第21話
大広間の襖の前に来ると、つぐみは自然と自分が落ち着いていることに気が付いた。
一つ深呼吸をした後、ゆっくりと襖を開けて中へ入った。大広間には梅野と淡谷、そして烏丸家の面々が座って待っていた。
撫子と仁志は不安そうな表情であり、藍は相変わらず生気の無い顔をしている。沢野と茜、翔太郎はぐったりとしており、椅子に座って杖を持った葉子だけが相変わらず泰然と、そして堂々としていた。
「…突然呼び出してすみません。でも、今回の事件は皆さん…特に烏丸家の血を引く全員に関係することなんです。…遠いながらも、私もそうです。だから、今からどんどん口を出させていただきます」
つぐみに皆は注目した。つぐみはそのまま言葉を続ける。
「まず今回の事件…藤子さんの死は自殺ではなく、他殺です。もちろん、この中にいる人が殺したんです」
「…その根拠は?」
葉子が静かに尋ねた。
「それは藤子さんの娘である藍ちゃんがよく知っている筈です。昨晩、私も立ち聞きしてしまった藤子さんと藍ちゃんの会話…『三人だけでこの屋敷で幸せに暮らそう』と。この三人とは藤子さん、藍ちゃんと茜ちゃんのことでしょう。こんな発言をしているのに、自殺は考えられません。そしてもう一つは、皆への呼び出しです。時間をしっかり指定して、昨日来たばかりの部外者である私にも集合を掛けておいて、その前に自殺することはやはり考えられないんです。…藤子さんは恐らく、この烏丸家の人々に不利になる事実を知っており、暴露する為に皆を集めたのでしょう。そして、藤子さんは口封じに殺された…」
「それは憶測に過ぎないね」
葉子はきっぱりと言った。
「それはどうでしょうか。藤子さんの部屋から出て来た文書を思い出してみてください。あれは筆でわざわざ書かれてありました。罪を告白する文書ならば、別にボールペンや万年筆で書かれてあっても良い筈です。それなのに墨汁を使い、和紙に筆で書いた。…これは犯人による偽造の証拠なんですよ。藤子さんは書道二段の腕前であり、筆致を合わせるのは難しい…だから藤子さんの字を写し取る為に、裏が透ける和紙を使用したんです。 それに筆で書いた文字ならば、藤子さんが書を嗜んでいたという事実で皆さんは納得し、疑うことはないでしょう。…ですが、筆跡をいくら精密に写し取っても、完全に一致させるというのは難しい。だからこそ筆跡鑑定では100%ではなく97%…残り3%が一致しなかった真実です」
文書のくだりは深花耶の推理を丸々拝借した。そして葉子以外は全員、驚きの表情に変わった。
「ぎ…偽造って…誰が、何の為に!?」
仁志は当惑し、矢継ぎ早に質問を並べ立てる。つぐみは仁志を見る。
「もちろん、藤子さんを殺した犯人です。ここで文書の内容を思い返してみましょうか。文書には、藤子さんが自分の父親である良吉さんと、撫子さんの夫・忠治さんを殺した、というものでした。ですが、次期当主の藤子さんが自分の身分を危うくするようなことを文字で残しておくでしょうか? 更に藤子さんは、当主の座にも強く拘っていたらしいですね。考えてみればおかしいことです。ですがこの文書の一部を逆に考えてみると、良吉さんと忠治さんを殺したのは別人であり、このことをネタにでも強請(ゆす)れば家を追い出して、自分は烏丸家の当主になれる…。そうですね、葉子さん」
つぐみは葉子を見た。皆も同時に葉子の方を見る。
「ふん、そう考えれば筋は通る。…けどねえ、その藤子が握っているネタが本物だという証拠はあるのかい? あの子が勝手にでっち上げたと考えることも出来るじゃないか。現に警察だって、二人の死は自殺と事故であると断定しているじゃないか」
葉子の態度は変わらない。この返しにつぐみは内心焦るが、ここで認めるわけにはいかない。
「…自殺、でしたよね、良吉さんは。確か躁鬱病だったとか」
「ああそうさ。あの時期は大変だったよ」
「良吉さんは…確か七十歳で亡くなられた…。刑事さん、良吉さんが亡くなったときの状況は分かりますか?」
