第9話 王宮とケーキと親友と———
聖なる日から数日、ここレジェンディア王国では新年を迎え、先日年迎えの夜会も王宮で盛大に執り行われた。
クリスティーナは、シャーロットと約束していた通り年迎えの夜会で王宮に訪問する日取りを決めた。
夜会の翌日、食事の席で両親と兄達に念の為にシャーロット王女を訪問しに王宮へ行く事になったと報告すると両親は揃って驚愕の表情をした。
まさか今まで社交という社交に参加すらしなかった娘が、いきなり王宮へ訪問するという事実に頭がついてこないらしかった。
同席し聞いていた兄達3人は複雑そうな表情を浮かべ、特に上2人の兄達は苦虫を噛み潰したかの様な表情になる。
「クリス、貴女いつの間に王女殿下と親しくなったのです?」
母、キャスリンは本当に分からないという様子で娘へ問いかける。
「デビュタントの時に初めてお会いしました」
「でも、貴女が王女殿下と親しくする姿は見かけなかったと思うのだけれど…?」
「母上、クリスの言っている事は間違ってはいませんよ。王女殿下がお忍びでホールの方にいらして、そこで仲良くなったのです。僕も一緒にいたのでクリスが殿下と親しくなっていたのを見ていますから」
次兄のオルフェンシアがニコリとキャスリンへ微笑む。
「そうですか。オルフェが見ていたなら殿下へ粗相もしていないのでしょう…。クリスは昔から社交の場が苦手だったものだから…。初めて親しくなったご令嬢がまさか王女殿下だなんて、耳を疑ってしまったわ」
キャスリンは溜息交じりにクリスティーナを見つめる。
「キャシー、何はともあれクリスがそうして社交に目を向ける事が出来ているのは何よりじゃないか。相手が王女殿下というのは心配かもしれないがね。クリスもこれをきっかけに、少しずつこれまで避けていた社交に目を向けなければいけないよ。それが侯爵家に生まれた
父、ライオネルは始めこそ父親らしい笑顔で話していたものの、最後の一言を話す時にはスッと笑みを消し、サンテルージュ侯爵家当主の顔になる。
クリスティーナは内心では社交を行うのはごめん被りたかったが、この表情の父に逆らう事はサンテルージュ家の一員として絶対に出来ない為静かに頷いた。
ライオネルはクリスティーナが頷いたのを確認すると再びにこやかな表情に戻り、一家団欒の食事時間を楽しみ始めた。
クリスティーナも当主である父の許可を得た事でクリスティーナも再び食事を始めるが、3人の兄達はその後も複雑な表情を隠せずにいたのだった。
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数日後、クリスティーナは王宮へ向かう為に馬車に揺られていた。
今日は夜会ではなくシャーロットシを訪問する為なので、いつもの夜会用のドレスではなく外出用ではあるが比較的華美では無い淡い水色のドレスを着ている。
朝起きるとオルフェンシアがドレスを用意していたが、今日ばかりは譲れないと侍女のテレサが、キャスリンへ直談判した結果普段からクリスティーナが着用しているシンプルなドレスを着て行くことになったのだった。
髪の毛は夜会では無い為ドレスに合わせ清楚に見える様ハーフアップにし、ドレスの色に合わせ小さなサファイアが付いている髪飾りを付けている。
しかし、兄達もこれだけは譲れないという為アレキサンドリアの用意した眼鏡だけは装着している。
クリスティーナの顔半分が隠れる程レンズが大きく、加えてレンズの厚みもある為眼鏡を外さない限りは彼女の本当の顔に周囲が気付く事は無いだろうという兄達の苦肉の策であった。
クリスティーナは馬車の外を見つめる。
外はかなり気温が低い様で朝から雪がちらつき始め建物の屋根には薄っすらと積もり始めている。
(帰るまでにあまり積もらないと良いのだけれど……)
邸から王宮までさほど遠いわけではないが、あまり雪が積もると馬車が車輪を取られてしまい動かす事が出来なくなってしまう。
場合によっては、失礼ではあるが早めに邸に戻らなければと思う。
「クリスティーナ様?」
目の前に座るテレサが心配そうに声を掛ける。
「ごめんなさい、雪が積もり始めたからあまり積もらなければ良いと思っていたの」
クリスティーナはテレサに向き直って言った。
今日は付き人としてテレサが同伴している。
