第14話
「そうだな。」
「…」
「まあ、あれだ。たまには街に出かけたりしたらどうだ?」
「…」
「そうか。ほら、映画とか、買い物とかさ。」
「…」
「一緒に行くか?」
「…」
「わかった。連れて行くから。」
「…」
「気が向いたら、俺に言えよ。」
先程から続く不思議なやり取りをじっと見ていたキナリに、トキワが話しかけた。
「キナリも連れて行けって。ヒミが言ってる。」
自分の名前が今の会話に出ていたことに驚きつつも、キナリは少し寂しく思った。
「いいなぁ。私もヒミの声が聞こえれば良いのに。」
「まあ、相変わらず聞こえる時と聞こえない時はあるが、前より伝えようとしてくれるようになったからかな。」
「ふぅん…私ヒミの声好きなんだけどな。あったかくて優しい声。」
「…」
「そんなことないって言ってるぞ。」
「…」
「ああ。またあとでな。」
ヒミはトキワとキナリに手を振るとその場をあとにした。
ヒミの背をしばらく黙って見送っていたトキワだったが、重い調子で口を開いた。
「なあ、俺、ヒミが口伝されるはずだった術がどんなのか、宮司に聞いてみようと思うんだ。」
「え?」
「それがわかれば、もしかしたら状況が変わるかもしれないだろ?」
「うん…そうかもしれないけど…」
そのままトキワは宮司のもとへ向かった。
「ヒミの…?」
「はい。何かのきっかけにならないかと…」
「ヒミはすでにその術を使っておるぞ。」
「は?いや、しかし、口伝は…」
「されておらぬが、あの声を失った日もその術を使っておったが。」
「え…?」
「あら、お嬢ちゃん。コウに会いに来たの?っていうか声が出ないのね。本当にかわいそう。」
黒蝶の女は「かわいそう」と言いつつも心底面白いというふうな笑みを貼り付けていた。
「ああ、でも声も特に必要ないわよね?いつも一人なんだから。」
もし悪気なく発した言葉だとしても、ヒミの心には鋭利すぎた。表情を失ったヒミを見て女は笑みを深くした。そして観察するようにじっと見つめた。
「…コウなら助けてくれるとでも思ってる?あの人はね、誰にでもああだから。あなたに特別優しいわけじゃないから、勘違いしない方がいいわよ?」
きっと色が見えていたなら、真っ赤であろうその唇が弧を描いた。
「あ、ほら来た。私は邪魔しないであげる。またね。」
ひらひらと手を振って女は消えていった。
「ヒミ?会いに来てくれたんですか?」
いつもと同じ、完璧な笑みを形作ったコウに、ヒミはひとつ頷いた。
「…やはり声が、出ないんですね。」
やはり、と言うあたり何か知っていたのだろうということが、今のヒミには気づけない。暫く無音の時間が流れる中、先ほどひらひらと消えた女が戻ってきた。
「ねぇ、コウ?あの方が待ってるわ。こんなつまらない子放っておいて早く行きましょう?」
「芙蓉、先に行ってなさい。」
「いや。邪魔しないであげるつもりだったけど、気が変わっちゃった。」
無邪気に笑ってコウの腕にその腕を絡ませた。
「ヒミ、また来て下さい。私に会いに来てくれませんか?」
こくりと頷いたヒミに、コウは微笑むと、芙蓉に腕を引かれ消えていった。
まだ、音は聴こえる。
色は無いが、形も見える。
触れれば、感触もある。
風が吹けば、匂いも感じる。
まだ、大丈夫。
例えば、ハナだったら。
彼女ならば、たとえ声が無くてもその愛らしい顔で微笑めば、その丸い瞳を潤ませれば、その柔らかな頬を膨らませれば、それだけで誰もが心を動かされるだろう。
それなのに、なぜ自分が。
声があったとしても、何一つ、思い通りにならないというのに。
とりとめのないことを考えて、ヒミは白黒の視界を閉じた。
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