第10話 修羅場はごめんです…!

 クリスティーナはものすごく後悔していた。

 あの時、なぜ自分は無理やりにでも帰らなかったのかと…。


 正直これは自分が望んだ結果ではない。

 それだけは断言出来る……。

 じゃあ誰が望んだ結果なのか…。

 分かる人がいたら是非とも教えて頂きたい。


 目の前には美しい令嬢が、本日何度目か分からない冷たい視線をクリスティーナに向けていた。


 そして、クリスティーナもその視線を受け止めつつ、本日何度目か分からない溜息をこっそり吐くのだった。



***************************




 遡ること30分。

 クリスティーナはシャーロットへ連れられ、内宮にある応接の間へと来ていた。

 彼女に促されるままソファーの隣へ腰掛ける。

 そこにはまだ王太子殿下は来ていなかった。


「お兄様ったら、呼び出しておいてわたくしを待たせるなど、どういう神経をしておいでなのかしら」

 あくまで・・・・笑顔ではあるが、クリスティーナは本能で気付いていた。

 シャーロットはかなり怒っているであろうことを…。




 その時、ガチャリと扉の開く音がして室内へ数名入って来た。

 シャーロットはチラリと扉の方へ視線を送り、口元を持っていた扇子で隠す。

 入ってきた人物は向かい側のソファーへ並んで座った。

 クリスティーナの前には癖のないブロンドの長い髪の毛をキッチリと結い上げた、若草色の瞳をした令嬢がゆったりと腰掛けた。

 シンプルなドレスを着ている自分とは正反対で、昼中というのにも関わらずとても煌びやかなドレスで、その豊満な胸を誇張するかの様に、胸元は大きく開いている。

 シャーロットは一瞬だけあからさまに嫌悪の視線をその令嬢に送り、兄フィリクスへ向き直って「随分と・・・急なお越しですのね。お兄様」とにこやかに言った。

 にこやかなのに底冷えする様な冷たさを隣から感じ取り、クリスティーナはあえて俯いてこの現状を把握する事に気を向ける。



(い…いたたまれないわ……)



「仕方がないだろう。ディアンツ公爵令嬢が久々にシャルへ会いたいと言っていたのだけれど…、私の仕事がなかなか終わらなくてね」

「…あら?それならばディアンツ公爵令嬢だけでわたくしをお尋ねになれば宜しいのではなくて?何も、お忙しいお兄様までいらっしゃらなくても」

「あらぁ、シャーロット様ってば、わたくしの事はエミリーとお呼びになってといつも言いますのに。わたくし達は幼い頃より知らぬ仲ではございませんもの」

 目の前のエミリアと呼ばれた女性は、クリスティーナは始めからいないものと認識しているらしく、3人だけで会話を続けることにしたらしい。

 それが分かったのか、尚更隣のシャーロットからは冷気が漂っている。


「幼い頃と言いましても、わたくしにはそのような記憶はございませんの。わたくしの中に残っている記憶では、ディアンツ公爵に勝手に付いて王宮に来られたあなたが更に勝手にお兄様やわたくしに付きまとっていたと認識しておりますわ。今、現在もですけれど」

「まぁ…、勝手にだなんて。確かにわたくしはお父様と共に王宮へ来させては頂きましたが、フィリクス様やシャーロット様とご一緒に過ごさせて頂いたのは国王陛下・・・・のお許しがあったからにすぎませんわ。一貴族のわたくしが勝手にこちらへ伺うなど出来ませんわ」

 エミリアもシャーロットに負けじとハッキリと物を言う令嬢らしく、言葉の端々から自身が満ち溢れている。

 シャーロットはそれすらも気に入らない様子で、口元はにこやかな笑みを浮かべながらも目元は笑っておらず、じっと彼女を睨んでいる。

 一方、フィリクスは妹と自身の連れてきた令嬢が静かに火花を散らしているにもかかわらず、静かに成り行きを見守っている。



 3人のやり取りを見聞きした結果から想像するに、幼い頃からの知り合いという事らしい。

 しかもシャーロットはかなりエミリアを嫌っている事が、ここに来る前の騎士とのやり取りから想像してはいたが、2人のやり取りを見て更にそれが決定的だと判断出来た。

 そして、エミリアと呼ばれた令嬢は、国内でも古くからの歴史を持つ家系であるディアンツ公爵家の令嬢という事が分かった。この家は、代々多くの大臣職に就いており、他の公爵家や王家に嫁いだ令嬢を多く輩出しているとされる家だ。