「そうですね、あまり積もってしまうと馬車が動かせなくなってしまいますでしょうし…。場合によってはクリスティーナ様より丁重にお断りを入れて早めに辞するのが宜しいかと思います」
クリスティーナはテレサの言葉に頷く。
その後再び窓の外を見ると、間近に王宮の門が迫っていた。
「もうすぐ到着ですね。クリスティーナ様、くれぐれも王女殿下に粗相のない様にお気を付け下さいね」
「分かっているわ。友人とはいえシャルの立場は理解しているつもりよ?」
「ならば、これ以上は申し上げる事はございません」
テレサは微笑み頷いた。
2人が話している内に王城のエントランス前に馬車が到着する。
御者が馬車の扉を開けてから2人は馬車を降りる。
すると、2人の元へ1人の女性が近付いてきた。
クリスティーナがその女性を見ると、彼女はクリスティーナの前まで歩み出て軽く膝を折る。
「お初にお目にかかります。シャーロット王女付のマリアと申します。王女殿下よりクリスティーナ様をお連れする様申し付けられ、お待ちしておりました。ご案内致します」
マリアと名乗った彼女は面を上げると「こちらでございます」と言い、王宮内へ向かって歩き出した。
クリスティーナとテレサは、彼女の後ろをついて歩き出す。
エントランスからしばらく歩き、王宮内のとある大きな白い扉の前でマリアは立ち止まる。
扉の前には2名の騎士が控えており、扉自体も細やかな彫刻や装飾が成されておりこれまで通りすがりに見た扉とは違っていた。
「こちらは王宮の内宮に続く扉となっております。申し訳ありませんが内宮へ入るにあたってお2人が危険な物等をお持ちではないかを確認させて頂きたく存じます」
マリアがそう言うと、内宮に入る扉のすぐ左隣にある小さな扉からもう1人の侍女が出てきてクリスティーナ達に扉の中に入るよう促す。
2人は促されるまま扉の内に入る。
中はあまり広くはなく、机と2脚の椅子が置いてあるだけの簡素な部屋だった。
そこでクリスティーナはマリアに、テレサはもう一人の侍女にドレスの上より簡単なボディーチェックを受ける。
クリスティーナはこんなに簡単な検査で良いのか不思議に思い、マリアに尋ねる。
「失礼ながら、クリスティーナ様の兄君様は王太子殿下付きの騎士でいらっしゃると聞き及んでおります。そして、クリスティーナ様はシャーロット様が初めて信頼された御方ですので、私共としても本来はこうした確認はしなくとも構わないのです。しかし、一応は他の方々への手前、初めての来訪ですのでこうして確認をさせて頂いた所存でございます」
「ご容赦くださいませ」と言うと、マリアは丁寧にクリスティーナへ頭を下げる。
「いえ、私はこうして調べられる事は構わないのですが、ただ内宮に入るにしては思ったよりも簡単な確認だと感じたものですから」
クリスティーナ達はドレスの上から簡単に触られただけで、細かいという程のチェックを受けてはいない。
しかも手荷物のチェックに関しても、手土産にと持参したケーキは一応少しずつは毒見役の侍女が口にしたものの、それ以外は特別確認を受けることなく返却されたのだ。
「シャーロット様より
マリアはそれ以上は語らず、にっこりとクリスティーナへ微笑みかける。
テレサと2人、確認を受けると部屋から出る。
マリアが内宮へ続く扉の前に控える騎士へ一言告げると、控えていた騎士2人は大きな白い扉を開いた。
「それでは改めてシャーロット様の元へご案内いたします」
そう言うとマリアは再びクリスティーナ達の前を歩き出す。
内宮は外宮に比べ、思っていたよりもシンプルなイメージだった。
内宮の廊下は、外宮の廊下に飾られている様な豪華な飾りや装飾は殆ど無く、壁にシンプルだがその雰囲気に適している絵画が飾られている程度であった。
外宮に比べると、こちらの方がクリスティーナにとっては落ち着く雰囲気だ。
暫くそう思いながら周囲をチラチラと見ていると、クリスティーナの1歩後ろを歩いていたテレサがじとっと自分を見ている事に気付いた。
恐らく「周囲を見ながら歩くなんてはしたない!」と言いたいのだろう。
クリスティーナは仕方なく見るのをやめ、視線をマリアの背中に戻した。
そうしてしばらく歩いていると、一つの部屋の前でマリアが立ち止まる。
「こちらがシャーロット様のお部屋でございます」
マリアはクリスティーナに向き直り言った。
(ん?!)
