第2話 歪な愛情

 今、私は人生でこれまでにない位苦しい思いをしています…。


「クリスティーナ様!もっと息を吐いて下さいませ!」

「っ…!吐いてるっ!もうこれ以上は無理ぃー!!!」

 クリスティーナは侍女二人がかりでコルセットの紐を締め上げられ、お昼までに食べたもの全てを胃の中から絞り出されるんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。


「クリスティーナ様、ドレスがこれなんです。それならせめてクリスティーナ様の隠せないスタイル等でカバーするしかないんですっ!」

 侍女のテレサは幼い頃から一緒に過ごしただけあり、他の侍女よりは遠慮なくクリスティーナに話しかける事はあるが、今日はいつもより酷い気がする。


「でもこんなに締められたら、夕ご飯ほとんど食べれなくなっちゃう~~っ…」

「夜会ではそんなものですよお嬢様。淑女たるもの殿方のいらっしゃる前では食い意地を張るものではございませんよ」

 そう声をかけるのはクリスティーナの乳母であり、テレサの母でもある侯爵家侍女長のメリッサである。

「メリィ…、でもこれは締めすぎだわ」

「お嬢様はスタイルがとてもよろしくていらっしゃいますからね、私共も磨き上げるのが楽しいのでございますよ。特にテレサはお嬢様のデビューは腕によりをかけて磨き上げると息巻いていましたからね」

「お母さんっ!」

 言われたテレサは思わず仕事という事も忘れ、素で抗議すると「これ、お嬢様の前ですよ!」とメリッサに叱責され、すぐに「申し訳ございません、侍女長様」と首を垂れる。


「良いのよ?私の前で位は普通に親子として話しても」

 コルセットを装着し終わったクリスティーナは二人を交互に見ながらそういった。

「いえ、公私はきちんとせねばなりません。私共は侯爵家の使用人として誇りをもって励んでおりますので、お嬢様の前であっても公私混合はするわけにはまいりません」

 そう言ってメリッサは、クリスティーナへ一礼した。

 その姿は、長年侯爵家に仕えてきた使用人としての誇りを誇示するには十分な姿であった。

 見ていたクリスティーナが一瞬返事に戸惑うくらいには。


「さあさあ、ゆっくりしているとすぐに時間になりますよ。手を止めてないで、我が家のお嬢様をどこのご令嬢にも負けない位に着飾りますよ!」

「「「はい」」」

 それまで手を止めていた侍女たちに、あれよあれよという間にドレスを着せられ、お化粧したりお飾りを付けたりと、クリスティーナは成すがままの状態であった。





「さあ、クリスティーナ様!準備万端ですよ!」

 テレサ達がクリスティーナの前に大きな姿見を移動させ、クリスティーナ自身に姿を見せる。

「流石オルフェお兄様ね!素敵なドレスだわ。テレサ達もありがとう。こんなに素敵にしてくれて」

 クリスティーナは、昨日オルフェンシアからプレゼントされたドレスを身に纏い、毎日テレサ達に手入れされている艶やかなミルクティー色の腰まである長い髪の毛を編み上げサイドに流れる様に結い上げている。

 いつもはしない化粧までしており、その姿は正しく貴族の令嬢と呼ぶに相応しい姿だった。

 そう、そのドレスと目元にかけている眼鏡さえなければ……。


「クリスティーナ様、本当にそのお姿で行かれるおつもりですか…?」

「あら、勿論よ?」

「でも…」

 テレサは何とも言い難い気分だった。

 目の前のクリスティーナは、だれが見ても自分たちが毎日手をかけて磨き上げているだけあって美しい。

 クリスティーナは自身が平凡以下だと思っているようであるが、実際の所は誰が見ても美しいと思う程の容姿である。

 そう、あの妹に激甘な兄君達の邪魔さえなければ……。


 そうテレサが考えていると部屋にノックが響き、他のクリスティーナ付きの侍女がアレキサンドリアとオルフェンシアの来室を告げた。

 クリスティーナが兄達の入室を促すと、夜会用の衣装に身を包んだ二人が現れた。


 流石、と言うべきだろう。

 クリスティーナも美しいが、兄二人もかなりの美形だ。

 長兄のアレキサンドリアはいつもの様に髪を結い上げてはいるが、今日はクリスティーナのエスコート役という事もあり、ドレスの色が映える様に白を基調とした衣装に身を包んでいる。

 勿論ちょっとしたアクセサリーにはエメラルドを使用している物を選んでおり、お揃いである事を主張するのは忘れない。

 次兄のオルフェンシアはミルクティー色の髪をオールバックの様に、後ろになでつけてセットし、白い衣装だがクリスティーナと同じ様にエメラルドグリーンの布をところどころ使用したものを着ていた。

 二人が並ぶと後ろに薔薇が見える様な気さえする。


「はうっ、こ、これぞまさに薔薇の君と雛菊の君ですっ…!」

 クリスティーナは兄二人を見ると、頬を赤くして手近にあったソファーにふらふらと座り込む。

「クリスティーナ様!?」

 うっとりとしたままクリスティーナは別の世界へ思いを馳せている。



(まずい…!)

