第15話

 次に話を聞く相手は決まったが、肝心のその人物である翔太郎が何処にいるのか、まったく見当が付かなかった。そういえば、家宅捜索が始まってから一度も姿を見ていない。玄関に続く廊下を取り敢えず、すずろに歩くことにした。

 ふと、近くが騒がしいことにつぐみは気が付く。その物音は、客間の近くの木戸からであった。その木戸は開いており、中に何人か入っているようである。つぐみは木戸の向こうにある物が気になり、中に入った。

「ん? あっ、だめじゃないか! 今、家宅捜索中なんだからさあ」

 つぐみは中に入った途端に大声を出されたのでびっくりする。声の主は、つぐみがすっぽり体に隠れられるほどの巨漢・淡谷であった。

「す、すみません。ここが何なのか気になってしまってつい…」

「見ての通りの物置だよ、ここは」

 淡谷に言われてつぐみは周囲を見回す。確かにここは金属製の棚と、山積みになったダンボール箱しかない。明かりは一基の蛍光灯だけであり、窓もないので空気は埃っぽい。動く度に舞う微小な埃が目に見えるほどである。

「淡谷さん、やっぱりここにあるダンボール全部外に出して、中身を一つ一つ調べるしかないです!」

「うええー…やっぱりそうするしかないのか…」

 奥にいた捜査員にそう言われ、淡谷はげんなりとした表情になった。そして、再びつぐみを見る。

「というわけで、今から引っ越し張りの作業になるから出た出た」

「はあ…すみませんでした…」

 つぐみは謝り、視線を落とした。すると、淡谷の足元に何か線のようなものが見えた。よく見るとその線は、繋がって長方形になっている。

「あの、刑事さんの足元に何か…」

「んー? 何だコレ?」

 つぐみに指摘されて淡谷は下を見ると、謎の長方形に気が付いた。

「上ばっか見てたから気が付かなかったよ。…お、こんな所に取っ手らしきものが」

 長方形の中にあるくぼみに淡谷は手を掛けた。すると、次の瞬間、

「おわっ!?」

「ええっ!?」

 長方形の線が立体を作り、それが隠し扉であったことが分かる。そしてその扉の下からは、更に下へ降りる階段が現れた。

「おいおい…こんなものがあるなんて聞いてないよ…。ちょっ、川田君! 懐中電灯持ってない!?」

 淡谷が呼び掛けると、川田と呼ばれた捜査員がさっと淡谷に懐中電灯を渡した。早速淡谷は階段を照らしてみる。つぐみもかがんで下を覗き込んだ。階段はまるで深淵へと続いているようである。

「下まで行ってみるか。あ、川田君はダンボールの搬出よろしく」

「分かりました」

 捜査員の川田は奥へ戻って行った。

「地下がある、って葉子さんは言ってたんですか?」

 既に下り始めている淡谷につぐみは尋ねる。

「いや全然。知ってるのに話さなかったってことは、こりゃ何かあるな…」

 そう言うと淡谷はゆっくりと一段ずつ慎重に下りていく。実に窮屈そうである。頭まで潜ったところで、つぐみも恐る恐る階段に足を置いた。

「…って、何で下りて来てるの!?」

 つぐみに気が付いた淡谷はぎょっとしてつぐみを見る。

「だって、ここ見つけたの私じゃないですか。ここまで来たら行くしかないでしょう!?」

「いやいや、危ないから戻りなさいって!」

「それは承知の上です! それに、真相解明に協力する、って私言いましたよね?」

 つぐみは両手を階段に置きつつ、ゆっくりと一段一段下りる。淡谷は溜め息をついた。

「しょうがない。気を付けてくれよ、この階段は急で狭いんだから」

「はい!」

 淡谷は渋々承諾すると、また下りて行った。視界は暗くなっていき、自分は下へ向かう。この感覚は修学旅行か母の付き添いの旅行で行った清水寺の〝胎内巡り〟に、ほんの僅かだが似ていた。淡谷は階段を下りると、つぐみが下りるまで待っていてくれた。

「うーん、何か明かりは他にないかな…。今探してくるからそこで待っててくれよ、危ないからね」

「分かりました」

 淡谷の心遣いに感謝しつつ、つぐみはその場に待機した。

「…おっ、スイッチかなこれ」

 暫くして淡谷の声が響いた直後に、ぱっと地下が明るくなった。天井のあちこちに裸電球が吊るされており、オレンジ色のぼんやりとした明かりが地下室内の輪郭をはっきりとさせる。

古い木板の床は長く使われていないせいか埃で真っ白になっている。空気も黴臭く、物置よりも埃っぽい。それに混じって肉桂にも似た漢方薬の臭いがする。木の戸棚があちこちに聳え立っていた。つぐみはタイツが埃まみれになるのも気にせず中を歩いて見て回る。