「あの…、お部屋って…シャーロット王女殿下の自室ってことでしょうか…?」
扉をノックしようとしていたマリアに問いかけると「勿論でございます」と微笑まれた。
普通の貴族令嬢の邸でならばともかく、初めての訪問なので応接室に通されるのだろうと、クリスティーナは当たり前の様に思っていたのだ。
困惑しているクリスティーナを余所にマリアは部屋の扉をノックし、「シャーロット様、クリスティーナ様をお連れいたしました」と扉の向こうの主へと告げた。
「お入りなさい」
そう部屋の主が告げると、マリアは扉を開きクリスティーナを招き入れる。
クリスティーナがそれに従うと、部屋の主であるシャーロットが期待にあふれた表情で、座っていたソファーから立ち上がるのが目に入った。
「待っていたのよ、クリス!」
そう言うと、シャーロットはクリスティーナの元まで小走りで駆け寄り抱き着いた。
「お招きありがとうございます、シャル」
「良いのよ!だってクリスだもの!」
シャーロットはクリスティーナを放し微笑むと、マリアに向き直り「お茶をお願い」と伝える。
「あ、待って!私、シャルと食べようと思ってケーキを持って来たの」
「あら、わたくしに気を使わなくても良かったのよ?でも、ありがとう。マリア、お茶と一緒にそのケーキもお願い」
「かしこまりました」
マリアはテレサからケーキの入った箱を預かると、主人へ一礼して部屋から出て行った。
「クリスはこっちよ。本当なら冬の庭園に案内してお茶会をしようと思っていたのだけれど、朝からこの雪でしょう?だから今日はわたくしのお部屋でお話しをしましょう」
そう言うとクリスの手を引き部屋の奥にあるソファーへと案内した。
ソファーは部屋で一番大きな窓の近くに据えてあり、外の景色が一望できるようになっている。ソファーの前にはテーブルも置かれており、そこに座りながら晴れた日には景色を楽しむ事が出来る様だった。
「冬の庭園?」
クリスティーナは先にソファーに座ったシャルの隣に腰掛けながら尋ねる。
「ええ、この内宮の庭園は四季がテーマなのよ。春夏秋冬のテーマの庭があって、その季節に見ごろの花々が咲く様に設計されているのよ。今はちょうど冬の庭園にユキシラ花が満開なの」
ユキシラ花はこの国の冬を代表する花で、雪の様に白い小さい花が地面に這うようにして咲き乱れる。
花瓶に生ける事は出来ないが、その咲く姿が本物の雪の様に見える事からそう名付けられたと言われている。
「他にも色々咲いているから是非見せたかったのだけど、残念だわ」
シャルは頬を膨らませ拗ねたように拗ねた様に言った。
「それは次の機会に是非見てみたいわ」
「じゃあ、次の時に雪が降っていなければ今度こそ庭園でお茶会をしましょうね」
そう言ってシャーロットが微笑んだところで、お茶とケーキをワゴンに乗せマリアが部屋に戻って来た。
準備をするマリアをテレサが手伝い、2人の主人達の前にお茶セットを準備する。
「あら?このケーキ初めて見るケーキだわ?どちらのお店のものなの?」
シャーロットは用意されたケーキに目を輝かせる。
「実は、昨日私が作ったの。シャルの口に合うと良いんだけれど」
「貴女が作ったの!?凄いわ!」
そう言うとシャーロットはケーキを一口食べる。
ケーキはクリームたっぷりの見た目に反して、思っていたよりは甘くは無く優しい味がした。
「このケーキとても美味しいわ!今まで色々なケーキを食べたけれど、そのどれとも違ってとても優しい味ね」
そう言ってシャーロットが微笑むとクリスティーナは思わず頬を染める。
「そう言ってもらえて私もとても嬉しいわ」
その後は、クリスティーナも彼女に倣ってケーキやお茶を楽しんだ。
クリスティーナは暫く会話と美味しいお茶を楽しんでいたが、ふと本来の目的を思い出す。
「そうだわ、シャルに約束していた本を持って来たのよ!どれもがとても面白くてお薦めだから選ぶのに悩んでしまったわ」
そう言って、後ろに控えていたテレサを振り返るとテレサは手にしていた包みをクリスティーナへ近づき渡す。
その包みをシャーロットへそのまま差し出すと、彼女は受け取り包みの中を覗き見る。
「こ、これが例の本ですのね!!!」
シャーロットは頬をほのかに染めると、1冊手に取りパラパラとページをめくった。
すると、とあるページでピタリと動きが止まる。
「どうかしたの?シャル?」
クリスティーナが不思議に思い問いかけると、シャーロットは顔をみるみる赤く染め出した。
「なななななななっ!」
そう言うとシャーロットは、視線を本から離さずにソファーに倒れこむ。
「大丈夫!?シャル?」
クリスティーナは慌ててシャーロットを起こそうと手を差し出す。
