親バカ女王様のご依頼(1)


「ごめんなさいね、取り乱して」


 口の端だけで微笑むと、女王はまぁお掛けなさい、と傍の椅子を示した。わたしとマキちゃんはそろって、ちょこんと椅子に腰かけた。

 ……いやまぁ。あっちの世界では、王子はアレだしフェアリー・ゴッドマザーはアレだしで、まぁなんとなくどんなのが来ても受け入れられる気がしていたんですけれども。甘かったです。


 ――ヴィランズには、格好よくあってほしかったなぁ……。


 見た目は、ぞっとするほどに美しい。正直『鏡』の美しさの基準が可愛いか美人かで女王か白雪姫か変わるだけじゃねぇの、って思う程度には、美しい女性だ。すっと通った鼻筋も、人の意識をとらえて離さない鋭く強いまなざしも、真っ赤な薄い唇も、怖いくらいに綺麗だ。しゃべるのか、これ、と思うくらいなのに、さっきはああだったんだからちょっともういろいろどうしようもない。


「それで、魔法の鏡?」

『はい』

「この方たちが、あなたの言う救世主、ということね?」

『はい』


 待て待て待て。


「すとーっぷ。お待ちなさい、いいから」


 マキちゃんが手を出してストップをかけた。


「……えーと、ね。まず、言っとくわ。アタシたち、ふつーの、ごく一般的な社会人なの」

「シャカイジ?」

「仕事をしている一般市民。救世主とかではないことだけは、覚えておいてちょうだい」

「あら。でもそういう条件でこいつが呼んだのよ?」

『さよう』


 さようじゃねえ。魔法の鏡め。姿見というには幅のある、豪奢なフレームつきの鏡は、わたしの座っている位置からだと少し陰になっていて、いまいちちゃんと見えない。たしかあれってほんとうは、中に人の顔が浮かんでいるはず。とりあえずちょっとそいつどつきたい。


「……ってことは、ええと? なにか困ってらっしゃって? アタシたちを呼んだということでいいのね?」

「ええ、そうよ。呼んだのは、そっちだけど」

『私です』

 うるせえ。

「……御用は?」


 いやいやながら、聞いてみる。知ってる。経験則ってやつです。何とかしないと、また職場の危機なんでしょ。生活の危機なんでしょ。それならそうでいいから、お賃金がほしいので、あとで交渉してみようかなぁ。


「私の愛しい娘がね」

 女王がはぁ、とため息を吐いた。

「家出しちゃったの。探してほしいのと、あとひとつ。――変な虫がつかないようにしてください」


 そう言い放った女王の目は、真剣そのものの色を宿していた。


 ……そっちかよ。どーしろってんだそれ。



「それにしてもマキちゃん、結構思い切りましたよね」


 とりあえず女王から離れて、城の庭を歩きながらわたしは言った。ひりひりする鼻の頭を撫でながら。

 世界を行き来するには『衝撃』と『鍵』とやらが必要だ、というのは分かっていた。そしてあの時――小さな林檎の『鍵』を見つけたとき、マキちゃんは問答無用で手を伸ばし、わたしは抗い。結果。


 ガン、と前のめりに顔面から地面にぶつかってしまいましてですね。ええ。マキちゃんはマキちゃんでそのわたしに後ろからぶつかってきちゃってですね、はい。

 結果、今、ここにいるわけだけれども。正直、いろいろ痛い。


「……あんな思いっきりよく顔面から突っ込むとは思わなかったのよ」

「痛いんですけど」

「あんたもうちょっと運動神経鍛えたほうがいいわよ」

「マキちゃんは素直に謝る心を鍛えてください」

「悪かったわよ。――それはそれとして」


 つ、とマキちゃんが足を止めた。薔薇の咲く生け垣から身を乗り出し、くい、と指を指す。そちらを見て、ああ、とわたしは頷いた。生け垣の向こうに小さな井戸があった。それが何なのか、わたしたちには分かってしまう。


「願いの井戸ですね」

「すごいわー。ホンモノってあるのねぇ」


 わたしたちの知っているのは、シンデレラ城脇の人通りの少ない場所にあるそれなもんだから、なかなかに感慨深かった。ツタが覆っていて苔もあり、少し古めかしいが、それがまたいい味を出している。


「でも、いないんですね。白雪姫」

 本来ならここで歌って、王子様に見初められてたはず。

「家出したっていってたからねぇ」

「あーそうか。美人なんだろうなぁ、また」

「またって。シンデレラは直接そんな見てないでしょうに」

 マキちゃんの呆れたような声に、わたしは少し首を傾げてしまう。

「あっちも美人でしたよ? てかマキちゃん目悪い?」

「普通よ普通。あんたが良すぎるの」

 まぁ確かに両目2.0ですが。


 そっかー。ちゃんと見えなかったのか。まぁ距離はあったんだけど、そして暗かったんだけど、でもあの美人顔を拝めてないのは損してるなぁ、この人。

 ちょっと憐みの視線を向けると伝わってしまったらしく、軽くぺしんと叩かれた。


「……痛いです」

「で、どうする? 休憩中だったし、一度戻りましょうか」

「……痛いのやなんですよね」

「アタシだってやーよ。でも仕方ないじゃない。はい、どうぞ」


 マキちゃんが言いながら、近くに落ちていた木切れを拾い上げる。うう。やだなぁ。

 大体なんでもうちょっとこう、魔法らしい何かじゃないのか。衝撃ってなんだ衝撃って。

 とはいえ、覚悟は決めるしかない。大きくため息ひとつついて。


「せーの」


 九割くらい投げやりな気持ちで、わたしはマキちゃんを、マキちゃんはわたしを殴り合ったのだった。


 ――ホントもう、なにこれ。

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