後日譚

如月の或る日

 影山村連続殺人事件から2か月が経った。年を越し、冬休みが明け、月島高校の生徒たちは各々の学生生活を過ごしていた。現在は2月の中旬、丁度バレンタインデーを一日過ぎた頃である。チョコレートで男女が盛り上がる中、ここ一週間は冷え込み、今日も放課後の教室の窓から、小雪がちらついているのが見えた。

 私は友人二人と机を向い合せにして、バレンタインの残り物や、購買で買った菓子を広げていつものように雑談を始めようとしていた。

友人の一人は、影山村――私の遠い親戚に当たる烏丸家の連続殺人事件の解決に協力してくれた、椿原深花耶である。相変わらず凛とした佇まいを崩さず、一挙手一投足すら聡明に見える。もう一人はやはりクラスメイトで、深花耶と同じく入学当初から中の良い鳩村光子はとむらみつこである。光子はかなり細身で、切れ目がちの目付きに少々面長、という顔立ちをしている。銀縁の眼鏡を掛け、黒髪をショートヘアにしており、ぱっと見は典型的な〝優等生〟である。実際成績も良く、深花耶と同じく博学である。ただ〝典型的な〟という言葉は光子からは外さなければならない。光子は一見大人しそうだが、実際はかなり好奇心旺盛で、気になることがあればすぐに調査に飛び出して行ってしまう。少々落ち着きがなく、気になることは何でもメモする〝メモ魔〟でもある。だが、軽率な行動は一切しない。私は深花耶と同じくらいに光子に信頼を置いている。――そして、この二人だけは影山村連続殺人事件の詳細を知っている。光子は口外などするタイプではないので、深花耶以外の友人の中で唯一事件のことを話したのだ。私は当時事件後に混乱した頭を整理し、空虚な思いを吐き出したいがために光子に話したのだが、光子は私の話をじっくりと耳を傾け、私もお蔭で気が楽になった。それからは、この二人の友人との絆も、より深まったように思えるのである。

「うーん、まだ昨日貰ったチョコが残ってるんだよ…二人とも、食べるの手伝ってくれるかい?」

 深花耶は困ったようにはにかみながら私と光子にそう頼んだ。

「日本では逆チョコや友チョコが増えたとはいえ、未だ女性から男性にチョコを贈る風習となっています。…これらのチョコは一体どなたから?」

 光子はまばたきの数を増やしながら尋ねた。

「いや、別のクラスの見知らぬ女の子たちから貰ったんだよ。最初は断ったんだけど、どうにも押されちゃってさ」

 深花耶は苦笑した。成程、深花耶自身は自覚していないかもしれないが、深花耶の所作は時に男性よりも男性らしい。そしてそれは、異性よりも同性の心をときめかすものなのだ。友人の私でも、何度か〝格好良い〟と思ったほどである。

「でも、君たちも知っての通り、私はチョコがそこまで好きじゃないんだ。家族に半分、君たちに半分食べてもらおうと思ってさ」

「ああ、深花耶は常日頃から言ってるもんねえ。『チョコレートを口にすると、喉が痒くなる』って」

 私は深花耶がチョコを口に出来ない理由を、改めて口にした。深花耶も光子も頷いた。

「アレルギーじゃないみたいなんだけど、どうにもダメなんだよね」

「そういうのってあるよねー。私の場合、パイナップルがそうだもん」

 私は深花耶にそう返した。

「パイナップルにはごく僅かだけど、神経毒と同じ成分が含まれている。君はそれに過敏に反応する体質なんだろうね」

 深花耶の薀蓄に私は「へえー」と感心するが、光子は知っていたのか同意するように小さく頷くだけであった。それから少し間を置いて、深花耶と光子がおもむろに菓子に手を伸ばしたので、私もいただくことにした。

 深花耶が同級生の女の子たちから貰ったチョコは、全て手作りであった。生チョコからブラウニー、マフィンにクッキーと、一口に手作りチョコと言っても作り手の個性が出ている。中でもマフィンは程良い甘さで口当たりも良く、手作りとは思えないほど完成されていた。そして、マフィン、で私はふと藍のことを思い出した。

「そういえば昨日、藍ちゃんから久し振りに連絡があったんだよ」

 私が突拍子もなくそう切り出すと、スナック菓子に手を付けていた深花耶と、チョコクッキーを口に含んでいた光子は興味深そうに私を見た。

「この間、マフィン作りに成功したとか、そういう他愛ないことだったんだけどね」

 私は藍と話したことを二人に伝えた。――烏丸藍は、影山村連続殺人事件の当事者の一人である。藍の母親・藤子は、身内に殺害されて亡くなり、犯人である叔母、祖母、そして長年家に仕えて来た家政婦の三人が逮捕された為に、一度に多くの身内を失ってしまった。藍は現在、妹の茜と従兄の翔太郎、そして叔母の元夫である仁志と共に、山中の広い屋敷で暮らしている。私は藍や茜を始めとする烏丸家の人々と、皮肉にも事件をきっかけに親しくなった。影山村にはインターネット回線はおろか、携帯電話用の電波もまだ通っていない為、連絡手段は家庭用電話か郵便のみである。事件が落ち着いてから私は藍や茜と、時々電話で近況を報告し合っていた。

