魔女の林檎とキャストの鍵(4)
◆
石畳に水を打つように、その言葉は乾いて響いた。
痛いほどの沈黙に、一番最初に声を割り込ませたのは、やっぱりマキちゃんだった。
「まぁ、そうなるでしょうね。でも、それは」
『ええ。無意味でございます。それでは女王が悲しむという未来は何も変化しませんので』
そうか。鏡が変えたいのは白雪姫が死ぬ、という直接的な未来ではないのだ。そこから引き起こされる、女王の気持ち。それを変えたい、ということだ。
――女王が鏡と友達みたいに接していて、不思議には思ったけど微笑ましくも思っていた。きっと、女王は鏡を本当に友達として思っていて、同じように鏡も女王を大切に思っているのだろう。
『そこで、私は考えました。その結果があの林檎でございます。――そちらの、異界のお二人はご存じだったようですが、あの林檎を食べれば必ず死にますが、ある方法さえとることが出来れば、生き返ることもまた可能なので』
「ある……方法?」
きょとんとする白雪姫に、わたしとマキちゃんは二人そろってストップをかけてしまう。
『それについては、必要時に話しますので』
「……はぁ」
……いや、うん。まぁどうせそんなことだろうとは思ってはいたのだけれど。
ちらりとマキちゃんを見上げる。マキちゃんは気まずそうな顔でこちらを見て、それからぱちんと両手を合わせて頭を下げた。
いやいやいや……それはさすがに、謝られるものでもない。状況的に仕方ない。というか勝手に林檎食った自分が悪い。
私もどう言っていいやら分からず、ぱたぱたと手を振ってから、同じように手を合わせて頭を下げた。
うん。オーケイ。これで手打ちとしたい。
「つまり」
こほん、とマキちゃんが咳払いをして話を始めた。
「あの林檎なら、ということで女王をけしかけたのね?」
『左様』
「あのぉ」
そっと、わたしは手を上げた。
「質問いいです?」
『何でしょうか』
「で、なんで女王はそんな恰好で……?」
全力であやしくさい格好を取る必要はあったのだろうか。
『ああ……私が、何か変装を、と助言したのです。白雪姫はこちらの言葉を信じてくださったので、女王を避けておられましたので』
「だからってなんで魔女」
「失礼ね」
女王が、膨れたような顔で答えた。
「魔女なんかじゃないわ。どこにでもいる老婆よ」
「どこが!?」
「腰が曲がっているあたりとか」
「へたくそか!?」
思わず全力で突っ込んだわたしに、白雪姫は不思議そうな顔を向けてきた。
「よく見かけるタイプのおばあさまだと思ったわ」
「正気か!?」
「わたくし、魔法の鏡と、お顔が美しい人と、ご老人は信じるように教育されてきましたもの」
「その教育いったん忘れたほうがいいよ!?」
どんな教育してきたんだ女王は。っていうか白雪姫それ素直すぎないか。鏡信じて親信じなかったってことでしょうあんた。
すごい。訳分からん連中だ。
「でも、待って?」
マキちゃんが唇に指をあてて、少しだけ首を傾げる。
「その……ある方法、をとるとなれば、それはそれで女王は傷つくわよね? 林檎を渡したのが自分なら、なおさら。白雪姫は目覚めても、女王のせいだと思っていたなら仲違いしたままでしょうし」
『でしょうな。あと悪い虫、ですか。とはいえ、愛する娘を失うよりは良いでしょう』
「まぁ、そうでしょうけど」
釈然としない様子のマキちゃんに、鏡は続けた。
『頃合いを見て、すべての原因は私だと告げれば、少なくとも女王と白雪姫の仲は修復することも可能でしょう。悪い虫はまぁ、飛んでおいてもらうしかありませんが、そこに関しては遅かれ早かれ子離れは必要ですし』
鏡、おかーさんみたいだぞ、その言い方。
「でも」
ふと、気づき。わたしは声を上げていた。
「それだと、鏡、全部あんたの仕業になるじゃない? いや、そうなんだろうけどさ。でも」
そもそもの原因は、見てしまった未来のせいなのに。
『本当なら見たものを、言うつもりはありませんでした』
「どうして」
『言ったところで、詮無いことではありますので。毒林檎のありかを伝え、白雪姫に嘘を吹き込み、女王を操り白雪姫を手にかけようとした。その事実は変えられませんから』