「あん? ああ…烏丸良吉の遺体はここから約三十分歩いたところにある〝鳥無の森〟で寝間着姿で見つかった。そういや、裸足だったとも記録にあるな」
梅野が手元の手帳を見ながら答えた。
「ありがとうございます。鳥無の森は硫化水素ガスが発生している危険な場所です。
…ですが、良吉さんが亡くなった状況を詳しく思い出してみてください。亡くなった日は十二年前の昨日…十二月二十四日です。今でも分かる通り真冬で、その上ここは山間部なのでもっと冷えます。そんな中を、三十分かけて、しかも寝間着で裸足…それに加えて高齢なら、途中で凍死した方が自然だと考えるべきじゃないですか! それに、当時精神病を患っていたのなら、葉子さんたちが良吉さんの外出に気付かない筈がない!」
「ああっ!? 確かに!」
淡谷は叫んだ。梅野や他の面々も、目を大きく見張る。葉子もとうとう僅かに顔を歪めた。
「…そうだ、そのとき烏丸良吉の体内からは…睡眠薬が検出された! そのときは証拠不十分だったが…婆さんよ、まさか…あんたか他のここにいる面子が…!」
梅野は立ちあがって烏丸家の人間の顔を見回した。藍や茜は全身が震え始める。
「…あたしの旦那はそうかもねえ。だが、撫子の旦那はどう推理するんだい?」
葉子はつぐみを睨んでまた食い下がって来た。つぐみも、次の話を始めるつもりである。
「撫子さんの前の旦那さん…忠治さんの死については撫子さん自身の口から聞きました。忠治さんは天涯孤独で、もしものときの為に莫大な保険金を自身に掛けていた。そして、その忠治さんは風月川で事故死。保険金は受取人になっている撫子さんの手に渡りました。…どう考えても出来過ぎた話だとは思いませんか? …百合子さん」
――つぐみの最後の一言は、ある意味賭けであった。その場はしんと静まり、今度は撫子に視線が集まる。
「な」
撫子は一言そう発した後に、みるみると白い顔が朱に染まる。
「何を馬鹿なことを! 私は撫子よ!? 確かに私と百合子は双子だけど、入れ替わって死んだのは実は撫子の方だったと言いたいわけ!? いくら何でも、そんなの酷いわ! 私たち姉妹に対する侮辱よ!!」
撫子は立ち上がると一気にまくしたてた。その声は怒気を孕んでいる。
「…私、見たんですよ。仏間にあった写真を…もちろんあなた方二人が並んでいる写真も。私の記憶によれば…右の首筋に小さなホクロがあったんです。どちらが百合子さんでどちらが撫子さんかは分かりませんが」
「なっ!?」
撫子は驚愕し、慌てふためきながら首筋を触った。つぐみは自分が正しかったことを確認する。
――あの奇妙な夢の中、白装束で微笑んでいたのが本当の撫子だったのだ。
「首筋を今思わず触った…ということはやはりあなたは百合子さんなんですね? 入れ替わっていないのならば、そんなことを確かめようと首筋を触ったりしない!」
「い、今のは反射的によ! 誰だってそう言われればそうして」
「もうやめて! 百合子叔母さん!」
悲痛な声で叫んだのは藍であった。茜は声を押し殺して泣き出した。
「あ、藍ちゃん…?」
仁志は震える声で藍の名を呼ぶ。仁志自身はまだ状況を受け入れられていない様子であった。
「…あの風月川の事故で…助け出されたあたしと茜は…自分たちがとんでもないことをしてしまったのだと分かって、目の前が真っ暗になったの。そのときに、撫子叔母さんと同じ服装をしていた百合子叔母さんがあたしたちの前に立つと、優しい声で、言ったの『あなたたちは撫子を殺してなんかいないわ。だって、死んだのは百合子なんだから。そして、その百合子も死んでなんかいない。ここに撫子として生きているわ。だから、私は今から撫子よ。これは、三人だけの秘密。約束よ』って…!」
「何てことだあんた! 幼い子供にそんなことを言ったのか!?」
今にも撫子、もとい百合子に掴みかからんとする淡谷を、梅野が抑える。