「何だあ? この棚の中にある瓶、全部空っぽじゃないか」

 遠くにいる淡谷の抜けた声を聞いて、つぐみは棚の中も見る。確かに、空瓶ばかりで何も無い。棚に付いている引き出しを開けても、何も出て来なかった。部屋の中央に行くと、木製の大きなテーブルがあった。淡谷もそこにいた。

「これは…もしかして薬を作る道具か?」

 テーブルの上には薬草をすり潰す為の薬研やげんやすり鉢に乳棒、秤が堂々と置いてある。

「戦前まで薬作りをしてたって言ってましたけど、その道具みたいですね」

「よっし! これら全部鑑識に回して、トリカブトの薬が作られていないか調べて貰おう!」

 淡谷は思わぬ収穫に目を輝かせ、デジカメをスーツのポケットから取り出すとそれらの写真を撮る。これも証拠として記録しておくらしい。

「この場所は…もしかしたら決定的証拠になるぞ! よーし、もっと色々探してみるか!」

 淡谷は活き活きとしながらテーブルから離れ、どこへともなく移動した。つぐみとしても、ここで何かを掴めるかもしれないと思い、また歩き始める。埃を被った床板はかさついてささくれており、棘や木片などに気を付けて歩かなければならなかった。

 部屋の隅まで行くと、瓶だらけの棚でなく本棚が土壁を背に立っていた。

ぎっしりと隙間なく並べられた背表紙はどれも色褪せて茶色みがかっている。文字が消えてしまっているのも多くあり、はっきりとしたことは分からないが、旧字体で薬草や薬の製造方法の本であることは辛うじて分かった。手に取ってみようとしたが、経年劣化が激しく、手に取った瞬間にページがバラけて地面に落ちてしまいそうなので止めておいた。

やはり、昔ここで薬を作っていたことは間違いないだろう。

「む!? こんな所に怪しい扉が!」

 淡谷が突然叫んだ。つぐみは声のした方へ向かう。淡谷は階段の真裏の隅にある扉の前に立っている。その扉は鉄で出来たいかにも頑丈そうなものであった。

まさかこんな所に扉があるとは、つぐみも思いも寄らなかった。そして明らかにこの扉の先には、この家の秘密が眠っている。

「鍵が開いてるかどうかは分からないが…やってみるか。あ、君危ないから離れて」

 淡谷に言われた通り、つぐみは扉から距離を置いた。淡谷は捜査の為に嵌めていた白手袋を外すと、錆びて赤茶けたドアノブを捻り、半ば体当たりするように押す。顔色は電球の色のせいで詳しくは分からないが、恐らく真っ赤にしながら淡谷は唸る。

すると、甲高く、思わず耳を塞いでしまいたくなるような金属音と共に、鉄の扉は少しずつ開き始める。鍵はどうやら開いていたらしい。もっとも、こんなに重く錆びた鉄の扉ならば開けるのも一苦労で鍵など必要ないとは思うが。人一人がようやく入れそうなところで扉の動きは止まった。

 淡谷は一息ついて、真っ暗な室内を懐中電灯で照らす。つぐみは部屋の中を見た次の瞬間、

「ひっ!?」

 思わず悲鳴に近い声を上げてしまった。一方淡谷は〝驚天動地〟という面持ちで部屋を見た。――石造りの床を隔てたその先には、鉄の檻の中に畳敷きの狭い空間があった。周りの壁も冷たい石造りであり、この空間に足を踏み入れずとも、異常な空気が刺すように肌に伝わってくる。

「こりゃあもしかして…座敷牢か…?」

 淡谷が呟いたので、つぐみは檻から目を逸らして淡谷の顔を見上げた。

「座敷牢って、あの時代劇で罪人が入れられる…?」

 つぐみの声は僅かに震えていた。

「ああそうだよ。だが、昔の金持ちの家にも自前で持っているところはあった。昔は、精神に異常をきたしている人間や、今で言う障害者も入れられていたんだ。今もそんなきらいがあるけど、昔は障害のある人には人権なんて無いも同然。世間では白い目で見られていた。ましてや金持ち、名士と呼ばれる家に障害を持った子供が生まれれば世間に出すことなんて考えられず、かといって命を絶つことも出来ない。だからこんな座敷牢に入れられて、存在を抹消されてたんだよ」

「酷い…」

「ああ、酷い。でも、それは今だから言えることで、昔の人たちはそれが普通で、より差別に苦しんでいたと思うよ。…そういえば、烏丸良吉は躁鬱病(そううつびょう)患者だ、って当主様が言ってたな…。まさか」

「まさか、その良吉さんをこの座敷牢に…?」

 淡谷の言葉の途中でつぐみは続きを受け取った。淡谷は頷く。

「良吉さんは享年七十歳…生きていれば八十二歳か。戦中戦後でもその因習は十分残っているだろうね。〝入れられて当然〟と考えられていてもおかしくない。ましてやここは田舎だから、余計に村の人たちからの風当たりも強いだろうね」

