第4話
「…行ってまいりました。」
「一人で行ったのか。」
「はい。」
「アオイはどうした。」
「忙しそうでしたので。」
「一人では行くなと告げてあったはずだが。」
「申しわけありません。」
「…腕の傷は手当しておけよ。」
「はい。」
ただでさえ珍しいことが続いたのに、小言を言われるのは殊更珍しい。少しだけ落ち込んだ気分のまま、自室へと戻った。
利き腕に負った傷は火傷のようだったが、不器用な方の手では包帯を巻くのも難儀だ。なんとか巻こうと苦戦していると、外から冷気とともに誰かが入ってきた。
「どうした?怪我したのか?」
「…大したことはないんだけど…」
「どれ、貸してみろ。巻いてやる。」
「ありがとう。」
「珍しいな、お前が怪我なんて。しかもなんだこれ、火傷か?」
器用にくるくると巻かれていく白い包帯をただぼんやりと見つめているヒミが、何やら落ち込んでいるように見えたトキワは包帯を巻き終えると、この場に似つかわしくない桃色の賑やかな模様が印刷された紙袋を差し出した。
「これ、土産。この菓子好きだったろ?」
「ありがと…」
「あとアオイとハナにも持って来たんだが、居なかったんだよ。どこにいるか知らないか?」
「…わかんない。」
「そっか…あ、お前夕飯は?もう終わったか?」
「まだ…だけど、」
「じゃあ家に来いよ、キナリが今作ってるからさ。包帯巻いてたら不便だろ?」
「うん。邪魔じゃなければ…。」
「何言ってんだよ。」
二人で外へ出ると、もう夕日はかろうじてその天辺を見せているだけだった。秋から冬へと移る季節特有の、乾いたような、人の心を握り締めるような空気が支配を始めた。
「お、アオイとハナだ。」
トキワが呟いた言葉に、ヒミは微かに身を震わせた。そして右に目を向けると、確かに二人がいた。二人も気付き、駆け寄ってきた。
「何してたんだ?」
「ハナが口伝の術を使えるようになったんだ。」
「そうか、よかったな。」
「キナリは一緒じゃないのか?」
「夕飯作ってるよ。お前らも一緒に来るか?多めに作るって言ってたから、たぶん人数増えても大丈夫だ。」
「いいの?やった!」
成り行きを見守っていたヒミは表情を変えずにいたが、その様子にトキワは二人を誘ったことを少しだけ後悔した。
「…ヒミ?」
「なんでもない。キナリの料理、久しぶりだから楽しみ。」
「張り切ってたから、期待していいぜ?」
こうして一人で出かけて行ったトキワが、大所帯で帰ったことに目を瞬かせたキナリだったが、一瞬後には嬉しそうに顔を綻ばせて歓迎した。
五人での食卓が気に入ったキナリの、これからは皆で食事をしないかという提案に、満面の笑みで賛同したのはハナだった。それにアオイやトキワも頷いた。ヒミだけは是とも非とも発さなかったが、その場は既に決定したようだった。
食事を終え食器を片づけようと伸ばしたヒミの袖口から、白い包帯が見えたアオイは、何気なく問いかけた。
「それ、どうした?」
「…ちょっと転んじゃって。」
「そうか。」
心配するでもなくあくまで軽く返されたことにまた、ヒミは無意識に眉間に力をこめていた。
帰り際、見送るようにして外に出たトキワは、先刻包帯を巻いてやった時にはあえて聞かなかったが、見ていられないとばかりに、ヒミだけに聞こえるように言った。
「ヒミ、転んで火傷はしないだろ?…何で黙ってた。」
「みんな忙しそうだったから。」
「だからってな、何かあったらどうするんだよ?ただでさえ最近厄介なのが増えてるのに。」
「次からは気を付ける。」
「トキワ、ごめん。一緒に行ってくれる?」
ちゃんと言いつけを守り、1人で行かず同行を頼んできたことに、少しだけ胸に温かいものを感じたトキワだったが、同時に切なくもなった。
「それは構わないが…アオイはまた忙しいのか?」
「そうじゃ…ないけど」
ヒミが口ごもった時、キナリが帰って来た。
「あれ?二人ともどうしたの?」
「ちょっと行ってくる。」
「え?…ああ!うん、いってらっしゃい!ヒミちゃんもトキワも気を付けてね!」
岩戸の先へ進むと、ごろごろと不揃いな石が転がる川原だった。
「おい!近づき過ぎだ!」
トキワの怒鳴り声が聞こえたが、この声が何を言っているのかが知りたかった。少し前から、何かを訴えかけてくるような声が聞こえていた。そしてそれはしだいにはっきりと明瞭に聞こえるようになってきたのだ。
「もう少しで、はっきり聞こえる気がするんだけど…」
黒い淀みはこれまで見てきたものよりも明らかに大きい。そこから発せられる声は、どうやら女の声。
「…女の人?」
「おい!」
ヒミがもう一歩、踏み出そうとしたところでトキワに腕を掴まれ止められた。
「お前、いつもこんな危なっかしいことしてるのか?」
「いつもは…しないけど、何か言ってる声が聞こえるでしょ?」
「声?何も聞こえない。とにかく、早く祓って帰ろう。」
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