シャーロットはその手を掴むとゆっくりと体を起こし、顔を上気させ潤んだ瞳でクリスティーナを見つめる。
心配していたクリスティーナだったが、そのシャーロットの表情に思わずドキッとしてしまう。
「なんて素晴らしいのかしら…!」
夢見心地で呟くと、シャーロットは再び本へ視線を落としまじまじとそこに書かれた挿絵を見つめる。
そこには物語に登場する青年2人が、寝台の上で半裸で抱き合い口付けをする様子が描かれていた。
「早速今夜読ませて頂くわ!世の中にはこんなにも素晴らしい本が溢れているのね!こんなに素敵な挿絵まで…!!!」
シャーロットは興奮冷めやらぬ様子で、持っていた本を胸の前で抱く。
「シャルが気に入ってくれたみたいで良かったわ」
クリスティーナは彼女が喜んでくれたのだと知り、微笑み返す。
「それにしても、世の中にこんなにこうした本が溢れているだなんて、わたくしはこれまでこの本に出合えなかったのがとても悔しくて仕方ありませんわ!!!一体クリスは何処でこの本に出合いましたの?」
「私がこの本たちと出合ったのは、4年程前になります。兄と一緒に町中をお散歩している時に立ち寄った、とある本屋さんで偶然手に取ったのがこの本だったのです」
そう言うと、クリスティーナは懐かしそうにシャルに渡した本の中の1冊を手にした。
「中身を見てとても驚きました。これまでこの様な物語があるだなんて、想像すらした事はありませんでしたし。幼いながらにもこの本を兄に強請るのはいけない様な気がして、幼い頃から私の侍女であるテレサにこっそりと買ってきてもらったの。そうして初めて読んだこの本の虜になってしまいました」
クリスティーナはそう言って再びシャーロットに本を手渡した。
「そうでしたのね。でも、そうした出来事が無かったら、今こうして貴女とわたくしは出逢ってはいても仲良くはなっていなかったのかもしれませんわね。そう考えると今、この時を与えて下さった女神セレニティアに感謝ですわね」
シャーロットはにっこりと微笑んだ。
その時、コンコンと部屋の扉をノックする音が響き、シャーロットは入室を許可する。
入室してきたのは王太子付きの近衛騎士だった。
「王女殿下、お話中のところ申し訳ありません。フィリクス王太子殿下が後ほどこちらへお越しになるとのことでございます」
「あら、お兄様が?今日は執務中だったのではなくて?」
「はい…。実は殿下からの御伝言で『エミリア嬢も連れて行く』と…」
その言葉を聞いたとたんこれまでにこやかだったシャーロットは、眉間に皺をよせかなり不機嫌な表情になる。
「あら…。性懲りもなくまだお兄様に付きまとっていらっしゃるのね、あのお方。お兄様もお兄様ですわ、嫌なら嫌ときっぱりと遠ざけておしまいになれば良いのです」
「何分、お相手がお相手でございます。王太子殿下もお忙しい時にはその様に言われてはいるのですが…」
申し訳なさそうに近衛騎士はシャーロットへ頭を下げる。
クリスティーナはおずおずとシャーロットへ声を掛ける。
「シャル、殿下がいらっしゃるのなら私はそろそろ帰る事にするわ」
「あら、クリスが帰る事なんて無くてよ。そもそもわたくしは好んでもいない方をわたくしの部屋へ入れる事は絶対に無くてよ。お兄様には申し訳ありませんけれど、余所を当たって下さいな」
シャーロットはクリスティーナへ優しい微笑みを向けた後、騎士に向かっては冷たい態度で言いつける。
「それが、王女殿下はそう言われるだろうからと、フィリクス王太子殿下より応接の間にいらっしゃるようにと…」
益々シャーロットは不機嫌になる。
「わたくし、お兄様に今日は親友と過ごすとお伝えしていた筈ですわよ…」
「ご友人も一緒で構わないと」
「いえ…、私など殿下方と同じ席に着くなど…」
恐らく王太子が連れてくるという事は余程親しい女性なのだろうと考え、クリスティーナは丁重に断る。
「分かりました。クリス、申し訳ないけれど少しだけわたくしに付き合って下さらない?」
「でも…。あ、私そろそろ帰らないと雪で邸に戻れなくなってしまうの」
「戻れない時は客室が余るほどありますから、心配いらなくてよ。さぁ、行きましょう」
シャーロットは立ち上がると有無を言わせずクリスティーナへついて来るようにと促す。
クリスティーナはテレサにチラリと視線を送るが、テレサもシャーロットへ従う様にと視線を送る。
(まさかこんな展開になるなんて…)
クリスティーナは小さく息を吐き、しぶしぶとシャーロットに従うのだった。
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