最終話
つぐみが二階に当てられた部屋に戻ったのは、午後11時過ぎであった。部屋は最後に出た状態と少しも変わっていない。その寒さに急いでエアコンを付けた。
「…つぐみさん、いらっしゃいますか?」
茜の声が聞こえて来たので、つぐみは襖を開ける。そこには茜だけでなく、藍もいた。つぐみは二人を部屋の中に入れ、向かい合って座った。
藍は今日の朝から解けていたポニーテールをしっかりと結んでいた。
こうやってよく見ると、姉妹揃って初めて会ったときよりもやつれている。
「あの…つぐみさんにお礼をまだ言ってなくて…」
茜はそう言い出した。
「お礼…?」
「はい。私…つぐみさんに相談して、聞いてくださいましたよね。…つぐみさんは本当に助けて下さいました。本当に…ありがとうございました」
「ううん! 私はむしろ…烏丸家の人たちを傷付けただけだよ…」
「それは、違うよ」
つぐみの言葉を否定したのは、少し掠れた声をしている藍であった。
「つぐみちゃんは…この事件を終わらせてくれたのもそうだけど、あたしたちを…百合子叔母さんから解放してくれた…」
藍と茜は8年間、百合子の言いなりになっていた。事故とはいえ、肉親を死なせてしまった罪悪感と、死んでしまった筈の撫子を演じ、人殺しまでしてしまった叔母を見続けて何も言えなかった辛さは、筆舌に尽くしがたいだろう。
「つぐみちゃんが言った通り、あたしと茜がもっと早く…百合子叔母さんに抵抗していたら、自分たちの大切なお母さんを死なせずに済んだのに…悔やんでも悔やみきれないよ…だから、あたしも茜も、二人でその罪を背負って行こうと思う。
……まだ、混乱はしてるけど…」
藍は膝に置いた両の拳を白くなるまで強く握り、涙を堪えている。
「…それでね、つぐみちゃんにお願いがあるの」
「お願い?」
「うん。…これから先は中々会えなくなるかもしれないけど、あたしと茜、両方の友達になって欲しいんだ…」
「…それなら、私たちはもう友達でしょ?」
つぐみは藍と茜、二人の手に片方ずつ触れた。藍も茜も、元々大きな目をもっと大きく見開くと、泣きそうにながらもなんとか微笑んで見せた。
「…そういえば、どうして撫子叔母さんが実は百合子叔母さんであると分かったんですか?」
暫くしてから茜が不思議そうに尋ねた。
「ああ、実はね、昨日不思議な夢をね…」
それからつぐみは夢の内容を二人に話し、そして、
「後は…あれ実は、カマを掛けたんだ。写真を見たのは本当だけど、首筋にホクロなんてないし、あったとしてもあの写真じゃあ見えないよ」
「じゃあ、あれはたまたま当たったんですか!?」
茜は驚いて口をあんぐり開けた。
「うん。外れたらどうしようかと思ってヒヤヒヤしたけど…結果オーライだったね」
つぐみと藍、茜は互いにそこで笑い合った。
二人が部屋を去った後、つぐみはすぐに布団を広げ、部屋の明かりを消すとすぐに布団に潜り込んだ。布団は相変わらず新品独特の匂いがする。今日のことを振り返る間もなく、つぐみは泥のように寝入った。
翌朝、朝食はトーストと豆腐の味噌汁という奇妙な組み合わせのものであった。
「家庭科の成績って良くなくてさ…これくらいしか作れないんだよね。豆腐もボロボロ崩れちゃうし」
「うう…皆さんすみません…。もっとうまく色んな物を作れるように頑張ります」
朝食を作ったのは藍と茜であった。二人の言葉に、つぐみら三人は苦笑しつつ、礼を言った。二人とも軽口が利けるようになったので、つぐみだけでなく翔太郎と仁志もほっとした。その後は皆で、しょっぱい味噌汁と、端が焦げているトーストを頂いた。
朝食の後は、住職がやって来て藤子の仏前で経を上げる。住職自身もその後で「こんなことになるとは思わなかった」と驚いた様子で語った。
荷物を持ち、しっかりコートとマフラーを着込むと、いよいよこの烏丸家の屋敷ともお別れである。直前に仁志が「車で送ろうか」と言ってくれたが、これからが大変なときなのに手を煩わせるわけにはいかない、と思いつぐみは丁重に断った。
「…つぐみちゃん! また来てねー!!」
門を出ようかというところで、藍が叫んだ。茜も手を千切れんばかりに振っていた。
「うん! 必ず、また来るよ!」
つぐみも二人に負けないくらいに腹の底から声を出し、烏丸家の面々が見えなくなるまで手を振り続けた。
◆
空は昨日とはうって変わって、どんよりと灰色に染まっている。今にも雪が降って来そうな天候であった。
烏丸家の屋敷、屋敷林がどんどんと小さくなっていく。ギュッ、ギュッという雪を踏みしめる足音と、自分の呼吸がやはり、やけに大きく耳に入って来る。
行きと同様に人にも車にも会わず、ひたすら寂しい白い道を歩いて行く。無心のままに歩いていると、あっという間にバス停に着き、予定時刻より三分遅れて駅へ向かうバスが到着した。バスに乗り込むと、乗客はつぐみ一人だということが分かった。適当な席に座ると、ドアが閉まって発車する。
悪路に揺られながら、影山村の景色は流れていく。
――ふと、ここでやっとつぐみの中に二日間の出来事が去来した。こうしてぼんやりと座っていると、やはりあの事件は夢なのではないかとも思ったが、それを振り払って、事件は実際に起こったのだ、と脳に刻み付ける。その直後に、急に虚無感が頭に、そして胸中に生まれてくる。
――ああ、これは自分が抱えていかなければならない〝罪〟なのだ――つぐみはそう何度も噛み締めていた。
―了―
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