第5話
「やはり何かおかしいか。」
「はい…。」
「ヒミの怪我はどうだ。」
「火傷のようでしたが、穢れに触れたせいだと…。」
「穢れが襲ったか。」
「…わかりません。」
宮司からの質問攻めに、初めこそ率直に答えていたトキワだったが、ヒミのことは、よくわからなかった。先刻の様子ではヒミが穢れに近づいたように見えた。しかし、何が起きたのかはわからなかった。
「ヒミの心を読んだか?」
「断りなく読むような真似はしません。でも…、もしヒミが危険な目に遭おうとしているようなら、迷わず読みます。」
「そうか…。そろそろハナも祓いに行かせるか。」
「アオイが面倒を見ておりますので、私にはわかりませんが、問題無いかと思います。」
「例えば、の話だが。ヒミとその二人をともに向かわせたとして…これまでとは様子が違う。もしも危険に晒されたとしたら、どうなると思う?」
「ヒミもアオイも器用なので、ハナを助けながらでも、大丈夫だと思いますが…、万が一何かあった場合は…ヒミが犠牲になるかと思います。」
「そうであろうな…。」
数日後、宮司はアオイにハナを連れて行くよう告げた。
「アオイ。ヒミも連れて行け。」
「ヒミを…ですか?」
「ハナは初めてだ、ヒミがいた方が良いだろう。」
「…はい。」
宮司に言われた通りアオイはヒミに声をかけた。
「ヒミ、行くぞ。」
「え…私も?」
「なんだよ、嫌なのか?」
「だったら…私一人でも…。」
「ハナが一緒だから、お前も連れて行くように言われた。」
「…ああ、わかった。」
3人が岩戸をくぐり抜けると、海辺の岩場らしかった。黒い靄はすぐに見つかったが、濃くなったり薄くなったりを繰り返し蠢いている。これまでヒミやアオイが見てきたものよりも生き物のような印象だ。
それでもいつもと同じように鏡でもってアオイが祓いをした。薄くなったことにホッとした3人だったが、消される直前に最後の抵抗を見せた穢れは、その身から黒い気体を放った。ハナへと向かって放たれたのを目の端に捉えたヒミは、咄嗟にハナの背を押した。
「ハナ…っ!」
「きゃっ!」
ハナの短い悲鳴にアオイが振り向いて見たのは、ヒミがハナを突き飛ばしたところだった。
「何してんだよヒミ!」
「あ…、ごめん…。」
「ううん、ありがとうヒミちゃん。」
「大丈夫か?」
「ヒミちゃんが助けてくれたから、大丈夫。」
「助けるにしたって、もう少し優しく出来ないのか、お前は。」
ハナを見れば、手のひらを擦りむいたようだった。
「…ごめん。帰ったら手当てを…」
「俺がやるから。お前は宮司に報告を頼む。」
「…わかった。」
手の平と膝を僅かに擦りむいたハナの手をとり、砂を払い落としたアオイの後ろから、少し離れてヒミは歩き出した。
「アオイくん、ありがとう。」
「いや、痛むか?」
「ううん大丈夫。私よりヒミちゃんが…。」
「あいつなら大丈夫だ。」
「…うん。」
そんな会話を聞きながらも歩を止めることなく、途中から二人と別れ神の社へ戻り、宮司のもとへ報告に行った。
「ご苦労だったな。二人はどうした?」
「ハナが少し怪我をしました、アオイがいま手当をしております。」
「そうか。ハナの方は軽い怪我で良かったな。」
「では失礼いたします。」
「…そなたも手当てをするのだぞ。」
「…はい。」
ああ、やはり気づかれたかと考えながら、痛む足を引きずるように外へ出た。ハナを咄嗟に突き飛ばしたはいいものの、自分の足に黒い穢れが絡み付いた。すぐに祓ったが以前と同じように火傷のような傷を残された。ジクリジクリと痛むのを堪えながら、家の扉を開け、中へ入った。
「おい、入るぞ?」
「ちょっと待っ…!」