 

そしてここに来て一番不思議なのは、なぜか彼女を連れて来た王太子が、我関われかんせずを貫いているという事だ。

 ここまで連れて来るという事はある程度の仲なのではとも思ったが、よくよく考えると王太子殿下がどこかのご令嬢と婚約したという話は聞いたことが無い。

 いくら世情に疎いとはいえ、そうした大きなニュースならクリスティーナにも伝わるはずだ。

 そもそも今のこの状況を見るに、自分は果たしてこの場に呼ばれる必要があったのだろうかとさえ思える。

 チラリと自分以外の3人に目を向けるが完全にクリスティーナは蚊帳かやの外で、ただシャーロットの隣に座っているだけという状況だ。



(胃がおかしくなりそうだわ……)



 秘かにこの場にいるというストレスから、目線を下げた時だった。

「お久しぶりです。先日の夜会では私が失礼をしてしまった様で、気になっていました」

 静かな火花を散らしていたシャーロットとエミリアの間を縫って、フィリクスが言った。

 彼の言葉に、それまで言い合いをしていた2人も静かになる。

 そして2人の視線がクリスティーナに注がれ、特にエミリアの視線は今にもクリスティーナを射殺しそうな程の冷たさだ。

 そんな中でクリスティーナは、恐る恐る眼鏡の下の瞳をフィリクスへと向ける。

 向けた先には、穏やかな表情の彼が自分へ視線を向けていた。

「今日はシャルから貴女に会うと聞いてはいたのですが、貴女までこちらへ引き留めてしまった様で申し訳ありません」

 そう言うと、フィリクスはふっと微笑む。



(し…、視線が痛い………)



 益々目の前に座るエミリアからの視線が鋭く、そして冷たくクリスティーナを射抜く。

 流石に王太子殿下に話しかけられた以上、何も言わない事の方が不敬になり兼ねない為、クリスティーナは一度立ち上がり軽く膝を折って淑女の礼をとる。

「ご挨拶が大変遅れて申し訳ございません…。私などにその様なお言葉は勿体無く存じますわ、殿下」

「いや、改めて私に気を使う必要はありませんよ。貴女はシャルの友人なのですから私の事も名前で呼んで下さい」

 その言葉に、流石にクリスティーナは固まってしまう。

 王太子に「名前で呼ぶように」と言われる事は、普通の貴族であればありえない事である。

 現在でもそれが許されるのは家族である王家の人々や、それ以外の貴族であれば彼によほど近しい人物位であろう。

 よって、クリスティーナは王太子にとって近しい存在、要は「お友達」認定されてしまったという事だ。

 シャーロットとエミリアは彼の発言に驚きが隠せないらしく、軽く目を見張っていた。

 エミリアに関してはその後すぐにクリスティーナをきつく睨みつけてきた程だ。



(本当に勘弁して頂きたいのですが………)



 正直いたたまれなさ過ぎて、この空間から早く飛び出して自分の邸に帰りたいと思う。

 なぜこの様な展開になっているのか…。

 常日頃より、こうした社交という出来事からことごとく離れていたクリスティーナとしては、フィリクスの様な若い男性とこうしたやり取りをした事は無く、どの様に返したら良いのか非常に悩むところだ。

 しかも、目の前のエミリアは服装や仕草からも明らかにフィリクスの事を誘惑したいのだという事が見て取れる。

 そして、彼女からはいきなり降って湧いた様なクリスティーナの存在は邪魔だと、始めからあからさまな態度で告げている。


 クリスティーナは稍引きつりそうな表情筋を何とか自制しつつ、頑張って微笑む。

 そうして何とか考えた末に言えた言葉は「アリガトウゴザイマス…」という、ごくごく普通の言葉だった。

 フィリクスが立っていたクリスティーナに座るよう促した為、それに倣って再びソファーへ腰を下ろす。

 すると、目の前に座っていたエミリアが口元だけ・・に笑みを浮かべ、クリスティーナを冷たい瞳で射貫く。

「そういえば、先程からそちらに座っていらっしゃいましたわね。わたくしとは初めてお会いするかと思うのですけれど?」

「……申し遅れました。私はクリスティーナ・サンテルージュと申します……。以後お見知りおき下さいませ」

 そう言ってクリスティーナは軽く首を垂れる。

「あら、侯爵家の方でしたの。殿下にはきちんと礼を取られましたのにねぇ?サンテルージュ家と言えば、最近では外務省でかなり・・・派閥を聞かせていらっしゃるとお噂で伺っておりますわ。」



