第17話 提案と追想
王妃殿下のお茶会の後、侍女のテレサと共に王宮のエントランスまで案内されて歩いていた時だった。クリスティーナは、どこからともなく名前を呼ばれた気がして足を止める。すると、同じ様に付き従っていた侍女のテレサと王宮の侍女もそれに倣う。
声が聞こえた方向を振り返ると、王太子フィリクスが自身の近衛騎士を伴い、こちらに向かってきているところだった。
慌てて淑女の礼をとり、軽く頭を垂れると「お久しぶりです、殿下」と、クリスティーナの目の前で立ち止まった彼に挨拶を述べた。
「あまり畏まらなくて良いよ。先日も言った通り、私の事は名前で呼んで欲しいのだけどね」
優しく微笑みながら、フィリクスはクリスティーナに告げた。
「貴女がここにいるということは、もしかして母上のサロンへ?」
「はい…」
「そうだったのですね。他の招待客の姿が見えないので違うのかとも思ったのですが、当たりでした」
自分の予想が当たったからか、フィリクスは満足そうに頷く。
「外宮に行くところで丁度あなたの姿が見えたので声を掛けたのですが…。何かありましたか?少し表情が冴えないみたいですが」
「あの、その…。なかなか、慣れなくて…。お恥ずかしながら、実は私はサロンに招待して頂いたのが王妃殿下が初めてなのです……」
流石に王妃殿下のお茶会での出来事を、王妃殿下の身内とはいえ王太子である彼に相談するという事に抵抗を覚え、クリスティーナはそれとなくごまかす様に言った。
「そうなのですね。相手が母上ですから、初めてだったのならば尚の事緊張したでしょう?ですが、母上は優しい方です。余程の事でなければお叱りになる事はありませんから心配いりませんよ。何より、サロンに招待されたという事は、貴女は間違いなく母上のお気に入りだと思いますしね」
「でも、なかなか皆さんのお話について行けなくて…。他の方々はとてもお話が上手で、私がここにいても良いのかなと少し不安になってしまいます…」
これは本当の事である。
ただし、落ち込みかけている一番の原因は『もしかすると不敬罪になるのでは…?』という様な内容を、今日一番の饒舌さで王妃殿下やシャーロットの前で話してしまった事だ。
実際はお褒め頂いたが、それはお2人がとても寛容な方だったから、今日は何もなかっただけの事なのかもしれない。
今後も招待される可能性があるのならば、今回の様な状況は侯爵家いえの為にも良い状況ではない事位は、クリスティーナも理解しているのだ。
「先日私が貴女に言った事を覚えておいでですか?」
「殿下が…?」
思わず俯いて考え込みそうになったクリスティーナの施行を遮るかの様に、フィリクスは言った。
「ええ、私がダンスを申し込んだ際に社交の練習と思って頂ければ良いと」
確かに、その様な事をシャーロットの誕生を祝う夜会で言われた様な気がするのでクリスティーナは素直に「はい」と、頷く。
「貴方が宜しければですが、社交になれる為に今後も私と練習を続けてみませんか?」
「えっ?ですが…、殿下に私事わたくしごとでご迷惑をおかけするわけには……。それに、これは私がもっとしっかりすれば良い事ですし…」
そもそもの話が、未婚の令嬢が婚約者以外の男性と二人きりで会うという事自体が望ましくない事でもある為、クリスティーナは相手を不快にさせない様にと、慎重に言葉を選び断る。
「私は迷惑とは思っていませんよ。それに、期間限定でなら如何ですか?貴方か私に婚約者が出来るまでならば、左程問題は無いでしょう。練習は2人だけではなくシャルも交えた状態でしましょう。それならば他の者達に余計な詮索はされずに済みますしね。シャルも貴女と出逢うまでは他の令嬢を招いて過ごす事はありませんでしたから、良い機会になるでしょう」
クリスティーナはどう返事をしたら良いものかと、黙り込んでしまう。
「この件については私から父に報告はしなければなりませんが、貴女がお父上達に言い辛いのでしたら私から話しても構いませんよ?」
「いえ…、それでしたら父には私から報告いたします。殿下もお忙しいのに、これ以上お手を煩わせることは出来ませんわ…」
流石に何度も王太子殿下の申し出を断るわけにもいかず、クリスティーナはそれを受ける事に決めた。
「それでは日時は追って連絡します。私が言い出した事とはいえ、直接私から連絡をすると貴女も困るでしょうから、連絡はシャルかエドを通じてする事にしましょう」
「分かりました」
クリスティーナが頷くと、フィリクスも微笑み満足そうに頷いた。