「烏丸家の方々はどうでした?」

 光子は私に更に詳しい情報を求めて来た。

「藤子さんの四十九日も終わって、みんな気持ちに一つだけ区切りがついた、って。…でも、藍ちゃんの声、そこまで元気そうじゃなかったなあ…。当然だとは思うけど」

「お母様を失ったのだから、無理もありませんよ…」

 私の言葉に光子は、気の毒そうに眉尻を下げた。

「…それだけじゃないと思うけどね。全くの部外者に殺されたのならともかく、身内が犯人だったら、彼女たちは村や学校でなんて思われると思う?」

 一方深花耶は、私たちにそう指摘した。私も光子もはっとする。深花耶は話を続ける。

「多分、学校生活はそう上手くいってないんじゃないかな。人間ってのは醜聞(スキャンダル)が好きな生き物だからね。…彼女たちがいじめられてないと良いけど」

「…そっか、もっとじっくり話を聞いておけばよかったなあ…」

 私は後悔の念を呟いた。デリケートなことなので、事件にはあまり触れないようにしていたのだが、それが逆に藍や茜たちの悩みにも気付かぬ原因になってしまった。

「…ああ、君を責めているつもりは全くないよ。今のも私の勝手な推測だ」

 深花耶は私を気遣うように言った。

「ううん、私も今度、その辺について話を聞いてみるよ。…裁判もまだ控えてるし、これからも藍ちゃんたち苦労しそう…」

 私は小さく溜め息をついた。

「確かに、身内に母親を殺された…と考えるとかなり堪えるものがありますよね…」

 光子も私につられてか、溜め息をついた。

「話を聞いただけの部外者が言うのもお門違いかもしれないけど、烏丸家は既に歪んでいたんだろう? 遅かれ早かれ、誰かが身内によって殺されていたかもしれない」

 深花耶は目を伏せがちにそう言った。深花耶の言葉については私も同意である。

 烏丸家というのは、都落ちした華族、そして影山村の支配者という輝かしい貌があった。しかし、その光の歴史の裏側は、血生臭い負の感情同士のぶつかり合いであった。当主の座、遺産、後継者――烏丸家にはその問題が呪いのように纏わり付いていたのだ。もしかすると、今回だけでなく、ひっそりと身内同士の殺人はあったのかもしれない。外部の介入を今まで許してこなかったからこそ、今回の悲劇は起こるべくして起きてしまった。しかし――

「だからといって、人を、ましてや血の繋がった人間を殺しちゃいけないよ」

 私は事件を思い出し、苦々しい気持ちになりながらもそう結論付けた。すると、

「私も君に同意だ。どんな理由があろうと、殺人は許されることではないよ」

 と、深花耶が私の言葉の後に付け足した。私たちの言葉を聞いた光子も深く頷いた。

「今回のことは本当に残念でしたけど…早期に解決出来たのは何よりだと思います。つぐみさんがあの場にいなければ、烏丸家の方々はもしかすると、また同じ道を辿ることになっていたかもしれません」

 光子もまた、自分なりの意見を述べた。

「それは言えてるね。…やっぱり、つぐみ君は探偵の才能があるんじゃないかなあ」

 深花耶は少し茶化すように言った。私は大きく頭を振る。

「そんなことないよ! 深花耶や巴屋先生の助けがなかったら、解決できなかったと思う。それに…殺人事件に巻き込まれるなんて、もう御免だよ」

 私は事件当時のことに加え、事件解決直後のことも思い出す。警察からは何度も事情聴取を受け、両親からは心配されたかと思うと叱られ、この高校の教師たちからはしつこくメンタルケアを受けるように勧められた(勿論、きっぱりと断ったが)。事件よりも、事件後の周囲の対応の方が負担ではないかとすら感じたのである。私ですらそう思ったのだから、烏丸家の人々の心労は計り知れない。

「…本当にその通りだよ。まあ、殺人事件に巻き込まれるなんてこと、そうそう無いとは思うけどね」

 深花耶は苦笑した。――殺人事件の当事者になった深花耶の言葉には、説得力と形容しがたい重みがあった。

「…そうだ、今名前が出た巴屋先生だけど、新シリーズの構想がある、って雑誌のインタビューで言ってたよ」

 深花耶は重い雰囲気を払うかのように話題を変えた。その言葉に光子は身を乗り出す。

「えっ、巴屋先生がインタビューに!? 珍しいですね…どんな内容だったんですか!?」

 光子は興奮しながら深花耶に話の続きを求め、メモとボールペンを制服のポケットから取り出した。光子もまた〝ミステリー作家・巴屋緑青〟の大ファンなのである。巴屋緑青は、今回の事件で偶然が重なって出会った青年である。そして今回の事件を通して、私自身も巴屋先生の作品が気になり、少しずつ作品を読み始めている。

 深花耶と光子が巴屋先生談議に花を咲かせているのを聞きながら、私はまたチョコレートに手を伸ばした。ふと窓の方を見ると、小雪はいつの間にか止んではいたが、白が風景の色を多く占めていることから、随分と積もったことが分かる。春は、まだまだ遠い。



                                 ―了―

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