 つぐみはここでまた、烏丸家の栄華の裏にある暗い影を垣間見てしまった。そしてそれがもし、今回の藤子の殺害にもつながっているとしたら――実は根深い所にまで自分は図々しく入り込んでしまったのではないか。否、つぐみ自身にもやはり関係はあるのだ。遠く薄いが、自分には確かにこの〝烏丸家〟の血が混ざり合っているのだ。今更闇に目を背けて逃げることは、絶対に不可能なのだ。

「…この座敷牢はともかく、この地下室は怪しい! ああ、鑑識の仕事を増やしちゃうなあコレは…」

 淡谷は申し訳なさそうに独り呟いた後、つぐみの顔を見る。

「さて、見る者は一応全部見たからオレたちは戻ろう」

 淡谷の言葉につぐみは頷きで返した。

 階段は、再び淡谷が先頭になりゆっくり上がることとなった。地上に出て来ると、嫌に光が眩しく感じられた。



「だから! 僕じゃないって言ってるだろ!?」

 地下で服に付いた埃を払う為に一旦外に出ようとしたそのとき、翔太郎の怒声が聞こえて来たのでつぐみは驚いた。声は客間から響いて来ている。

どうやら事情聴取の対象は、沢野から翔太郎に移ったようである。今の声の調子から、翔太郎は警察にかなり怪しいと睨まれているらしい。一方で翔太郎は、つぐみが今までに聞いたことのない強い調子で身の潔白を主張している。もし、翔太郎が真犯人ではないとすれば――。

「ちょっとトイレに行かせてくれ。何だよ、逃げるわけないだろ! 第一、こんな包囲網があるのに逃げるか!」

 乱暴に客間の襖が開かれ、翔太郎が出て来た。すると、翔太郎はつぐみの姿を見つけると、大股で近付いて来た。思わぬ展開につぐみは固まってしまう。翔太郎は目の前まで来た。

「…君に頼みたいことがあるんだ」

「え、わ、私にですか?」

「そうだ。君は警察からマークされていないようだからな。…僕は今、第一容疑者になっているらしい。大学で生薬を研究していることと、姉弟仲が悪い、ということだけでね。でも、僕じゃない! 僕には動機もないしアリバイもあるんだからな! どうやら死んだ姉貴は僕が帰って来た日から、附子を摂取していたらしい。それもあっちの勝手な決め手になっている。…もう頼れるのはあいつ…僕の友人しかいないんだ! 頼む、君はこれからその友人に会ってくれないか!? そいつは今、この村の民宿〝なか村〟という所に宿泊している。名前は〝蓮花寺恭助れんげじきょうすけ〟だ。そいつなら知恵を貸してくれるかもしれないし、僕の無実も証明してくれるかもしれない! 電話も使えない今、君だけが頼りなんだ! この通りだ!」

 早口でまくしたてた後、翔太郎は深々と頭を下げた。つぐみは勢いに押されて思わず、

「わ、分かりました!」

 と了承の返事をしてしまった。すると、翔太郎はまくしたてたせいで赤みがかかっている顔に、安堵の色を浮かべる。

「すまない…! 恩に着るよ! その民宿はバス停とは真逆の方向に真っ直ぐ行けば分かる。村にある唯一の商店も目印だ。奴には僕の名前を言ってくれれば応じてくれるだろう。…頼むよ」

 そこで翔太郎は息を吐くと、客間に戻って行った。

 必死に頼まれた以上、断ることは出来ない。もしかすると深花耶の言う通り、早くしなければ冤罪の者―この場合は翔太郎―が出てしまうかもしれないのだ。

 つぐみは埃を払うことも忘れて、まずは自分に用意された部屋に行った。それからコートとマフラーをひったくって来ると、それらを着込んで足早に玄関へと出る。すると、見張りの警官と出遭ってしまった。

「どこへ行く?」

 寒い中長時間立たされて不機嫌なのか、警官はジト目でつぐみを見てきた。

「えーと、ちょっとこの先の商店に用があるんです」

「商店? あの店営業しているのか? 無人だったような…」

「『烏丸家の者です』って名乗れば出て来てくれるそうですよ! 急いでるんですけど、良いですか!?」

「君の名前は?」

「黒羽つぐみです!」

「黒羽……ああ、大丈夫だな」

「それでは、失礼します!」

 口から出まかせの嘘で通り抜けたが、そんなことを言わなくてもつぐみは翔太郎に言われたように、ノーマークのようであった。

 雪は止んでおり、澄んだ青空と太陽が久し振りに顔を出していた。雪がある為に走ることは出来ないが、なるべく早足で、民宿〝なか村〟をつぐみは目指した。


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