「…どうした。また怪我したのか?」
「ちょっとだけ、なんともないよ。」
「貸せ。それ巻いてやる。」
突然の訪問者に一瞬驚いたが、現れたのがトキワだったことに安堵し、ふくらはぎに包帯を巻くことに苦戦していたヒミは感謝とともに素直に包帯を手渡した。
「…ありがとう。なんでいつもタイミングよくトキワが来るんだろう…」
「足引き摺って入って行くのを見かけたんだよ。…今度はどうした。」
「どうもしてない。」
「なんでそんな泣きそうな顔してるんだよ。アオイにまた何か言われたのか?」
「…違う。」
「…素直にならないと、きっと辛いままだぞ?ちゃんと言ってみろよ、アオイに。」
「素直に…?何を言うの…?」
「寂しいって。」
「違う。」
「お前、」
「…良いの。」
「しょうがない奴らだな、全く。」
「トキワも…放っといてくれて良いから…。」
「何言ってんだよ、こんなに『辛い、苦しい』って顔してんのに。」
「…私は、平気だから。きっとすぐに慣れて…、大丈夫にならないといけないから。」
「お前、なんでそんな卑屈になってんだよ、わからないのか?キナリも心配してる。ハナだって気にしてる。それでいいのか?」
包帯を巻き終わった脚をトキワから引き戻すと、俯いたまま呟くように発せられたごめん、という声に、トキワは眉を顰めた。自分の言葉の意味が伝わらなかっただろうか、一人で無理をする必要はないのだと、わからないのだろうか。
「謝ってほしいわけじゃない。」
「…わかってる。」
「あ?」
「わかってるから。」
「おい?」
呼び掛けには答えず、ヒミはそのまま背を向けて出て行ってしまった。少し言い過ぎてしまったかと、俯いたまま「わかった」と答えたヒミに一抹の不安を抱えトキワもその場を後にした。
やはり聞こえる。今度ははっきりと。
『ヤメテ、ケサナイデ、ココニイタイ、ドウシテ、ナニモワルイコトナンテシテイナイノニ…』
「ヒミ!待って!」
ヒミとハナは2人で祓いに出た。洞窟の中で見つけた穢れはサイズこそ小さい。しかしやけにはっきり聞こえる声にヒミは吸い寄せられていく。今度は自分が助けなければと、ハナはヒミの腕にしがみついたが、その隙をついたのは穢れだった。ハナを突き飛ばすようにぶつかってきた。その衝撃で我に返ったヒミは、慌てて紅玉のついた鏡を向け穢れを祓った。しかし、一向に消える気配がないどころか、増大しているようにさえ見える。しまいにはヒミを取り込むように覆ってきた。全身が刺されるような痛みを感じた瞬間、懐に冷たさを感じた。何かあったときのためにと、宮司が持たせてくれた水晶の守り刀だ。懐からとりだし、目の前の暗闇に突き刺すと、そこから光が漏れだし、暗がりは消えた。
つきとばされたまま起き上がらないハナに駆け寄ると、穢れに触れた上に地面に倒されたショックで気を失っているようだった。
神は見ていたはずだ。宮司が誰かを呼び寄せ、きっとすぐに誰かが来てくれる。そう考えている内に、岩戸が開く気配がして、暗い洞窟に青い光が2つ見えた。
「ハナ、アオイが来たよ…私も、少し休んだら戻るから。先に二人で帰ってて。また怪我させてごめん。」
そこにハナを残し、ヒミはアオイから見えないよう岩陰に身を隠ししゃがみこんだ。朦朧と淀んでいく意識の外側から、「ハナ!」と呼ぶアオイの声が聞こえた。
「ハナ…ハナ!」アオイが肩を揺らし声を掛けると、ハナはうっすらと目を開けた。
「大丈夫か?」
「…アオイくん?」
「どこか痛むか?」
「大丈夫…ちょっと肩が痛いだけ。」
「ヒミはどうした?なんで一人で…。」
「ヒミちゃん…、居ないの?」
「ああ…、とにかく一旦戻ろう。」
「探さないの…?」