その後は外宮につながる扉までは他愛もない話をしつつ一緒に歩く事となり、扉に着くと執務室に向かうというフィリクスと別れ、クリスティーナは帰路についたのだった。
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結局、クリスティーナが両親に社交の練習についてを報告した時には既に耳に入っていた様で、よく励む様にと言われただけだった。
どう説明するかを悩みに悩んで考えたのに、あまりにもあっさりとしていたので、拍子抜けしてしまっう。
その後、自室に戻ったクリスティーナは入浴の準備ができる間、ソファーで寛ぐこととした。
目の前では入浴用のお湯を準備するクリスティーナ付きの侍女たちが、忙しなく行き来している。
テレサも入浴後に着る夜着などの準備で、衣裳部屋へ行ってしまいクリスティーナは一人ソファーに座っている状況だ。
今思い返しても、王太子殿下に提案された内容は信じられない。
でも、両親が知っていた当たり本当に社交の練習を行うのであろう。
理解は出来るが、なぜこのような展開になっているのか正直分からない。
自分はただ、殿下の妹であらせられるシャーロット殿下の友人で、兄がたまたま王太子殿下直属の近衛隊に所属しているというだけだ。
シャーロットと知り合わなければ、関わり合いになる事はあまりなかった相手だ。
「何でこんなことに…」
呟きと共に思わず溜め息が出てしまい、そのまま侍女たちが見ていないのを良い事に、ソファーに俯せに寝ころびクッションに顔を埋める。
「クリスティーナ様、これはずっと願ってきたリア充になる為の第一歩ではありませんか。寧ろ、他のご令嬢からすれば喉から手が出る程の申し出ですよ」
クリスティーナが声のした方に少し顔を上げ視線を向けると、いつの間に戻って来たのかテレサが傍に控えていた。
「リア充…。それはそうなのですけれど……。そもそも王太子殿下が相手でなくても良いのではないかしら…。これまでだってお兄様に必要な事は習ってきたのだし…」
「ですが、王室の方々から一流の社交術を学べる機会なんてなかなかありませんよ」
「でも…、私は殿下の事が正直苦手だわ……」
「苦手、ですか?」
クリスティーナはソファーから起き上がると、顔を埋めていたクッションを胸の前に抱きソファーに座りなおす。
「ええ。殿下にお会いしたのはまだ片手で数える程だけれど、何でここまでして下さるのか理由も分からないもの。私はただシャルのお友達というだけの一令嬢に過ぎないのに…」
「クリスティーナ様の魅力が王太子殿下には分かるのかもしれませんわ」
テレサが微笑みながら言うが、クリスティーナの表情は益々冴えないものになる。
「私に魅力なんて…。もっと素敵な方は他にもいらっしゃるではないの。それに、社交に疎い私でも殿下の婚約者候補の筆頭がディアンツ公爵令嬢のエミリア様という噂は知っているわ」
「あー、あの方ですか…。確かにそうした噂は私も耳にした事はありますけれど、それはあくまで噂ですから今回の件に関しては心配なさらなくて良いと思いますよ」
「でも、私とは違ってとても自信を持っていらして、煌びやかな方だわ。本当、私とは大違い……」
「クリスティーナ様だってディアンツ公爵令嬢様に引けを取らない位素敵なご令嬢です!これは、邸の者達なら誰もが知っている事実ですわ」
「邸の者だから、そう言ってくれてるというのも分かっているわ…。現にエドお兄様は……。ねぇ、テレサ…、昔エドお兄様が寄宿学校に通っていらした時の事を覚えてる?」
「ええ、勿論です」
「あの時…。エドお兄様が気付かせてくれたじゃない。私は人前に出すには恥ずかしい妹なのだって」
「それはっ…」
テレサがクリスティーナに意見しようとした時、それまで浴室の準備をしていた侍女たちが入浴が出来る旨を伝えに戻って来た。
テレサは言葉の続きを飲み込むと、少し辛そうな表情でクリスティーナを浴室へ促す。
浴室はクリスティーナの部屋に取り付けられており、彼女が思いっきり足を延ばしても狭くないほどの大きさの浴槽が備え付けられている。
ドレスを脱ぎ、侍女たちに髪や身体を丁寧に洗い上げられ、浴槽のお湯に入る。
その間侍女たちは、クリスティーナの合図があるまでは脱衣室で待機している為、浴室内にはクリスティーナが一人きりだ。
いつもならその日一日を振り返ったり、見つけてきた面白い物語の続きを考えたりとリラックス出来る時間だったはずが、テレサとの会話から思い出すには辛い過去の出来事が頭を過る。
「私は…」
