送り返したかっただけなんです(2)
◆
トンネルを抜けて、汽車はホームへと入っていく。ホームには剛くんがいた。大きく手を振っている。
「ヒラさん!」
「剛くん、ありがと!」
汽車が停車してから飛び降りる。まだ、青虫はいる。
「でけっすね、それ」
「……まぁね」
「降ろします?」
「え、出来る?」
剛くんはきょとん、とした顔でこちらを見た。
「まぁ、降ろそうと思えば降ろせません?」
「……上だし」
「のぼりゃいいんっすよ、そんなん」
当然でしょ、とばりに言ってのけて、その場のキャストの了解を得る。剛くんは片足を車体の窓枠にひっかけて、器用に屋根へと近づく。体育会系の見た目は、見た目だけじゃないらしい。すごいなぁ。ちょっとうらやましい。
「よっ……うわ、きも。これ、落としていいっすか?」
「あ……うん、お願い」
了解っすー、と剛くんは応じて、青虫を幌から引きはがしにかかる。メリメリ、とかバリバリ、とかなんかちょっと嫌な音を立てて、そして。
「よっ……落としまーす」
声かけとともに――
ズゥ……ンッ
なかなか重たい音を立てて、青虫が地面に落ちた。
「お……おおぉ」
「ヒラッ!」
若干ビビっていたわたしの元へ、今度は花ちゃんが階段――このアトラクションの乗り場は二階だ――を駆け上がってくる。
「下、人払ったよ! 通路確保完了、すぐマキちゃん来るよ!」
さすが優秀我が同期!
階段下を見ると、なるほどちらほらといた他のキャストは見当たらない。少し遠巻きに見ていたりはするけれど、すぐどこかへ行ってしまう程度だ。
「ありがと花ちゃん!」
「気にすんな、あとでおごれ!」
それは気にすんなとは言わない。
花ちゃんは青虫と剛くんを交互に見て、ぴっと親指を立てた。
「ぐっじょぶ」
「どもっす。これ、どうします? けっこう重たいっすけど」
「下落とす?」
蹴りの仕草をしてみせて、花ちゃんが言う。悩みかけたとき、緊迫した声が飛び込んできた。
「平澤、籠井、そこいる!? アリス、そっちに行ったわ!」
「ありす?」
ここにいるけど、と一瞬花ちゃんがわたしを見る。慌ててわたしじゃないとパタパタ手を振る。そしてわたしは下を見る。少し離れたところに走るマキちゃん。そしてその前に。
「アリス!」
「あ、そっちの。ってめっちゃリアルじゃん」
まぁ、本物っすから。
花ちゃんの言葉に胸中でうめく。
「ごめん花ちゃん手伝って。アリス確保する。あと、チェシャ猫も近くにいるはずだから」
「はぁ、何それ!?」
言いながらも一緒に階段を駆け下りてくれるんだから花ちゃん優しい。
アリスに駆け寄ると、まぁ、と彼女は目を丸くした。
「今度はどなた? ンもう、不思議なことばかり!」
マイペースっすね、あんた。
花ちゃんがさっとアリスにあわせてしゃがむ。
「こんにちはー、おててつないでいいかな?」
「あら。かまわないわ。おねえさん」
花ちゃんが微笑んだままアリスの手をとった。
かくほ。
口の動きだけでわたしに言ってくる。あ。はい。さすがです。
「平澤!」
マキちゃんが追い付いてきた。息が上がっている。すいません、三十路間近にこんなに走らせて。
「チェシャ猫、さっきまでその子の近くに――」
マキちゃんが言いかけたときだった。上から、剛くんが叫んだ。
「マキさん、頭上!」
え?
と、マキちゃんが真上を見上げたところに。
ぼふっ。
チェシャ猫が、現れた。
……あ。顔、マキちゃんの顔、踏まれた。一瞬マキちゃんもチェシャ猫も動きを止める。
――いまだっ。
慌てて、わたしはチェシャ猫に飛びついた。ごめんなさい、マキちゃん! 今なんかグヘッって声聞こえた!
マキちゃんとチェシャ猫とわたし。団子状態になりながらその場にどうっと倒れこむ。それでもなんとか、チェシャ猫の尻尾を引っ掴んで抱き寄せた。
「あんた『鍵』!」
「ウヒヒ、キシシシッ、キラキラ鍵、鍵」
ふさふさの尻尾をかき分ける。――あった! 長い毛に絡まるように、小さなトランプの『鍵』がそこにあった。ひっつかむ。
よし、鍵、確保!