 


 テレサはクリスティーナの肩を軽くゆすり、彼女を現実に引き戻す。

「はっ!?いけない、私ったら!」

「しっかりなさって下さい、どうしたというのですか?」

「だって、お兄様方が昨日読んだ物語の殿方の姿絵にそっくりでいらしたものだからつい」

 小首をかしげて「許してちょうだい」と呟くクリスティーナは、まるで天使だ。


「おや、僕のクリスティーナは顔が赤いけどどうしたのかな?」

「なんでもないわオルフェお兄様。ちょっと考え事をしていただけよ」

 クリスティーナはパタパタと手で顔を扇ぐ。


「それはそうと、クリス今日の流れはもう覚えたのか?」

「勿論!きちんと覚えたわ。お兄様と一緒に名前が呼ばれたら会場に入って、デビューする令嬢が全員揃ったら国王陛下のお話があって、それからホールでダンスを踊る事になっていると先日お兄様が教えて下さったばかりですもの」

「そうだ。一通りの流れが終われば、その後はその場に集まった他の貴族たちも混ざってのダンスになるが、別にそれは無理して踊る必要はない。なるべくそばにはいるつもりだが、ダンスの後には職務上挨拶に回らなければならない。心配ではあるが…一人で大丈夫か?」

「大丈夫ですよ、兄上が傍にいる事が出来ない時には僕がいますから」

「お兄様達ってば心配しすぎよ!今日から私も大人の仲間入りなんですもの、サンテルージュ家の名に恥じない位の立ち居振る舞いは出来ます!」

 胸を張って答えると「そうだったね」と、オルフェンシアは微笑んだ。


「そういえば、今日はエドも一緒に王宮まで行くらしいよ」

「エドお兄様が?」

 エドお兄様ことエドワルドは侯爵家の3男で、クリスティーナのすぐ上の兄にあたる。

 普段は王宮で王太子付きの近衛兵として働いている為、王宮での夜会では、職務上王太子の傍近くに控えることが多く、こうして邸から向かうのは稀である。

「王太子殿下が、妹がデビューならたまには一緒に出席する様にと仰られたらしいな」

「王太子殿下が?」

「殿下の妹姫も今年デビューだからね。殿下なりの計らいなんじゃないかな?」

「そうなのですか。殿下はお優しい方なのですね?お顔を拝見した事はありませんけれど、お噂ではとても素敵な方と聞きました」

 前に侍女や両親が話していた殿下についての噂を思い出しながらクリスティーナが言うと、不意に二人の兄に黒いオーラが見えた。


(えっ、私何か悪い事を言ってしまったかしら…!?)


「クリス、殿下は確かにお優しい方かもしれない。けれどね、それはあくまで表面的なものかもしれないから、素直に信じてはいけないよ?僕たち兄弟ならともかく、家族でもない男を淑女たるものそうやすやすと噂だけで信じてしまうのは如何なものかと僕は思うんだ?」

「そうだな。それにエドは、王太子殿下と寄宿学校時代に友人だったらしい。今回の計らいも友人に対する特別な思いからかもしれん。王太子殿下が特定の部下に今から贔屓をするというのは些か問題があるが、何せクリスのデビューに関する事だ。内務部のものへは殿下の対応についての抗議は控えて然るべきだな」

 二人は続けざまにまくし立てて話す。

 しかも、もの凄い笑顔で……。

 二人から黒いオーラが消えていない事からも、それ以上突っ込んではいけないと、クリスはこれまでの経験上知っていた。


「そ…、そうね。き…気を付けるわ!!!」

 クリスがうんうんと頷くと、二人の兄は満足したのか普通ににっこりと微笑み「それじゃあ、また後でね」と言うと部屋を後にした。


「ひ…久しぶりにお兄様達の黒いオーラが見えたわ…。私、そんなに酷い粗相をしたかしら!?」

 クリスティーナは全く思い当たらないので、隣にいたテレサに訴える。

「そうですね、あえて言わせて頂くならば、王太子殿下をお褒めになった事ではないかと思います」

「そうなのね!お兄様も簡単に噂を信じてはいけないと仰られたものね。簡単に信じてしまった私がいけなかったのだわ。淑女たるものきちんと自分の目で見たものを正しく判断しなければいけないものね!」

 スッキリした笑顔で頷くクリスティーナを横目に、テレサは溜息を吐く。


「クリスティーナ様は素直すぎます…」

「え?何か言った?」

「素直すぎると申したのです。兄君達は、クリスティーナ様が王太子殿下を褒めた事に対して、やきもちを妬かれたのです」

 テレサはじと目で主人を見て言った。


「でも、お兄様が妬く必要なんて無いと思うのだけれど…。私、殿下にお会いした事すらないのよ?」

「会った事も無いのに褒めるのが、お気に召さないのだと思います…」


 クリスティーナの兄達は、昔からクリスティーナに近付く男は彼女に気付かれないようにして秘密裏に彼女の周りから排除してきた。

 勿論、クリスティーナ自身はそれを知らない。


「兄心って難しいのね。よく分からないわ…。それよりテレサ!さっきお兄様が言っていたけれど、エドお兄様が殿下とご友人というのは本当かしら?」

「ええ、それは間違いございません。勿論エドワルド様が武芸に秀でていらっしゃる事もありますが、そうした理由からも、近衛騎士団に入団後に王太子付きに任命されたのだと旦那様が以前、仰っていました」

 テレサの話を聞くと、クリスティーナはキラキラと瞳を輝かせる。


(しまった…!!!)