そう呟くとクリスティーナは当時を思い出す様にそっと瞳を閉じる。
***************************
あれは、クリスティーナが9歳の時だった。
当時、13歳だったエドワルドは10歳の頃から寄宿学校に行っており、年数回の長期休暇の時以外は学校の寮で過ごしていた為、クリスティーナは兄になかなか会えない状況であった。
物心ついた時からずっと一緒に過ごしてきたエドワルドは、クリスティーナにとって大好きな兄であり、寄宿学校に入学した後で離れて暮らすと初めて知った時には、辛くて寂しくて死んでしまうのではないかという程に毎日泣きはらしていた。
今でこそ更に上の兄である、アレキサンドリアとオルフェンシアの2人とは仲も良く可愛がってもらっているが、クリスティーナが物心ついた頃には2人とも寄宿学校に入っており、殆ど顔を合わせることが無かった為、この頃の彼女にとって兄という存在はエドワルドだけだったのだ。
エドワルドが入学して入れ替わる様に、アレキサンドリアとオルフェンシアが卒業して邸に戻ってからは、少しずつ彼らも自分の兄なのだと自覚し始め、クリスティーナが寂しくない様にと彼らも出来得る限りクリスティーナと一緒に過ごし、楽しませてくれた。だからこそ、今では上の兄達も大好きな存在になった。
そんな中、久しぶりにエドワルドが邸に戻る日がやって来た。クリスティーナは朝から大好きな兄に会えるのが楽しみで仕方が無かった。朝食を終えると侍女たちの手を借りて、お気に入りのレースとフリルが可愛らしくあしらわれた薄いピンク色のドレスを身に纏い、伸ばしていた髪を結い上げてもらい、胸にはエドワルドが誕生日にくれた瞳と同じエメラルドグリーンの石が埋め込まれた花のブローチを付けた。
両親の話では、今日エドワルドは寄宿学校で特に仲の良い友人を数人伴って帰って来るとの事だったので、クリスティーナなりに、兄が自慢の妹だと友人達に紹介できる様に少しでも可愛い姿で出迎えようと思った。
忙しい父の代わりに弟を出迎えるべく、仕事の休暇を取っていた兄2人にも「可愛い」とお墨付きをもらえ、凄く嬉しかったのを今でも覚えている。
そうこうしていると、昼食前にエドワルドの乗った馬車が着いたと執事から報告を受け、母や兄達と一緒にエントランスへ迎えに出た。
エドワルドは友人3人を伴っていた。
今では顔も思い出せないが、邸に入った時に母や兄に友人達を紹介していた様子から、とても仲が良い友人なのだという事は幼い自分にも分かる程だったので、もしかしたら今でも交流のある方なのかもしれない。
エドワルドは母たちに友人の紹介を終えると、オルフェンシアの隣で声を掛けてもらえるのを楽しみに待っていたクリスティーナに視線を移したが、友人たちに「こっちが妹」と一言告げるとクリスティーナには目もくれず、彼らと一緒に食事をとるべく食堂へ友人達を案内し始めたのだ。
クリスティーナは少し寂しさを感じたものの、「今はお友達も一緒なのだから仕方が無いのよ」と自身に言い聞かせ、寂しさをごまかした。
昼食の席では母や兄達が寄宿学校での様子などをエドワルドやその友人達に聞いたりと賑やかな席だった。しかし、その間もエドワルドの視線がクリスティーナへ向けられる事は無かった。
昼食後もエドワルドは邸を友人に案内したり、友人達とゲームに興じたりとクリスティーナと一緒に過ごす事は無く、ろくに会話をする事さえ出来なかった。
せめて、寝る時だけでも一緒に過ごせないかと入浴の後で侍女たちに付いて来てもらい、エドワルドの部屋を訪れた時だった。いつもならクリスティーナがお願いさえすれば一緒に過ごしてくれた兄が、その日だけは違った。
「何で俺がお前と寝なくちゃいけないんだよ」
部屋を訪れたクリスティーナを面倒臭そうに見ると、すぐに視線を外しイライラした口調でそう告げたのだ。
「で…でも、いつも帰って来た時は一緒に……」
「俺だっていつまでも子供じゃないんだよ…。妹となんかと一緒に居たらあいつらに笑われるだろ!」
「でも…アレクお兄様と、オルフェお兄様はそんな事……」
「あーもう、そんなんなら兄貴たちの所に行けば良いだろ!ブス!!!」
「っ……!」
そう言うとエドワルドは、話も終いとばかりに寝室に姿を消した。
エドワルドの私室に侍女達と残されたクリスティーナは、大好きな兄から告げられた言葉の全てがショックで、侍女たちが心配する中で部屋を飛び出し自室に向けて、ただただ走った。
その途中で誰かとぶつかったが、早く部屋に戻りたかったクリスティーナは相手を確認する事も無くそのまま立ち去った。