「でも…そのときあたしと茜はほっとしたの…。百合子叔母さんが撫子叔母さんと一緒に生きてくれるんだ、って…! あたしたちは撫子叔母さんを死なせてないって…! …でも、あんなことが起こってから、急にあたしたちは自分がしたことと、百合子叔母さんのことが怖くなった!」
「あんなこと…忠治さんが亡くなったこと、だよね」
藍はしゃくり上げながら頷いた。つぐみは百合子を睨む。
「…百合子さん、あなたは恐らく、撫子さんの旦那さんが自分自身に莫大な保険金を掛けているのを知った。それが、撫子さんが亡くなる前か後かは分かりませんが。そして風月川の事故で咄嗟に考え付いたのでしょうね。百合子という自分が死んだことにして、撫子になるということを。そしてその同じ年、忠治さんを事故に見せかけて風月川で殺したんです。自殺で保険金は下りないので、釣りのときに川に転落して亡くなったように仕立てあげる為に、釣り竿まで持たせて…」
百合子はつぐみを睨むものの、何も反論してこない。
「しかし、事故に見せかけて殺すなんて、なかなか難しいだろう。現に警察は事故だと判断しちまった。あんた、どうやって殺したんだ? 妹の旦那を…」
梅野も百合子を問い詰める。すると、百合子は鼻で笑った。
「そんなの簡単よ。あの人、ちょうどそのときに風邪を引いていたから、通常より多めに風邪薬を飲ませたの。そこで夜にあの人と会う約束をして…『それまで釣りでもして待ってて』って頼んだら、あっさりその通りにしてくれて…後は朦朧としているところを、橋の上から突き落としたのよ」
百合子は不遜な笑みを浮かべる。つぐみが今まで見て来た百合子のガラス細工のような美しさは壊れ、そこから百合子の醜悪で、卑劣な本性が露になる。
「あんた…金の為に自分の妹や姪っ子を利用して…何の罪もない人の命を奪ったのか!? この…ド畜生がっ!!」
淡谷は凄まじい怒りをぶつけるが、百合子はどこ吹く風、という調子であった。つぐみもふつふつと怒りが湧いてくるが、そこは淡谷に任せることにして、あくまでも自分は冷静さを保つようにする。
「…そして藤子さんは良吉さんのことも、百合子さんが撫子さんに成りすまして忠治さんを殺害したことも全て知っていて、昨晩の午後十時に露見させるつもりだったんですね」
「そうよ。あの女がしようとしたことは、あの女の部屋に仕掛けておいた盗聴器から知っていたわ。午後十時はね、父の良吉が死んだ時刻なの。だからあの女は当て付けのようにその時刻に集合を掛けたのよ。それで、探偵さん。残るは藤子の死だけど、あの女は誰が殺したって言うの?」
「…昨晩、藤子さんと最後に会ったのは茜ちゃんでした。茜ちゃんは藤子さんに話があるということで部屋に呼び出されていたんです。しかし、藤子さんはそのとき眠っていて、茜ちゃんと話は出来なかった。それが昨晩の九時四十五分のことです。そしてそれまで藤子さんはまだ生きていました。藤子さんが亡くなったのはいつか…それは、あなたが藤子さんを呼びに行ったときです。藤子さんを直接殺したのは百合子さん、あなたですね?」
「へえ…その根拠は?」
ここまで追及しても、百合子は余裕である。淡谷は今にも爆発しそうで、押さえている梅野はかなり大変そうであった。
「この大広間に皆が集まったとき、藤子さんを呼びに行こうとしたそのときを思い出してみてください。あのとき、沢野さんがまず藤子さんを呼びに行こうとしました。しかし、そこで葉子さんは沢野さんを制して、自分が呼びに行くと言った百合子さんをそのまま行かせたんです。この家の世話全般は沢野さんがやっていました。ですが、そのときも自ら使用人として仕事をしようとしていた沢野さんをわざわざ止める…不自然だとは思いませんか? 敢えて百合子さんを行かせたのは、藤子さんを殺害する為です! つまりこの時点で、葉子さんと百合子さんは共犯なんですよ!」
ここで百合子から笑みが消え、葉子は黙り込んだまま微動だにしなくなった。つぐみは更に続ける。
