第12話 運命の歯車が動き出す

 フィリクスは早朝の日課である鍛錬に向かうべく廊下を歩いていた。

 窓から外を眺めると昨日積もった雪が少しではあるが溶けている。

 空には雲一つなく、朝焼けで空が徐々に紫がかって来ている。

 とはいえ、冬なので太陽の昇るペースは遅くまだ周囲は薄暗い。


(この分だと今日は晴れそうだな)


 鍛錬場は恐らく、近衛兵や王宮騎士団がいつでも鍛錬出来る様に除雪作業を済ませているだろう。

 鍛錬場は王族の住まう内宮ではなく、外宮の騎士団の施設の中にある。

 内宮の中では時折朝の準備をするべく動き始めた侍従や侍女、警備に当たっている近衛騎士と出逢う程度で、昼間に比べると人もまばらで静まり返っている。

 外宮に出ると内宮よりはである人物が増える。

 王宮騎士たちだけではなく、仕事などで王宮の各執務室で過ごしたのであろう臣たちに時折出会う。

 中には昨日の雪の影響で王宮に留まらざるを得なかった者もいるのだろう。

 その様な時の為に、外宮にも一通りの客室や仮眠室はある。

 

「殿下、おはようございます」


 そう言って彼らはフィリクスに道を譲るべく廊下の端によりこうべを垂れる。

 その一人一人に軽く挨拶をしつつ目的の場所へと向かう。



 「レジェンディア王国の王子たるもの文武両道であれ」と幼い頃より言われ続け、物心ついた頃から鍛錬を欠かさず行ってきた。

 今では剣の腕でフィリクスに勝てるのは近衛騎士団長等、数えられるほどしかいない。

 故に、鍛錬をしに行くとは言え、最終的にはフィリクスが騎士たちの稽古に付き合うという状況になってしまう。



「王太子殿下、今日も早いですね」

 フィリクスが歩いていると後ろから急に話しかけられた為、歩みを止めて振り返る。

「エド、いつも言ってるが、その態度では敬意を払ってるのか払ってないのか分からない」

「これでも一応公の場では配慮してるつもりだけどな。ま、細かい事は気にするのやめよーぜ!」

 そう言うと、サンテルージュ侯爵家の三男でフィリクスの親友でもあるエドワルドは、フィリクスにつき従う形で彼の1歩後ろをついて歩く。


「ところで、昨日はうちの妹が世話になったみたいで」

「あぁ、クリスティーナ嬢か。雪で馬車が動かなかったのだから仕方が無い」

「で、クリスには何もしてないだろうな?」

 フィリクスはピタリと止まると後ろを振り返る。

「あのなぁ、俺はこれでもこの国の王太子だ。流石に知り合って間もない令嬢に手を出すわけないだろう!」

 心底呆れたという風にエドワルドを睨みながら言った。

「それなら良い!そうは言ってもクリスはうちのたった一人の姫なんでな。昨日は兄さん2人の機嫌が最悪だったし…。それに、普通の男だったなら、あいつが一つ屋根の下ならほっとかないけどな」

 そう言うとエドワルドはフィリクスを追い抜いて歩き始める。

 フィリクスもそれに従って歩き「しかしだな…」と続きを話し始める。

「俺は、クリス嬢に対してエドが言う様な女性としての魅力とかっていうのを今のところ感じることはないし、寧ろエドや君の兄たちが言う様な魅力を彼女が持っているという所が信じられないよ」

「まぁ、信じなくて良い。その方が面倒臭くなくてすむし兄さんたちを怒らせたくもないしな…」

 エドワルドは何かを思い出したかの様に身震いした。


 フィリクスにとってはこの3兄弟が言ってることは理解をしがたいものだ。

 実際彼女に会った後の感想としては『野暮ったい少女』という言葉が一番しっくりくる。

(なんだかなぁ———…)




 そうこう2人で話をしているといつの間にか鍛錬所に着き中に入る。

 中に入ると数名の騎士はすでに鍛錬を始めている様で、木剣を使い打ち合いをしている者もいた。

 フィリクスが来たことに気付くと、鍛錬中の騎士たちは一斉に動きを止めその場に片膝をつき首を垂れる。

「良い、そのまま続けて」

 その言葉で再び鍛錬が再開されるのを見て、自身も始めるかと自分の鍛錬用の木剣を携え鍛錬場の中に進む。

「殿下、是非私と一本お願いします」

「エド…、君とは毎日打ち合っていると思うのだけれど…?」

 エドワルドは、いつも同僚や上司の前では公私を分け、臣下としてフィリクスに話しかける。

「まぁ、細かい事を気にするのは止めましょう!」

「…どうせ最終的には君との打ち合いになってしまうから構わないよ」

 やれやれといった表情で一度溜息を吐くと、フィリクスはスッと表情を引き締め木剣を構える。

「では、私からっ!」


 エドワルドがそう言うや否や、一気にフィリクスとの距離を縮め持っていた木剣で切りかかった。

 それを皮切りに、お互いが激しく木剣を打ち付けあい、そして相手の木剣をはじき返す。

 他の騎士たちも二人の打ち合いを見ながら、表情を引き締めなおす。

 