「先に戻っているかもしれないしな。それにその肩、痛いだろ?」
「…うん。」
二人の気配が遠ざかったことを確認して、ヒミは眠りの淵へと落ちて行った。
アオイはハナをキナリに預け、トキワの所へ向かった。
「…まだ戻ってない?」
「ああ。ハナと一緒じゃなかったのか?どういうことだ?」
「俺が行った時には、ハナ一人だった。倒れてたけどな。」
「倒れてた?一人でか?」
「ヒミはいなかった。意識の無いハナを一人置いて逃げるとは思えないが…、どこかに攫われたとも思えない。」
「…もう少し待って戻らなかったら、探しに行こうか。」
ハナの手当てを終えたキナリが二人の所へ駆けて来た。
「ハナの肩、軽い打撲だから大丈夫だよ。…あれ?ヒミは?」
行方を知らない二人は、何と答えて良いのかわからずに顔を見合わせた。
「…いないの?」
「行方不明だ。」
「行方不明?」
「…ハナの服に、血が付いてたから…ハナがどこか怪我してるのかと思ったんだけど…、外傷は見当たらなかったの。だとしたら、ヒミが怪我してるのかも…っ。」
「…本当に居なかったんだな?」
トキワは再びアオイに念押しした。
「ああ…多分…。」
「どこかであいつも倒れてるんじゃないのか?」
トキワから問いかけられるたび、アオイも不安になってきていた。自分が気づかなかっただけで、どこか近くに倒れていたのではないか。
「見える所には居なかったけど…俺、もう一度探しに…」
そうアオイが言いかけた時、音もなくヒミが現れた。
「ヒミ!どこ行ってた?大丈夫なのか?」
「ちょっと休憩してただけ。何ともないよ。」
「何ともないなら何で…!」
アオイはヒミの平然とした態度に苛つき、責め立てた。
「どうしてハナを一人置いて行った?怪我してたんだぞ、危ないだろうが。」
まだ何か言いたそうにしているアオイの前にトキワが割って入った。
「まあ二人とも無事だったんだ、いいじゃないか。」
ごめん、と言うと、ヒミは顔を伏せたまま三人の前を通り過ぎようとしたが、それまで黙っていたキナリがヒミの腕を引いた。
「待ってヒミちゃん!」
「何?」
「本当に大丈夫?…怪我してるんでしょ?」
「怪我?無いよ。」
「でもっ、顔色も悪いし、血の匂いが…っ!」
「血?…気のせいじゃない?」
「ヒミちゃん…っ!」
袖をつかんだまま、振り払うことも咎めることもされず気が付くと、キナリは足を止めずに歩くヒミと一緒に歩いてヒミの家の前まで来ていた。
「ちょっと疲れたから少し寝るね、おやすみ。」
そこでようやく、ゆるりと手をほどかれた。
「あ…うん、おやすみ…。」
暫し立ちすくむキナリだったが、ヒミが出てくる気配がないことに諦め、トキワの家へ戻って行くと、そこにはトキワが一人ソファに深く腰掛け、宙を見上げてぼんやりとしていた。
「ちょっと寝るって。締め出された。」
「そうか。」
「トキワもわかったでしょ?血の匂いがした。顔色も悪かった。きっとどこか怪我してるのに。」
「だろうな。」
「やっぱりもう一回行ってくる!」
「…俺も行くよ。」
扉を叩いても声を掛けても、ヒミの動く気配がしない。カギはかかっていなかった。
「ヒミちゃん?入るよ?」
中に足を踏み入れると、暗い室内に窓からの月明かりだけが照らす中、ヒミが倒れていた。
「…ヒミ?おい!どうした?」
「ヒミちゃん!」
「え…?あれ…ごめん…床で寝ちゃったみたい…」
呼ぶ声に薄く目を開き、二人の姿を確認すると、ヒミは力なく笑った。目を開けたことに安堵する二人だったが、明かりをつけ、目線を動かした先に不自然な色を見つけた。黒い服の肩口が、近くで見ると濃く変色している。
