第3話


「ヒミ、どこ行ってたの?」

 冷えきった体で神里へ戻ると、トキワとキナリが待っていた。

「ちょっと、散歩…」

「散歩?こんな時間にか?寒かったろ、家入れよ。暖房ついてるから。」

「ありがとう。」

「ヒミ、野菜スープあるよ。温めようか?」

ヒミはトキワの家に招き入れられ、キナリがスープを温めた。温かいことがこんなにも身にしみたのは久しぶりだった。


「キナリは、凪さんから口伝を引き継いだんだよね?」

「え?うん。」

「大変だった?」

「ううん…凪さんは優しかったし、教えられるといっても半分はもう自分の中にある…みたいな感じだったから…大変ではなかったかな?」

 5人の祓い子には、それぞれ口伝で受け継がれるものがある。秘されているせいで、互いには知らずにいる。だがその性質上、トキワとハナが引き継いだものは周知されていた。

「俺もそんな感じだったが…。赤の口伝が気になるのか?」

「知らないままで、いいのかな…。本当に私って、何もかも中途半端で…嫌になっちゃう。」

トキワもキナリも、どうしてやることも出来ない歯がゆさを感じながらも、何も言うことができなかった。



「お前、厳しすぎるんじゃないのか。」

 アオイが不在の時、ハナが珍しくヒミを頼ってきた。とはいえ、一緒に街へ買い物に行こうというものだった。その時はトキワやキナリも不在だったため、ヒミは何かあるといけないと思い断ったのだが、その事をハナがアオイに話したらしかった。

「…行っても大丈夫そうなら行ってた。」

「言い方が厳しいんじゃないのか。迷惑かけたってハナが気にしてるだろ。もう少し優しく言ってやれよ。」

 ヒミにとっては特に厳しくしたつもりも、冷たくしたつもりもない。ハナがどう説明したのかはわからないが、アオイから言いがかりをつけられたことに驚いてなにも言うことができなくなった。

これ以上話していても何も進展しないと互いに思い至ると、目を逸らしたまま背を向けあった。

驚きが悲しみに変わり始め、ちょうど岩戸の近くに至った時、 五色の紙垂のついた鈴が鳴った。

気分は乗らなかったが、一番この近くにいるのは自分だろうと、岩戸の前に立ったヒミの後ろから声をかける人物がいた。いつもは社の奥にいて、外で声をかけることなど滅多にない宮司が険しい表情で立っていた。

「ヒミ、気を付けて行けよ。」

「…はい。」

 滅多にないことに驚きつつ、宮司に見送られながら岩戸の前に立つ。一人が通り抜けられるほどの隙間を開けるとヒヤリと冷たい風が吹き込んできた。

 一歩を踏み出すと、そこは廃墟の中らしかった。窓から見える景色は灰色の高層ビル群であることから、都会の一角のようだ。

 どこに淀みがあるかと見回してみれば、コンクリートに囲まれただけの部屋の隅に、黒い塊が蠢いて見える。拳大ほどで、大した大きさではないが、早く祓ってしまおうと右手で紅玉の鏡を持った瞬間、下方から何か呟くような声が聞こえた。 

 一旦動きを止めたヒミだったが、耳を傾けても何も聞こえない。気のせいだったかと右手を持ち上げると、鏡の神威によって、黒い淀みは湯気を上げて消滅した。

こういうこともあるのかと、さして気にも留めずに里へ戻ると、すぐにまた鈴が鳴った。

岩戸の前で、先刻見送ったままそこにいたのであろう宮司は、ヒミを頭から足先まで一瞥すると、奥まった目をさらに深くさせてまたも滅多にないことを言った。

「念のため、一人では行くな。良いな?」

「はい…?」

 宮司から単独行動はするなと言われ、それならばと、誰かを探しに行こうと歩を進めた。しばらくして、アオイの姿を見つけた。

 二人で見る約束をしていた紅葉の木の側だ。真っ赤だった紅葉はすでに葉を落としている。

「アオイ、今…ちょっといい?」

「あぁ、いまハナを迎えに行くところだけど、その後なら。」

「わかった。ごめん、なんでもない。」

「そうか?」

 トキワに声をかけようという考えは一瞬のうちに打ち消された。彼は、今日は里にいない。キナリとともに街へ行っているのだ。となれば、一人で行くしかない。

 1人神器を手に、重厚な岩戸を開いた。

 一歩踏み出すと、そこは暗く湿気に浸された場所だった。生き物の気配はなく、ただ石に囲まれているだけの遺跡のようで、墓のようでもある。このような場所、穢れが無くとも気分が悪い。ヒミは慎重に辺りを見回した。

 隅の方に何やら猫ほどの大きさで黒いものがうごめいている。しかも耳をすませてみれば何事か言葉を発しているようだ。

 何を言っているのか聞こうとヒミが近づくと、黒い塊はヒミに向かって飛びかかり、それを防ごうと咄嗟に出した右腕に、ジワッとした痛みと共にまとわりついた。これはまずいと、慌てて左手で鏡を黒い塊に押し当てた。するとそこから黒い塊は焼けるように割れ、煙をあげながらみるみるちいさくなり、ヒミの腕に火傷のような傷を残してやがて消えた。


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