「でも、それじゃあ」
『割られることも、織り込み済みだったと最初にお話ししませんでしたか』
――ああ、そうか。
確かにこの話を始める前、マキちゃんに鏡はそう言った。
つまり、すべて鏡の仕業だ。
鏡が、自己犠牲も織り込んだ計画を実行しようとした、それだけのことだ。
そして中途半端に、私はそれを阻止してしまった――
どう、する。
視線を知らずに落としてしまっていた。傷のついた靴が目に入る。
このままでは、白雪姫の未来は――病に伏せってしまうという未来は、変化していない。
何とも言えない自己嫌悪に呑まれそうになった時、小さな風のようなマキちゃんの声がした。
「嘘吐き」
呆れたような静かな声に、鏡が押し黙る。
マキちゃんはどことなく冷めたような顔で、鏡に向かって続けた。
「嘘吐きね、アナタ。本当に割られていいと思っているなら、アタシたちを呼んでこーんなややこしくしなくても良かったでしょう。どうせ思い通りに事を運ぶくらい、出来るんでしょうし?」
『……それは、買いかぶりすぎです。私は、白雪姫を逃がした後、女王が探してと泣いて縋り付いてくるのを無碍に出来なかっただけです。何か誤魔化せないかと、無害そうなあなた方を呼んだまでです』
「どうかしら。そもそも最初に言ったわよね。救世主、って」
思い出す。そうだ。女王は鏡に言った。
「それで、魔法の鏡?」
『はい』
「この方たちが、あなたの言う救世主、ということね?」
『はい』
マキちゃんの否定の言葉に、女王は言っていた。
「あら。でもそういう条件でこいつが呼んだのよ?」
――そう。たしかに、そう言っていた。
マキちゃんは腕を組んで、唇の端をにやりと曲げる。
「でも、誰にとっての、とは言わなかった。アタシたちは、アナタにとっての救世主になりえる、そう踏んだんじゃないの?」
『――そうお考えで?』
「なんとなく、だけどね。もしかして知ってるんじゃないの? シンデレラのこと」
まさか。
ぽかんと口を開けたわたしを無視して、鏡がくつくつと、低い笑い声を立てた。
『そこまでお気づきなら、隠すまでもない。ええ、まぁ。存じております。『彼』の作り出した世界の中で、魔法を操るものなら、情報は共有できるので』
「――彼、ねぇ」
マキちゃんが、大きく息を吐いた。
彼、って。誰かって。聞きたいけど何となく聞いちゃいけない気がしている。
それってたぶん、わたしたちの仕事場の元を作り上げた彼だ。
「つまり、アナタは本当は割られたくなんてなかったのよ。でも自分の力では割られる未来までしか動かせなかった、と。で、救世主として――上手くいくかはともかくとして、アタシたちを呼んだのよね。万が一の希望でも、縋り付きたかったから」
『左様ですな。女王の元を離れるのは、私とて辛いものでしたから。自己保身と言われればそれまでですが』
「あら」
腕をほどいて、マキちゃんがにこっと――今度は裏のない、怖くない笑顔を見せた。
「大事なことよ。自分を大切にするってことは」
あ。耳が痛いです。すいません。
「さて。それじゃ」
ぱん、とマキちゃんが手を打った。
「この物語の真実が見えたわね。悪意だけのものなんて、いなかった」
呆然としていた白雪姫と魔女が、顔を見合わせる。
それから、魔女はぐらんっとあたりの景色をゆがめて、いつもの――ぞっとするほど美しい女王の姿へと戻った。
「私……知らなかったわ、何も。魔法を操るもの、なら私だって何かを知ることが出来たはずなのに」
『私が、阻止しておりましたから。それにあなたが出来るのは、変化のみです。意思の疎通が出来なければ難しいものです』
鏡がちらちらと瞬く。
「でも、このままじゃ」
そっと口をはさんだわたしを、皆が見た。それからその視線は、ゆっくりと白雪姫に集まる。
そう。このままだと、未来は、鏡が見たままの未来に進んでしまう。
白雪姫は少し考えるように空中をにらんだ後、こく、と何かを確認するように頷いて。
それから、異常にあっさりした声で、告げた。
「おっけーです、死にますわ」
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