 元々、フィリクスは王宮の内宮で近衛騎士団長等限られた者からの鍛錬を受けていたが、彼のたっての希望で他の騎士たちとの鍛錬が始まった。

 当初は王太子が一緒に鍛錬などと反対する意見もあったが、フィリクスの「いざという時に父に代わり軍の先頭に立つのは私である。その私がどの様な訓練をしているのかを部下である彼らは知らないし、そんな私を軍の先頭に立つものとして見る事への不安も隠せないだろう。だが、一緒に鍛錬をすることで私の事を彼らに知ってもらう事は出来るし少なくとも私が彼らを知る事は出来るんじゃないかなと思っているよ」という言葉を受け反対の声も徐々に聞かれなくなっていった。

 そして、寄宿学校時代からの仲である2人は、鍛錬とはいえいつも本気の打ち合いを行っている為、他の騎士たちが彼らの影響を受けその後の訓練や職務にかなりの良い効果が出ている。

 それが分かってからというもの、王太子であるフィリクスの鍛錬への参加を騎士団長は喜んで許可している。



 そうしてしばらく打ち合いを続け決着が着くと、他の騎士たちがそれぞれフィリクスに相手を願い出るという状況が続く。

 この流れを数回続け、2時間程立つ頃には太陽も顔を見せ徐々に王宮の外宮が機能し始める時間となる。


「もうこんな時間か、すまないが今日はこれまでにするよ。明日もよろしく頼む」

「「「ありがとうございました」」」

 騎士たちは一斉に地面に片膝をついて礼をする。

 フィリクスはいつもこれ位の時間で鍛錬を切り上げ、内宮に戻るのが習慣となっている。

 執務室へ行く前に身支度を整え、食事を済ませるためだ。

 その際にはその日の王太子付きの騎士も同行する事となっている。


「今日は私がお供します」

 今日、名乗り出たのはエドワルドだった。

 フィリクスは頷くと木剣を近くにいた騎士に渡し、内宮への帰路についた。



 内宮へ戻る間には早朝と違い、多くの臣下に出会う。

 流石に鍛錬後のくだけた様子を見せる訳にもいかない為、遠回りではあるが王宮内の裏庭を抜け内宮の外門を通って内庭に出て、内宮内に戻る様にしている。

 そちらの道は殆ど臣下に会う事なく内宮に戻れるからだ。


「太陽が上がって雪もだいぶん溶けてきましたね」

「2人だからそんなに畏まらなくて良い。そもそも、朝は普通に話してたろ?」

 フィリクスは付き従うエドワルドをジトリと睨む。

「まぁ、この時間ですし誰かと会わないとも限りませんので内宮まではこのままでご容赦ください」

「本当に君は変な所で真面目だな」

「ありがとうございます」


 2人で外門を通り内宮の内庭に出ると、裏庭とは違い満開の花たちに迎えられる。

 これは王妃が趣味に作っている庭園の一角だ。

 四季をテーマにした庭で、フィリクスたちがいるそこは冬の庭園と呼ばれる庭だった。

 雪は解けているが、芝の上には一面のユキシラ花で埋め尽くされている。

「見事なものだなー!これほどのユキシラ花に埋め尽くされた庭を見るのはここだけじゃないか?」

 内宮に入った為、先程の宣言(?)通りエドワルドの口調はくだけたものに変わっている。

「母上が丹精込めて育てさせているからな」


 そうして花を見つめながら話していると、建物の近くに人影が見えた。

 フィリクスがそちらを見ると淡いピンク色のドレスを身に纏った女性が、こちらに対して後ろ向きの状態でしゃがんでいた。


(あのドレスは確かシャルが好んで着ている奴だったか…?)


