第17話
〝民宿なか村〟は、一見どことなく烏丸家の屋敷と雰囲気が似ている気がした。木造二階建てで、一見素朴な宿だが、中途半端に入口がガラス戸になっており、つぐみはそこが惜しい気がした。所感はそこまでにしつつ、つぐみは手動のガラス戸を押し、民宿の中へと入った。
摩耗して所々茶色い部分が見える臙脂色の絨毯が、ロビーの床を覆っている。小さいテーブルに茶色い布地のソファーが一組ずつ六台置かれ、申し訳程度に観葉植物が窓際に一鉢あるだけの、何ともくたびれた空間であった。フロントらしき木製の小さなカウンターの後ろには誰も立っていない。そして、そのカウンターの近くに椅子と、その上に毛布が敷かれている篭が置かれてある。その篭に入っているのは果物でも花でもなく、猫、であった。茶色い虎柄に鼻周りと腹、手足の先だけが白いその猫は、尻尾を篭の外に垂らし、目を線にして眠っている。綺麗にはしてあるが毛並を見ると、このロビーのようにくたびれており、高齢に見えた。その椅子の傍には手描きの看板があり、
【看板猫の『みいこ(メス)』です。抱っこが嫌いなので気を付けてください。ひっかかれる恐れがあります。】
と書かれてある。椅子の下にはその猫・みいこと遊ぶためのおもちゃが入った箱があり、動物好きのつぐみは迷うことなく黄色の猫じゃらしを取った。
「みいこちゃーん、猫じゃらしだよー」
優しい声色で話しかけ、顔の前で振ってみるが、ずんぐりむっくりなその猫は目すら開かず、耳を時々小刻みにあちこち動かしているだけであった。そのとき、
「あらまあ、お客さんですか?」
カウンターの奥から、小柄な初老の女が出て来た。面長の女は白髪混じりの長い髪を後ろで一つに束ねて、ピンクのエプロンを着けている。つぐみは本来の目的を思い出し、
猫じゃらしを元の位置に戻して立ち上がった。
「あの、この宿のオーナーさんですか?」
「ああ、オーナーはうちの旦那だけど、裏のオーナーはあたし…なーんてね!」
女は大口を開けて笑い、つぐみは反応に困って取り敢えず乾いた笑い声を出しておいた。
「なーにバカなこと言ってんだ和枝! すみませんねお客さん。ところで…見たところ学生さんのようだけど、まさかウチにお泊りに?」
奥からもう一人、これも初老の男が出て来た。馬面で、妻の和枝とよく似ていた。これが民宿のオーナーらしい。オーナーの問いに、つぐみは首を横に振った。
「いえ、あの…ここに泊まっている〝
「烏丸!? もしかして今、大事件になってる!?」
「…お客さん、失礼ですが烏丸さんの家の関係者の方で?」
和枝は驚き、オーナーの方は怪訝な表情になった。つぐみは不安になる。
「…はい。かなり遠い親戚ですけど…。あの、蓮花寺さんにはお会いできますか? 出来ないなら伝言だけでも…」
「分かったよ。ちょっと待っててちょうだいよ」
オーナーはみいこの居る椅子とは逆の方向にある、フロント横の階段を駆け上がって行った。
「…ウチにはねえ、警察関係の方が泊まりに来られたのよ…。それで、詳しいことは話してくれなかったけど、烏丸さんの家で藤子さんが殺されたとか…本当なのかい?」
和枝は誰もいないのに何故か声量を小さくして訊いて来た。つぐみはプライバシーもあるので誤魔化そうとも思ったが、いずれ世間の目に晒されるのは分かっているので頷いた。
「まあ! あの藤子さんがねえ…! …でも、あの家だと考えられないこともないけれど…」
「え…それってどういうことですか?」
「えっ!? いえねえ、ここ実は、元々は烏丸さんの別邸なのよ。それを売り払って、ウチの旦那のお父さんが買い取って、それを改築して民宿やらせて貰ってるから悪口言えるような身分じゃないんだけど…。烏丸さんの評判はこの村の中では悪くってね…。特に〝烏丸家の女性には関わるな〟っていう警告みたいなものもあってねえ」
「女性に…?」
それのフレーズは茜からも聞いたことがあった。
「ああ、何でも烏丸家の女性と付き合った男たちは皆、不幸な目に遭ってるとかなんとか。それに、烏丸家は元々この村の長だったこともあってね。
烏丸家の権力は、それはもう凄かったよ。それでもって、女性は美人揃いでしょ? だから怖いもの知らずの村の男が烏丸家の女性に手を出すことも多かったのさ。そしてそれに怒った歴代の当主様がその男たちを…。ま、まああくまで噂だけどね!」
和枝は笑ってお茶を濁した。だが、つぐみの中では、それは案外本当なのかもしれない、と納得できる部分があった。それは現当主の葉子や、跡継ぎであった藤子の態度を見ていれば分かる気がした。
そこへ、オーナーと一緒に一人の青年が階段を下りて来た。青年はやせ過ぎず細過ぎない体型で、背は烏丸家の中で一番大きい翔太郎よりも少し高い。細く弧を描く眉に、切れ長で鳶色の瞳。鼻梁が通った鼻など、客観的に見ても整った顔立ちである。黒い髪は全て後ろに撫でつけてある、
「蓮花寺先生、このお嬢さんがあなたに会いたいそうだ」
「先生は止めて下さいよご主人。…君が烏丸翔太郎から伝言を頼まれたんだって? 俺は蓮花寺恭助。あいつの一応友人だ」
青年こと蓮花寺恭助は表情を変えることなく自己紹介をした。
「私は黒羽つぐみと言います。翔太郎さんから伝言を預かって来ました」
「伝言、とは?」
腕を組んで訊いて来た蓮花寺に対し、つぐみは翔太郎が、自分の研究のせいで警察から藤子殺しの嫌疑を掛けられていること、そして、何故か藤子が亡くなる三日前から〝附子〟が藤子に使われていたことを伝えた。蓮花寺は眉間に皺を寄せ、ますます険しい表情になる。
「…まずはその事件について詳しく聞かせて貰おうか。…長くなりそうだ、そこのソファーに座ろう」
「あっ、じ、じゃああたしはお茶の用意をしますね!」
「わしは茶菓子の準備でもするか」
オーナー夫妻はその場に居てはまずい、と思ったのか、急ぎ足でその場を一旦去った。蓮花寺は二人に構うことなく適当なソファーに腰掛け、テーブルを挟んでつぐみも反対側に座った。
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