマキちゃんが拾う。そうだ。マキちゃんは知らない。白雪姫のとき、最後にちらりと見かけた気がする『彼』のことは、深追いしたくなくて見なかったふりをしたから。マキちゃんにだって言っていないから。

 でも、この事態をなんとかすることが出来るとすれば、今度こそ本当にあの『彼』に話をするしかない、気がする。

 でもどうやって――

 と、思考を巡らせながら顔を上げて。


 それが、目に入った。


 ――バックステージからオンステージに入るところの衝立には、必ずあるものが設置されている。

 オンステージに出るための身なりをチェックするためのもの。

 全身鏡。


「……」

「ちょっと、平澤?」


 マキちゃんを無視して、アリスを見る。不思議の国の女の子。でも、彼女――『鏡の国の』女の子でもある。

 今のこの状況。『あちら』の世界の住人も普通にこちらにいる状態。

 鍵にさえ触れていれば、あちらの住人もこちらにこれる、ということ。

 そして、あの時『魔法の鏡』に、『彼』は現れたのだ。


 ――いちか、ばちか。

 ええい、やるっきゃない!

 わたしはでっかいアリスの指を握って、反対の手で鍵を握りしめたまま全身鏡をたんっ! と軽く叩いた。

 叫ぶ。


「かっ……鏡よ鏡よ鏡さんっ!」


 ……。一瞬で、永遠にも感じる居たたまれない間があった。

 冷ややかすぎる花ちゃんの視線に泣きたくなりかけたとき――それは、現れた。


『お呼びですかな。救世主どの』


 ――白雪姫の、魔法の鏡。



「ぎでぐれだぁああ」

『ご無沙汰しております。よくお気づきになられましたな、こちらでも私が呼べるということに』

「賭けだったけどね!」


 あの時、鏡ならば本質が同じだからどんな鏡でもこいつは現れられる、ということが分かっていた。そして、鍵に触れていれば、衝撃であちらの住人もこちらに来ることが出来る、というのが今回分かった。そして何の因果か、今回の問題の女の子は『鏡の国の』女の子でもある。


 ここまで条件が整っていれば、可能性はあるとおもったのだ。


 鏡をぶっ叩いて衝撃を加えつつ、鍵を触れさせて呼びかければ、来てくれるんじゃないかな、って。よかったー! これで来てくれていなかったらわたしはただの頭のおかしい人だった。


 ちら、と後ろを振り返る。まだわーぎゃー喚いている女王とトランプ兵とウサギ。地面に這いつくばってぽかんとこちらを見つめるアリスと、その後ろでぽかんと口を開けているマキちゃんと花ちゃんの姿。


 まぁうん、どっちにしろビックリはするだろうな。


「――鏡っ、わたし『彼』に会いたいんだけどっ」

『ほぅ。『彼』ですか』

「そらっとぼけないでね。あんたの中で、わたし見たんだから」


 その言葉に、鏡はチカチカッと軽く瞬いた。そしてぼんやりとした影とともにチェシャ猫にもよく似た口だけが現れた。にやりと、笑った口だ。


『さすが、と申しましょう。しかし『彼』は私たちが呼び掛けたところで気が向かなければ出て来てはくださりませんからな』

「こっちから行けない?」

『――私を通せば、あるいは可能でしょうが』


 やっぱりね。そこは想定済みだった。ちいさく頷く。


「分かってる。で、モノは相談。この子、アリスなんだけど分かるよね」

『ええ、まぁ』

「で、だ。――わたしも『ありす』なんだけど、媒介にはなり得ない?」


 再び、鏡がチカチカっと瞬いた。笑うように。

 媒介――シンデレラのときも、白雪姫のときも、あちらの世界の住人が口にしていた言葉だ。フェアリー・ゴッドマザーは、『鍵』があちらとこちらを結ぶ媒介だといった。鏡は、本質が同じ鏡ならば媒介になり得る、と言った。それはつまり、あちらとこちらを繋ぐものであって、同じもの、であれば媒介になり得るのではないのか? ということ。

 だって、アリスはこちら側の人間で、でも、あちらの人間でもあるということだ。

 そしてわたしはそのアリスと、何の因果か同じ名前だ。


『あるいは、可能かもしれませんな』


 ――よしっ! やってみるしかない!


 頷いたとき、また別の声が割り込んできた。オンステから駆け込んできたのは、剛くんだ。


「ヒラさ――って、なんっすかこれ!?」

「ごめん剛くん、いろいろありすぎて! てか来れたの!?」

「休憩はいったんで。あ、カゴさん。無事だったんっすね」

「うぃっす。脳が無事なのか自信ないけど」

「あー、それは俺もっす」

 安心して、わたしもだ。

「って、ありすちゃん! アナタ何するつもり!?」

「すみませんマキちゃん、こっち頼みます! 剛くん、花ちゃんも、よろしくね!」

「ありすちゃ」

「無理はしません! SCSE守りますっ!」

 マキちゃんに叫んで。


 わたしは魔法の鏡に目配せをする。魔法の鏡は再びチカチカと輝いて、そしてその身にもやもやとした影を映した。


「え、なに、なに」


 おろおろするアリスの指をつかんで。


「大丈夫、アリス、あんたなら行けるはずだから!」


 ぐいっ、と鏡に押し付け――そして、その力はすっぽ抜けた。

 鏡の中に、吸い込まれたのだ。


「えっ、えっ!?」


 驚くアリスを鏡の中に押し込みながら。

 ――すうっ、となんとなく水中にもぐるときみたいに大きく息を吸った。無意味だとは分かりつつも。

 それからそっと、自分の手を鏡に触れさせる。

 それもまた、すうっと吸い込まれていった。


「ヒラさんっ」

「ヒラっ」

「ありすちゃん!?」

「――大丈夫っ!」


 知らんけどっ。

 と、心の中で叫びつつ。でも絶対無理はしないし自分大事にはするけれど、と誓いつつ。

 わたしは、仲間に告げる。


「いってきます!」


 そして。

 わたしたち――アリスとありす――は、鏡の世界へ飛び込んだ。

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