 そう思いフィリクスが呼びかけようとした所だった。

 しゃがんでいた少女が立ち上がりこちらを振り向く。

 その瞬間、フィリクスは大きく瞳を見開いた。

 そして自身の周りだけ、一瞬時間が止まったのかとも思った。


 振り返った少女は妹ではなく、見知らぬ少女だった。

 腰近くまで延ばされたミルクティー色の髪の毛は、朝日を浴びて金糸の様に見える。そして、彼女の優しく花を見つめる瞳はまるで大粒のエメラルドの様に輝いて見えた。

 寒いからか、頬は桜色に染まり小さいが形の良い唇は嬉しそうに笑みを浮かべている。



『見惚れる』



 まさにその瞬間のフィリクスの状況が、その言葉と同一である事は明らかだった。

 これまで多くの令嬢を見たきたがあの様な少女を見た記憶はなく、ましてやこんなにも視線が離せないことなど体験すらした事が無かった。

 彼女のいる空間そのものが1つの絵画の様にさえ感じた。



 どれ位の間見惚れていたのだろう。

 話しかけねばと、そう思い立った時だった…。

「クリス!?あいつあんな格好で何してんだ!?くそっ…!」

 そう言って自分の隣にいた親友が少女の元へ駆けて行った。


「えっ…?はぁ~!!?」

 フィリクスは予想だにしなかった結末に、思わず頭を抱えた。

「クリスって…エドの妹……」

 視線の先ではエドワルドがクリスティーナを客室のある方向へと促しているのが見えた。


 もしかしたらエドワルドの勘違いかとも思ったが、あの状況を見るに間違いではなさそうだった。

「これは……、予想すらしてない展開じゃないか………」

 フィリクスがいつも見ていた彼女は大きな分厚いレンズの眼鏡をかけていた。ドレスも、昨日来ていたものは夜会で見るものよりはセンスは良かったが、夜会で着ていたドレスは何というか幼女の様な印象を覚えるものばかりだった。

 なので、先程彼女を見た時はまさか同一人物とは予想しなかった。いや、出来なかった。



 暫くその場所で思案していると部屋に送り届けたのかエドワルドが戻って来た。

「すまない。行くか」

そう言ってフィリクスを促そうとするが動かない彼を見て、エドワルドは怪訝な表情で振り返る。

「フィル?」

「エド、あれはどういう事なんだ…?」

「いや、まぁ……。細かい事気にするのは止めようぜ!」

 どこか明後日の方向を見ながら言われても、フィリクスは納得できない。

「あれは気にするレベルだろう!?」

「しかしだな…」

「エド!王太子の命だ!」

 エドワルドはバツが悪そうに頭をかくと、溜息を一つ吐いた。

「俺が言った事は内緒、って約束してくれよ…?勿論他言無用だ」

「分かった」


 エドワルドから聞いた話はこうだ。

 クリスティーナは唯一のサンテルージュ家の令嬢であり、年の離れた兄たちから幼い頃より可愛がられていた(特に長兄と次兄)。

 元々内気だった事もあり、幼い頃より兄弟4人で過ごす事が多かった。そして、その関係からか、兄たちは益々彼女を可愛がり、溺愛する様になった。

 そんな折、元来あまり茶会などに出る事も無かった為家人以外の人々の目に留まる事は無かった彼女にも、遂にデビュタントを迎える事になる。

 兄弟3人、特に上の2人はどうするべきかと考えた。

 恐らくこのままデビューしてしまえば、侯爵家令嬢という肩書もあり今後は様々な社交場にも参加しなくてはならないし、ましてやあの容姿である。社交界で他の男たちが彼女を放っておくはずが無い。それだけは断固として阻止すべきである、と。

 そうしてデビュタント以降の夜会でのクリスティーナが出来上がったのだと。


 フィリクスは頭を抱えた。

 確かに妹を持つ身としては、どんな妹であれ可愛いとは思う。

 しかし、流石にサンテルージュ家の3兄弟の愛情は異常だ。


「言っとくけど、俺はクリスの現状には一切関わって無いからな」

「でも、幼い頃から不細工だと信じ込ませて来たんじゃなかったか?」

 お陰で、彼女は自身の魅力に一切気付いていないと、さっきエドワルド自身が話した事だ。

「あー、それは認める…」

 エドワルドはバツが悪そうに両手を上にあげ、降参のポーズをして見せる。


 フィリクスが見た彼女は、少なくとも彼女自身が思っている以上には魅力的な女性だ。

 鍛錬前の自分が言っていた言葉を全力で訂正したくなる程には。


「おい…、フィル。クリスは幾らお前であってもやる気は無いからな」

「彼女自身がそれを望んでもかい?」

「なっ…!?お前、まさかっ…!」

「そのまさか、だな」

 そう言うとフィリクスは止めていた歩みを再開し、自室へと歩き始める。


「ちょっ、今朝はそんな事ないみたいに言ってたじゃないか!」

今朝・・は、だろ?」

 フィリクスはそう言ってエドワルドに微笑むと、それ以降は彼が何を言っても一切構わずに自室まで歩いた。



 1つの決意だけを胸に抱いて———。

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