「おっ……もいわよっ!」
マキちゃんがチェシャ猫をぶん投げてはい出てきた。
「ウヒヒ、キシシシ」
「マキちゃん、鍵、とりました!」
鍵を掲げて見せる。マキちゃんが真面目な顔で頷いた。
鍵と、二匹とひとり。これであと必要なのは、衝撃だけだ。
「あと、衝撃がいる。まとめてやれば、それで送り返せる!」
「おく……? なにが、どこに」
「詳細はのちほど!」
花ちゃんの怪訝な顔は尤もだと思うけど、いまは説明してられない。それでも、曖昧に花ちゃんは頷いてくれた。アリスの手を握ったまま、階段の上を見上げる。
「剛くん! たぶんそれ落としていいよ!」
「うぃっす!」
巨大な巨大な青虫が。
階段を、池田屋事件並みに転がりながら落ちてくる。
……生涯、こんな光景もう二度と見ることはないだろうな。
どふっ、と重たい重たい音を立てて、青虫が地面に横たわる。し、死んではない、ハズ。
「きゃっ、青虫さん! イタズラっこね!」
マイペース幼女よ。何をもってイタズラと申すか。
アリスが青虫に駆け寄る。花ちゃんはしっかり手をつないだままだ。鍵はここにある。それからチェシャ猫も――と思った時、また、ふっ、と手ごたえがなくなった。しまった! また消えた!
「平澤、大丈夫よ!」
焦りかけたとき、マキちゃんの声がした。マキちゃんがチェシャ猫を抱きかかえていた。消えて、もう一度現れたところをとっつかまえたらしい。
「鍵を、早く!」
頷く。
青虫とアリスに駆け寄り、少し迷ってから青虫の上に置いた。
「花ちゃん、アリスの手を乗せて!」
「おけっ」
花ちゃんはアリスと繋いでいた手を、その上に乗せた。まだかろうじて、小さな『鍵』に触れるスペースはある。あとはここに、チェシャ猫を触らせて、衝撃を与えれば。
「近寄りたく……ないんだけど、ねっ」
心底嫌そうな顔でうめきながら、それでもマキちゃんはチェシャ猫を抱えて走ってきた。見たこともないようなひきつった顔で、チェシャ猫を青虫の上に押し付ける。
セット、オーケイ!
「あと、衝撃がいる、なんか……!」
アリスがきょとん、とこっちを見た。
う。
よ、幼女殴れってのはあの。あの……!
「ヒラさん、籠井さん、どいて!」
声にふりむく。階段を半ばまで駆け下りて来ていた剛くんだ。その手が、備品のポールに伸びて。
――待って。
その足が、抜かれたポールに向かって――待ってぇぇぇぇ!?
反射的に飛びのいたわたしのいた場所を、ごんがらぐらごろん、とスゴい音を立ててポールが転がっていく!
そして!
「きゃっ」
「キシシ……ッ?」
ポールの直撃を受けひっくり返った青虫に巻き込まれ、アリスとチェシャ猫の声がした。その瞬間。
まるで、それまでの喧騒なんて嘘だったみたいに――その場にはもう、なにも残っていなかった。
「大丈夫っすか!」
えらい豪快な真似をした剛くんが、駆け下りてくる。
「な……なんとか」
頷いて、息を吐く。
「マキちゃん、ありがとうございま――」
言いかけて、ひく、っと言葉を飲み込んでしまった。マキちゃんが、ものすごい引きつった顔をしていたから、だ。
「……ひらさわ」
「……はい」
その引きつった顔の理由は、すぐに分かってしまった。だからたぶん、わたしもマキちゃんと同じ顔をしていた、と思う。
止めを刺すように、きょとん、とした剛くんの声が覆いかぶさってきた。
「あれ。何でみんな消えて……あれ? 籠井さんは?」
……花ちゃんが。
いない。
――あああああ。アリスの手を押し付けてはいた、けど! どいてって、どいてって声がしたのに! どかなかったの花ちゃああああんっ!?
頭を抱えてしゃがみ込むわたしの肩を、マキちゃんが支える。
「……籠井に、説明は……」
「……ほとんどしてません……」
呻くわたしたちを見下ろして、剛くんが怪訝な顔のまま、言った。
「あの。説明して、くれますよね?」
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