第23話

 止まったままの空気を動かしたのは、以外にも翔太郎であった。憔悴しきってもう涙も出ず、茫然としている藍と茜を部屋で休ませる為に連れて行った。

一方、残された仁志には表情が無かった。自分の妻の正体と、殺人犯である事実を知ってしまったのだから無理もないだろう。つぐみも掛ける言葉が見つからなかった。

 そこへ、インターホンが鳴る。今この家にはつぐみと仁志、翔太郎に藍と茜しかいない。どうしたものか、と待っていると、またインターホンが鳴った。玄関に向かう人の気配がしないので、つぐみは大広間を出て玄関へと向かった。

 戸を引くと、現れたのは巴屋緑青こと蓮花寺恭助であった。

「蓮花寺さん、どうしたんですか!?」

「いや、事件がどうなったのか気になってね。まあ、警察がいないってことは、もう解決したんだね?」

「…はい」

 たとえ事件が解決しても、やるせなさは消えない。つぐみの声は自分が思っている以上に沈んでいた。

「その様子だと、解決したのはやはり君か。推理も…君自身が?」

「…そうです。私自身、自分があんなに喋っていたなんて信じられません…」

 推理を話しているときは、とにかく真相と言葉を紡ぐのに必死であった。すると、蓮花寺の口角が吊り上る。

「君は、君自身が思っている以上に雄弁だと俺は思うよ。そこは誇っても良いところだ」

「…でも、私が真相を暴き出しても、誰も幸せになんかなりませんでした」

「そりゃあそうだろう。箱の中身は不幸で詰まっているということが分かっていて、敢えて蓋を開けてその中身を取り出すのが探偵ってやつさ。確かに今は誰もが不幸だろう。だが、いつまでも不幸のままじゃいけない。幸せはこれから、烏丸家の人々が手探りで掴んで行かなきゃいけないんだ」

 蓮花寺の前向きな言葉は、今のつぐみに沁みるものがあった。

「そうそう、烏丸、じゃなくて翔太郎に伝えておいてくれないか『香典は後日渡す』と。俺はもうこれから自宅に帰るからね。良い作品が書けそうだ、君のお陰で」

「…え?」

「それじゃあ、俺はここで失礼するよ」

 蓮花寺はそのまま二度とつぐみの方を振り返ることなく、門を出て行った。その後で車のエンジン音が聞こえ、遠ざかって行った。

――それから数か月後に、巴屋緑青の、黒衣の少女が主人公である新作ミステリー小説が刊行されることを、このときのつぐみには知る由もなかった。



 その日の晩、司法解剖を受けていた藤子の遺体が帰って来た。藍と茜は物言わぬ母の遺体に、謝りながら縋りつく。亡くなった直後は実感が湧かなかったが、白い布で身体と顔を覆われた姿を見ると、やはりもう動かない、死んでしまった人の姿なのだとつぐみは実感した。そのときに聞いたのだが、藤子を殺害する為のトリカブトを用意したのはやはり葉子であった。葉子は戦時中に、母親からトリカブトのことについて色々学んだらしい。いざというときは、敵と遭遇したときに降伏を選ばず、自害する為のものでもあったという。しかし、これでもうこの家で附子が作られることは二度とないであろう。

 藤子の遺体は仏間に安置された。

藤子の遺体を出迎えた藍と茜は、泣く訳でもなく藤子の傍から離れなかった。仁志は何とか動き、夕飯の買い出しに出かけた。居間には翔太郎とつぐみの二人きりになる。テレビのニュース番組ではようやく藤子の死が報道され、そのニュース映像が流れ始めた瞬間に翔太郎はテレビを消した。客間はしん、となる。

「…君はこれからどうするんだい? もうバスの最終便は出てしまっているけど…」

 翔太郎がそう尋ねて来た。

「そう…ですね…。よろしければここにもう一泊させていただいて、明日帰ります。どうでしょうか…?」

「構わないよ。藍と茜はあんな調子だし、君には…そういえばまだ礼も言っていなかったね。…ありがとう」

「い、いえ! 私はむしろ、皆さんを傷付けることばかり言ってしまったというか、翔太郎さんにも失礼なことを…」

 深々と頭を下げる翔太郎に対して、つぐみは慌てふためいた。翔太郎は顔を上げる。その表情は随分と穏やかなものであった。

「いや、君の言葉で目が覚めたんだ。僕は確かに、烏丸家から逃げていた。…そして烏丸家全員がある意味、藤子の姉貴と忠治さんを殺したようなものだ。年を越して落ち着いたら…僕はこの家に戻ってこようと思う。藍や茜、この家のこともあるし…大学から遠くなるのは辛いけどね」

 そこで翔太郎ははにかんだ。蓮花寺の言う通り烏丸家の幸せは、これからこの家の人々の手で掴まなければいけないのだ。するとそのとき、電話の呼び出し音が聞こえて来た。

「何だ…? もしかして報道関係者か?」

 翔太郎はげんなりしたように言った。つぐみは烏丸家の事件が報道されたこのタイミングで、ここに掛けてくる人物に心当たりがあった。

「私が出ますね。マスコミなら上手くあしらっておきますから」

 つぐみはそれから居間を出て、電話に急いで出た。掛けて来たのは案の定、母・桂子であった。桂子は早口で大丈夫か、だとか、今何をしているのかなどの質問をまくし立てて来た。つぐみはその質問に一つ一つ答え、最後に明日には一度家に帰ることを伝えた。桂子はまだ心配しているようだが、それ以上追及もせずに、つぐみにゆっくり休むように言うと電話を切った。母の言葉に、つぐみは胸が熱くなり、少し目が潤んでしまった。