「なんで黙ってたの?こんなの、放っといたらだめだよ!早く手当てしないと!」
「大丈夫だから…。」
キナリが薬類を取りに出て行き、また重くなった空気に、トキワの低い声が動いた。
「…ヒミ、迷惑をかけたくないと思うなら、このやり方は良くない。」
「ごめん…。」
「謝ってほしいわけじゃない。もう無理はするな。いいな。」
「…。」
キナリが戻ってくるなり、傷の手当てが始まった。
「ちょっとトキワ!ヒミちゃん女の子なんだから後ろ向いててよね!」
「…わかってるよ。」
手当てをしながらも涙が止まらないキナリに、ヒミは申し訳なくなった。
「大丈夫だから、キナリ、泣かないで。」
「だって…っ、こんなの、痛い…っ」
「お前が痛いわけじゃないだろ?」
「見てるだけで痛いの!」
「ごめんこんなの見せられて…嫌だよね…。」
よく見れば、火傷のような跡だけでなく、深く切られたような傷が数ヶ所あった。それなのに服には破れた跡も切られた跡もない。
「ううん違うの…。他には?肩だけ?」
「…反対側の腕もだろ?」
「え!」
「…左足もか。」
「…心が読めるって、ずるいなぁ。」
「悪いな。」
「…ううん。ありがとう。」
「ねえ、やっぱりハナに治してもらった方が…」
「お願い、黙ってて。平気だから。」
「ヒミちゃん、寝ちゃった。」
「貧血だろ。あたりまえだ、これだけ垂れ流してたらな。」
「うん…。このこと、アオイとハナには…?」
「隠した…ってことは言いたくないんだろ?」
「…だよね。」
「ヒミはどうした?」
「寝てるよ。疲れたんだろ。」
アオイの顔を見るなり、トキワの心はささくれ立った。つとめて冷静に話をしようとしたが、無理かもしれないなと片隅で考えながらアオイに向き直った。
「そうか。あいつ怪我は?」
「キナリが全部手当てした。」
「全部?そんなに何か所も怪我してたのか?」
「まあな。起こすなよ。」
「ああ…。」
「なぁ、アオイ…。お前がハナの前任から任されて責任感じてるのもわかるし、ハナが可愛いから守ってやりたい気持ちもわかるよ。でもさ、ヒミはどうでもいいのか?あいつが傷ついてるのは全然気づかないのか?やっと幼馴染のお前に会えて、たのに、一緒に祓い子になったのに、いつも一人で傷ついて、黙って一人で耐えてんだよ。」
黙って聞いていたアオイだったが、静かな声でぽつりとこぼした。
「だったら…、だったらお前が側にいてやればいい。」
「そういうことじゃないだろう、お前に…、」
「…わかってる。」
またこれだ。ヒミもアオイも「わかってる」とよく言うが、何もわかっていない。トキワは歯がゆさに目眩がした。
ヒミが目を開けた時、ぼやける視界に人影が見えた。その人物の名を、渇いて粘膜同士がくっついたような喉から掠れた声を上げた。
「…キナリ?」
「ヒミちゃん!水飲む?」
声には出さず小さく頷いた様子を見て、そこに用意してあったポットから水を注ぐ音が部屋中に響いた。
カップを受け取ったヒミは、慎重に水を喉に流し込んだ。水分が体内の何処を通っていくのかがわかるほどに心地良い感覚が湧く。
「大丈夫…?まだ痛むよね…。」
「もう平気、ありがとう。」
「ねえ…こんなに傷作って、ハナを置いてどこに行ってたの?」
「ちょっと…うろうろしてた…」
「ヒミがそんなことしないって皆知ってるよ?アオイが来るのがわかったから、ハナから離れたんでしょ?」
「ハナは軽い打撲だけだった。ヒミがちゃんと守ったんでしょ?なのに、なんで…隠すの?」
ヒミに何も答える気がないと察したキナリはひとつため息をついた。
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