第18話

 翌朝、昨日の穢れを辿って駅を訪れると、人だかりができていた。その中心を覗き込むと、血の跡と、昨日の女の首に光っていたネックレスが落ちていた。

 集まった人々の話を聞いていると、どうやら女が男を襲ったらしいということと、どちらも命には別状ないらしいということだけはわかった。人の輪から抜け、ホームの端に目を向けると、昨日よりも輪郭がぼやけて溶けそうな穢れがヒミの方をじっと見つめていた。

「…結局、殺せなかった。私自身が、私を止めたの。あんなにひどい捨てられ方したのに、零れ落ちた私がいくらあの男を憎んで殺そうとしても、私自身は、庇おうとするの。私が悪いみたいに。」

 穢れは一旦目を伏せてから、もう一度ヒミを見つめて、ささやいた。

「もう、私がいる意味がないから。早く消して。居場所も行くところも無いの。」

 悲しみをにじませた声音にその目を見れば、ぼとり大きな涙を流した。

 何か声をかけてやりたいとは思うものの、肝心の声を持ち合わせていない。

「一緒に泣いてくれてありがとう。赤い目の祓い子さん。」

 涙こそ流れはしなかったが、穢れにはヒミが泣いているのだと理解しえた。

 そして、ヒミは考えるよりも先に手足が動いていた。

「え。なに?どこに行くの?」

消されるものだと身構えていた女は、唐突に捕まれた腕を引かれ、歩き出したヒミに従った。




「で?どちらさまですか?」

 ヒミは穢れを連れてコウの所へ来ていた。

「ヒミ?…この女性は穢れですよね?どういうことですか?…本人に聞いた方が早そうですね。」

「消されると思ったんだけど、突然この祓い子さんが…」

「ヒミに連れてこられたということですね?では、この女性をここに居させてほしい、ということですか?合ってますか、ヒミ。」

 ヒミはひとつ頷いた。

「え…どういうこと?私消されるんじゃないの?」

「ここでは、あなたのような方なら大歓迎ですよ。だからヒミも連れて来たんでしょう。」

「でも…」

「あぁ、そういえばあなたの名前を教えていただけますか?」

「私の…名前…。私には、名前は無いの。名前はもらえなかったから…」

「そうですか…。」


『霞。そなたに霞という名をつけよう。どうだ?』

洞窟の暗闇から現れた大きな影は低い声で穢れに名をつけた。

「霞…かすみ。私の…名前…。」

『そうだ。我が名をつけたのだ、その名を持ってここで暮らせ。よいな。』

「ありがとう…。」

霞と名付けられた穢れは、涙を溢しながら嬉しそうに笑った。


 ヒミは霞の笑みに見惚れていた。こんなにも優しい笑顔の穢れを消さずに済んでよかったと、後のことなど考えに上らなかった。

ぼんやりしていると、横から声をかけられた。

「ヒミは優しいですね。この女性を救った。良いことをしましたね。」

言葉の意味を理解するのに少しの間があったが、府に落ちてしまえば手が震えた。

 こんなことはもう何年ぶりだろうか。

 褒められた、

 褒めてくれた。

 優しく笑いかけてくれた。

 ああ、なんて嬉しい。

 嬉しい、嬉しい。

 総毛立つような喜びが腕を、背を駆け抜けた。

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