部屋に帰ると、まさかクリスティーナが戻って来るとは思っていなかった侍女達が室内の灯りの始末を始めていた。泣きながら戻って来たクリスティーナを見て皆驚き、何事かと心配してくれた。しかし、大好きな兄に拒絶されたクリスティーナは、辛くて悲しい気持ちで一杯で、侍女達には構わずに寝室に駆け込みベッドに潜り込むと、声を押し殺して朝まで泣いたのだった。
その日以降、休暇中のエドワルドとは顔も合わせずに過ごし、更には泣きはらした翌日の顔を鏡で見てからというもの「これでは確かに不細工と言われても仕方が無いな」と妙に納得した為に、あまり外に出て過ごす事も無くなった。要は引きこもりも同然である。
両親やアレキサンドリアとオルフェンシアへは執事や侍女を介して、その日の事が伝えられた様で、始めの頃こそクリスティーナを慰め、気分転換にと外に連れ出そうとした事もあったが、頑なに拒む内はクリスティーナが好きな様に過ごさせてくれる様になった。勿論、デビュタントがある以上、淑女教育等は邸内で受ける事はあったが、必要なものはテレサが買いに街に行ってくれたり、お抱えの商人が度々邸へ訪れてくれていたので邸から殆ど出ずに過ごす事は、特別クリスティーナにとって問題にはならなかった。
そして、クリスティーナが男性同士の恋愛物語に出会ったのもこの時期である。
この頃、テレサが、邸に閉じこもるクリスティーナが少しでも楽しめる様にと様々な物語を取り寄せてくれた。それからというものの、クリスティーナはほぼ毎日の様にそれらの本を読んで過ごした。
そんな妹の様子を見てずっと気にかけてくれていた次兄のオルフェンシアに誘われ、気分転換にと王都の町を散歩した事があった。その時、公園の近くに小さな書店があるのに気付いたのだ。クリスティーナが読書が好きと知っていたオルフェンシアは、その書店を気にしていたクリスティーナを誘ってくれた。
その書店にはクリスティーナがまだ読んだ事の無いタイトルの本が多くあり、気になるタイトルの本を数冊購入して帰った。
そうして、邸に帰って本を開いて初めて気付いた。初めて見るタイトルの本が普通の恋愛小説ではなく、男性同士の恋愛を小説にしたものであることに。
初めて読んだ時は衝撃的だった。そもそも恋愛は男女という異性同士のものであると信じていたクリスティーナは頭を思いっきり殴られたのかという程の衝撃を受け、自分の世界がとても小さかったことを知ったのだ。
ただ、その秘められた関係性を紡ぐ物語は何処までも純粋で、一図で、自分の辛さなんかは彼らの秘められた思いなんかに比べたらとてもちっぽけなものなのではないかとさえ思える様になり、こうした物語にどんどんのめりこんでしまった。
後からテレサが調べてくれて知ったのだが、あの書店は大店の書店ではあまり取り扱いが無い様な珍しいジャンルの本を取り扱うことで、一部の人々からの人気を集めているとのことだった。
そんな中、エドワルドとは以降の休暇中も必要以上に話しかけたりせず、距離感を保ち続けた事や上の兄2人の尽力のおかげで今では普通に話せるまでには関係も回復している。
勿論会えば「可愛くない」、「ブス」と言われるのが日常ではあるが、クリスティーナからしたらそれが真実であるから、少し悲しいけれど左程問題ではないしもしかしたらエドワルドは心を鬼にして真実を伝えてくれているのかもとすら思う様になって来た。
そうして過去に思いを馳せていると「クリスティーナ様、長湯ですがお変わりありませんか?」とテレサの心配する声が聞こえた。
気付くとお湯も少しぬるくなり始めており、思っていたよりも時間が経過していたらしく待機していたテレサから心配する声が聞こえた。
「ごめんなさい、今上がるわ」
湯舟から出ると体の水気を拭き取り、夜着に袖を通す。
「やはり、殿下の件お断りしますか?」
テレサはクリスティーナの表情を窺いながら、小声で確認してくる。これは一部の者のみしか知らない事だからだ。
「いえ、あちらからの申し出を無下に断るわけにはいきませんもの。きっと何とかなると良い方に考える事にするわ」
「左様でございますか」
翌日、シャーロットを通して1回目の練習の日時が書かれた手紙が届いた。
クリスティーナは了承した事を手紙に書き、それを使いの者へ渡すようテレサへ申し付ける。
(今は出来る事を少しずつしていくしかないわね。だって、リア充になりたいと決めたのは私だもの)
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