 その後につぐみは、電話を掛けなければいけないもう一人の人物・深花耶を思い出し、慌てて電話番号をプッシュした。深花耶はすぐに電話に出た。

〈やっと掛かって来た…。こっちから掛けようとも思ったんだけど、君の方の状況が分からないからむやみに掛けられなくてね〉

 少しだけ不貞腐れたニュアンスを含んだ声である。

「ごめんごめん! …無事、と言っていいのかどうかは分からないけれど、解決したよ…事件」

〈…そっか、それなら良かったよ。聞いている限りだと現当主、葉子さんが一番手強そうだったからね〉

「うん、あの人は最後まで食い下がったよ。…自分の子供を守る為に」

〈それは…いや、やめておくよ。今は君も辛いだろうから…〉

「…うん」

 深花耶はきっと『自分の長女を殺す手助けをしておいて、何が子供を守る、だ』と言いたかったに違いない。深花耶は事情がどうであれ、絶対に殺人犯もその共犯者も赦さない。だが今は、つぐみに気を遣って敢えて言わないようにしてくれたのだ。

〈それにしても、君自身が推理を披露したんだろう? …君にはスピーチだとかそういう才能があるんじゃないのかい?〉

「そうかなあ…? 今回は私以外に真相を話せる人がいなかっただけで…」

〈でも、だからといって普通『推理します』と、順序立てて話せる人間はそうそういないよ。プレッシャーもあるしね。君の新しい才能を見つけられたじゃないか〉

「そう…なのかな」

 そういえば蓮花寺も同じことを言っていた。だが、推理の披露も、それをする機会も今後あって欲しくない、とつぐみは胸の中で呟いた。

〈そういえば事件は解決したけれど…君はどうするんだい?〉

「明日、この屋敷を出るよ。一旦家に帰って…それからそっちの家にお邪魔しても良いかな?」

〈分かった。家族にもそう伝えておくよ。君のお母さんも知っているんだろう?〉

「うん。さっき電話が掛かって来たから」

〈そうか、じゃあ待ってるよ〉

「行く前にまた電話するね」

 そこで深花耶との通話を切った。そういえば深花耶には、彼女自身もファンである巴屋緑青にあったことを話しそびれてしまった。それはまた会ったときに話すとして、電話から離れた。

 居間に戻る途中、翔太郎と出くわした。その服の袖は濡れている。

「翔太郎さん、何か洗っていたんですか?」

「ああ、風呂をね。…昨日からずっと入っていなかったからさ。君も入って疲れを落としたいだろう?」

「え、それなら私に言ってくれれば…私、お世話になりっぱなしで…」

「いや、お客様にそんなことさせるわけにはいかないよ。

それにこれから沢野さんはいないから、家のことは自分自身でやっていかなくちゃいけないしね。…一応、一人暮らしをしていたから家事は大体できるけど、料理はな…藍か茜のどっちかが出来ると良いんだけど」

 翔太郎は苦笑した。つられてつぐみも、ようやく笑うことが出来た。少なくとも翔太郎は、この家の未来について前向きに考え始めているようで、それにつぐみはほっとした。



 その後暫くして、買い出しに言っていた仁志が戻って来た。

夕飯は弁当であり、居間に集まって皆で食べることにした。誰も会話を切り出さず、黙々と食べ続ける。つぐみの弁当がちょうど空になったとき、やっと言葉を発したのは仁志であった。

「…翔太郎君は…これからどうするんだい?」

 仁志の質問に翔太郎は、つぐみに話したことをそのまま仁志にも伝えた。

「…そうか、その方が良いよね…」

「仁志さんはどうするんですか」

 今度は翔太郎が尋ねる。

「…撫子さん、いや、百合子さんとは…離婚するよ。まだ、心の整理はついていないけどね」

「そう…ですよね」

「でも…離婚した後も僕はこの家に残りたいと思っているんだ」

「…え」

 翔太郎は驚きの声を発した。今までずっと俯いていた藍と茜も、思わず顔を上げて仁志の顔を見る。

「この家にはずっとお世話になっていたし…ここの村の雰囲気も好きなんだ。それに、僕も元義理の兄として、藍ちゃんと茜ちゃんを支えてあげたいんだ。…やっぱり、迷惑かな?」

「…いえ! …ありがとう、ございます…!」

 翔太郎は下げた頭を中々上げなかった。藍と茜も涙ぐみ、仁志は困ったような笑みを浮かべた。つぐみは、この五人なら上手くやっていけそうな確信があり、ほっとしたのであった。

 夕食の後、つぐみはお湯をいただくことにした。烏丸家の浴室は広く、温泉施設に来たようであった。久し振りの風呂は気持ちよく、今までの疲れも、悲しみや怒りなどの負の感情も和らいでいく気がした。

 風呂から上がって居間に戻ると、翔太郎と仁志が話し込んでいた。内容は、警察は今後も事件の裏付けの為に何度もやって来ること、事情聴取で署にも出向かなければならないことを翔太郎が仁志に説明し、後は藤子の葬儀の相談である。翔太郎の話では、家族葬だけで済ませ、お経は法要に来た住職だけに上げてもらうとのことであった。

つぐみはそこで、蓮花寺の言葉を翔太郎に伝えた。すると、翔太郎は「あいつらしい」と言って苦笑した。蓮花寺とは大学が一緒であり、お互い実家との反りが合わない、との境遇から意気投合したという。蓮花寺はその頃から既に作家でもあったという。仁志はそのとき始めて蓮花寺が巴屋緑青であることを知って驚いていた。

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