(失敗してしまいましたわ……)



 クリスティーナはフィリクスに取った様に礼を取るべきであったと後悔した。

 さっきの彼の言葉の後で、油断してしまっていた自分が悪いのではあるが…。

 エミリアの口調からすると、サンテルージュ家の事を少なからずとも理解していると考えるのが妥当であり、それを踏まえた上でのこの言い回し。

 遅いと気付いたものの、今更首を垂れても遅い事は十分理解している。

 ここはあえて何も言わない方が得策かしらと、クリスティーナが考えていた時だった。


「そう仰る貴女も、まずわたくしに挨拶をするのが筋ではなくて?わたくしの友人をあざける前に、まずご自分の立場をわきまえては如何いかがかしら」

 そう言うと、シャーロットはエミリアに向かって一段と冷たい笑みを浮かべる。

「なっ…!」

 エミリアは悔しそうな表情を一瞬浮かべたものの、すぐに隣に座っていたフィリクスへ向き直り「フィリクス様っ!」と彼の名を呼びすり寄った。

 フィリクスは自分の腕を掴んでいたエミリアの手をそっと引きはがし、軽く距離を取る。

「貴女が言う事も間違ってはいないかもしれないけれど、シャルがいう事は尚正しいね。礼を欠いた者が、一方的にもう1人を責めるのは私は感心しないよ」

 フィリクスにまで軽くあしらわれたエミリアだったが、流石にここでは素直にしておくべきだと判断したのだろう、渋々といった様子ではあったが「申し訳ございません…」と謝った。

 勿論その視線はクリスティーナに注がれているわけではないのだが。


「ディアンツ公爵令嬢もこう言っている事だし、貴女も気を悪くしないで欲しい」

 フィリクスはクリスティーナに微笑みながら言う。

 クリスティーナもこれ以上エミリアの怒りを買うのは不本意なので頷いた。

「それではこの話はこれまでにしよう。ところでシャル、母上が誕生日に着るドレスを早く選ぶようにと仰っていたよ」

 フィリクスは妹に向き直って言った。

「その事でしたら問題はありませんわ。今日中には決めましてよ」

「シャル、忙しい様なら私はそろそろ失礼するわ?」

 クリスティーナはこの場を辞する理由が出来たとばかりに彼女に提案したのだが、「あら、クリスは居てくれなくては駄目よ」とやんわりと却下されてしまった。


「今年はシャルがデビューして初めての誕生日だから、母上も大きな夜会にすると張り切っていらしたよ」

「わたくしもシャル様のお誕生日の夜会には絶対出席させて頂きますわ」

 そう言ってにっこりとエミリアがシャーロットに笑顔で告げた時だった。

 シャーロットはそれまで広げて口元を隠していた扇子をピシャリと閉じると、スッと目を細めた。

「ディアンツ公爵令嬢、貴女にわたくしをそう呼んで良いと許可した覚えはありません。不愉快です」

 目元に冷たい色を浮かべると、シャーロットはエミリアを射抜かんばかりの視線で見据えながら言った。

「わ、わたくしは…先程そちらのサンテルージュ家の方が呼んでいらしたからそうしたまでですわ!」

「クリスは良いのです。わたくしの親友ですもの。でも貴女はわたくしの友人でもなければ家族でもありませんわ。ですからわたくしの事をそのように愛称で呼ぶ事は許しません」