「藤子さんを呼びに言った百合子さんは、睡眠薬で眠っていた藤子さんを起こします。そのときはまだ朦朧としている筈です。そんな状態になっている藤子さんに、指紋が付かないようにハンカチなどを使ってトリカブトを急須に混入させ、眠気覚ましだ、とでも言ってお茶を飲ませれば犯行は完了です」
「…ん? ちょっと待ってくれよ。こう言うのは気が引けるが、何も殺すんならその呼びに行ったときでなくても良いだろ? その、持って行った茶にそのままトリカブトを入れちまえば、あとは使用人の沢野さんに罪を着せて逃げる…なんてことも出来た筈だ」
梅野はつぐみにそう疑問を投げかけた。
「…確かにそうです。葉子さんや百合子さんは、いつでも藤子さんを殺害する機会はありました。ですが、その殺害計画に狂いが生じてしまったんですよ」
「狂い?」
「今までずっと帰って来なかった筈の翔太郎さんの帰省と、来ると想定していなかった遠戚である私の存在です。特に、私は計算外だったと思います。そこで、計画を少々変更して、翔太郎さんに罪を着せることを考え付いたんでしょうね。
だから、翔太郎さんが帰って来たその日から藤子さんにトリカブトを使った漢方薬を飲ませていたんです。もし、翔太郎さんが来る前に毒殺してしまえば、毒薬を扱うことのできる翔太郎さんに罪を着せることは出来なくなる。これで殺害のチャンスは一気に減ります。そして法要の当日に来た私…。私の動きは特に読めなかった。だから、皆のアリバイがしっかり成立する午後十時以降に殺害の機会は限られてしまったんです。法要当日の藤子さんの動きは先程百合子さんが言った通り、盗聴器で知ることが出来たのでしょう。午後十時に、良吉さん、百合子さんに、忠治さんの死について暴露することを。あとは睡眠薬入りの茶を沢野さんに用意させ、そのお茶を藤子さんが飲んでしまったとき、トリカブトを飲ませる為に用意した急須を沢野さんに持って行かせれば良いだけです。ちなみに、藤子さんが睡眠薬入りのお茶を飲まなかった場合は、そのまま直接お茶に入れて飲ませるつもりだったんでしょう。沢野さんは私にもお茶を持って来てくれましたが、急須はありませんでした。藤子さんにのみ急須があったのは、その為なんです。謂わば、保険のようなものですね。…沢野さん、あなたは睡眠薬を入れるように指示されたのでしょう。睡眠薬を用意し、支持をしたのは百合子さんですか? 葉子さんですか?」
「えっ!? あのっ! その、私はっ!」
「もうここまで来てしまったんだ。さっさと白状しちまいな」
梅野にそう言われた沢野は体を一瞬硬直させた後、力を無くして項垂れた。
「……葉子様、です…」
ぽつりと沢野は話した。すると、パチパチと手を叩く音がした。拍手をしているのは今まで石のように動かなかった葉子である。つぐみは葉子の顔を見た。その表情は仏頂面のまま変わらない。
「あんたの推理、見事なモンだよ。久し振りに楽しませてもらったさ。……だが、一つ足りないねえ。そう、私が娘を殺す、その動機を」
「ど、動機は良吉さんと忠治さんを殺したことを藤子さんに知られて…」
「藤子はね、それをネタに私たちを強請ってこの家から追い出そうとしたのさ。今までこの家の改装を進めて来たのはあの子なんだよ。まるでこの家を侵食していくようにね。つまり、警察に言っても私らが消えるだけで、あの子には一銭の得もない。お客人を引き留めたのは、脅しの一つでもあり、お客人、あんたにも口止めしようとしてたんだろう…そういう子なんだよ、あの子は…」
「…そうね。あの人は本当にクズだわ。救いようのない、ね。」
葉子に続いて百合子も、藤子を蔑んだ。
「動機が二人の殺害に関する口封じじゃねえだとお!? ふざけんな!
世間ではそれが立派な〝動機〟って言うんだよ!」
さすがの梅野もこれには黙っていられず、叫んだ。そしてつぐみも、葉子のその言葉は予想外であった。
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