 

 テレサが気づいた時には一足遅かった。

「じゃあじゃあ、殿下がエドお兄様に特別な思いを抱いていらっしゃるというのも、もしかしたら本当なのかしら!?あー、どうしましょう!益々今日のデビュタントが楽しみになってしまったわ!!!」

 クリスティーナは頬をピンクに染めながら自分の世界に浸っている。

 テレサは再び、クリスティーナを現実に戻すべく肩をゆするのだった。




***********************************




 アレキサンドリアの部屋にて、クリスティーナを除く3人兄弟が集まっていた。


「それにしてもクリスは何を着ても似合いますよねー。あのドレスを着たクリスが微笑む姿はまさに天使です」

 クリスティーナの姿を思い出しながら、オルフェンシアはうっとりと語る。

「あのドレスなら、声をかけようとする輩もそうそういないだろうな」

「兄上の渡した眼鏡をかけさせれば、顔もろくに分からない状態になりますしね」

 どす黒いオーラを放ちながら笑顔で話を進める二人の兄を見ながら、エドはどうしたものかと考えていた。


(こりゃ、マジで近づく男どもを蹴散らしそうな雰囲気だよなぁ……)


「そういえば、さっき兄上がエドと殿下の事をクリスに話していたんだけど、もしかしたらクリスの事だし、エドと殿下が特別な関係だと勘違いをするかもしれないね」

「は!?冗談だろ!!?」

 まさかの展開に、エドワルドは思わず椅子から立ち上がる。


「冗談で済めばいいのだけどね。何せクリスはそういった物語が大好きな子だから。さっきも僕と兄上の姿を見て、この前隣国で仕入れて来た小説の登場人物と間違えていた位だし、冗談にはならないかも」

 にっこりと微笑みながら弟を見れば、頭を抱えて項垂れてしまっている。

「なんだ、もしかして本当にそういう関係って訳じゃないだろうな?」

「アレク兄さんまで…。マジで勘弁してくれって……」

「冗談だ」

 アレキサンドリアはフッと笑うも、よく見ると目は笑っていない。


(いつもこうだ…)


 何だかんだで、クリスの事で暴走しがちな兄の尻拭いをする羽目になるのがエドワルドだった。

「良いよ、適当な所で訂正入れとくから…」

「いつもすまんな」

 どんな形であれ、3男である自分を兄達が頼ってくれるのは悪い気はしなかった。


「で、俺はまだ見てないけどそんなに酷いドレスなのか?」

「マダムシシリーから届いたデザイン画を見るかい?」

 オルフェンシアはそういうと、控えていた侍女に自室から持って来させ、エドワルドに差し出した。

「…何て言うか。これは無いだろ?クリスは16だぞ…?」

「可愛いだろ?」

「子供が着ればの話だな…」

「私たちからすれば、クリスはまだまだ子供ですよ。彼女は素直すぎて、社交界に独り立ちするには危うい」


(そんな事言ってるからあいつも成長しないんだろうが…)


「エド、今そんな事言ってるから~とか思っただろ?でもね、僕や兄上からすれば本当にクリスはまだまだ知らない事も多すぎて、子供みたいなものなんだ」

 実際、長兄はクリスと9歳、次兄は7歳離れており、エドにも子供扱いしたい気持ちが分からなくもない。

「分かったよ。でも、あの仕事にはプライド持ってるマダムがよく仕立てたよな。普通、子供服を大人向けにサイズ合わせて仕立てろなんて依頼は受けそうにない」

「エド、僕を誰だと思ってるんだい?」

 エドワルドが視線を向けた先にはにっこりと微笑んだオルフェンシアがいる。


「…おいおい、冗談だろ?」

「おや?エド、何か勘違いをしているんじゃないかい?あくまで・・・・僕は綺麗なままだよ?」

「それなら良い…」

 笑顔がどす黒く変わっていく様子を見て、エドワルドは急いで視線を逸らす。


「アレキサンドリア様、オルフェンシア様、エドワルド様王宮に向かう準備が整いましてございます」

 いつの間にか部屋を訪れていた執事が、3人へ告げる。


「じゃあ行くか」

「そうですね。参りましょう、兄上」

「ああ。そうだな」


 そう言うと、3人は立ち上がり可愛い妹の社交デビューの為王宮へ向かうのだった。

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