「っ…!」

 エミリアは頬を紅潮させ言葉を詰まらせる。


 クリスティーナはその場の雰囲気に徐々にいたたまれなくなり、思わず「あのっ」と声を発してしまった。

 そして彼女以外の3人は揃ってクリスティーナに視線を移す。

「クリス、どうしたの?」

 シャーロットは先程までの冷たい視線を和らげ、隣に座る親友を見つめた。

「えっと…、わ、私シャルのお誕生日が近いって事を今の今まで忘れてしまっていたの…!だから、私もシャルに失礼な事をしてしまっていたわ!」

 苦しい。かなり苦しい内容の嘘だと自分でも分かっている。

 王家の方々の誕生日には、およそ1か月前から祝いのパーティーが開かれるかどうか等のお触れがあるので、勿論殆どの貴族は把握している事だ。

 きっと、シャーロットにもそれが嘘だとバレてしまっている事だろう。

 その証拠に彼女はクリスティーナに向けていた視線に不思議そうな色を浮かべている。


「これは、ディアンツ公爵令嬢はサンテルージュ侯爵令嬢に助けられてしまったね」

 フィリクスはクリスティーナとエミリアを交互に見つめ言った。

 エミリアは更に顔を紅潮させ、クリスティーナを睨むと立ち上がった。

 そして、フィリクスとシャーロットに向き直ると膝を折り淑女の礼を取る。

「申し訳ありませんがそろそろ父の公務が終わる頃ですので、わたくしはこれで失礼いたしますわ…」

「そう。マリア、ディアンツ公爵令嬢がお帰りになるそうよ。外宮まで案内して差し上げて」

 マリアが首を垂れ進み出ると、エミリアを案内する為に部屋から出て行った。

 結局シャーロットが言及した愛称についてはうやむやになった様だ。



 クリスティーナがどうしたら良いか分からずに、エミリアを見送っていると隣から「うふふふふふ」とご機嫌な笑い声が聞こえて来た。

 怪訝に思いそちらを振り返ると、シャーロットが扇で口元を隠したまま笑っているところだった。

「シャル…?」

「やーっと帰って下さったわ!お兄様、いい加減あの方が迷惑なら迷惑とハッキリ仰れば良いのですわ!」

 シャーロットは表情を緩めると兄に向き直る。

「シャル、こちらにも都合(・・)というものがあってね、迷惑だからと簡単に断るわけにはいかないんだ」



(あら…?)



 クリスティーナは会話の中にわずかな違和感を覚える。

「そうやってずるずるとそのままにしていらっしゃると、あの方の事ですしそのまま王太子妃にって可能性もありますわよ?わたくし、それだけは何としても阻止させて頂きますから」

「俺も流石にそうなる前には手を打つさ。これでも色々あるんだよ」


(あっ!)


 クリスティーナはフィリクスの砕けた口調に気付いた。

 先程までのいかにも『王太子』然とした口調とは違い、随分と砕けた口調になっている。

 驚いて静かにしているクリスティーナに視線を向けると、フィリクスはふと微笑む。

「驚ろかせたかな?さっきまでの口調はあくまで表向きなんだ。エド達の様な友人は知っているのだけどね」

「ええ…、はい。そうなのですか…?」

 どう答えたら良いか分からず、返事のみ返す。

「クリスったら、そんなに驚かなくても良いのに」

 シャーロットもクスクスと笑い、クリスティーナを優しく見つめる。

「その、あまりにも突然殿下の口調がお変わりになったのでつい」

「それ、その殿下っていうの無しにしよう。さっきも言ったけれど、俺の事は名前で呼んで構わないよ。君はエドの妹だし、シャルの親友でもあるのだからね」

「ぜ……善処致します」

 


 かなりの急展開に混乱していると、先程エミリアを案内する為に出ていたマリアが部屋に戻って来た。


 

「お話中失礼致します。シャーロット様」

「どうしたのマリア?」

「実は外の雪の状況があまり芳しくない様子で、馬車がこれ以上は出せそうにないと厩の者達が話しておりまして。ディアンツ公爵様方はお邸が王城より近いので、何とかお帰りになられたのですが…」

 その言葉にクリスティーナはギョッとする。

「クリスは邸はどの辺りなの?」

「その、うちの邸は城下でもお城からは離れていて…、今すぐ出発しても無理なのでしょうか?」

 クリスティーナはマリアに縋る様な眼差しを向ける。

 勿論、眼鏡に阻まれて相手からは見えないだろうが。


「はい、サンテルージュ邸までは流石に難しいかもしれません…。申し訳ございません、こうなる前にきちんとお知らせ出来ず…」

 流石にマリアも申し訳なさそうに眉をしかめる。


「それならば、城に泊まれば良いわ!客室は沢山あるのですし。お兄様、良いでしょう?」

「そうだな、一応サンテルージュ侯爵に城に滞在する事は俺から伝えておこう。父上達にもね」

「ありがとう、お兄様!」

 クリスティーナは段々と更に思わぬ方向へ突き進んでしまっている事にどんどん不安になる。

 


 誰が予想したであろうか。

 初訪問で、初お泊りなど。

 しかも王城にだ。



 目の前で有無を言わせずに決まっていく初お泊り計画に、クリスティーナは今日何度目か分からない溜息をこっそりと吐くのだった。

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