第13話

 家宅捜索が始まってからは、まるで引越しでもするかのようにあちこちが騒がしくなった。翔太郎と葉子、茜は大広間を出て行き、つぐみと撫子、仁志だけが残った。

 撫子も仁志も黙りこくって一言も言葉を発さない。それはつぐみも同じであった。

 ――自殺ならば原因が、他殺ならば犯人が問題になってくる。そしてつぐみの中ではやはり、藤子と自殺が結びつかない。

他殺ということになれば、この烏丸家の中の誰かが犯人である可能性が高い。数時間前、眠る前に他殺のことを考えてぞっとしたが、またもやぞっとすることになってしまった。

「…そういえばつぐみちゃん」

 突然名前を呼ばれたつぐみは吃驚する。声を掛けて来たのは仁志であった。

「は、はい」

「さっき藤子さんが書いたと思われている文書…のコピーを見せてもらったとき『証言で、藤子さんと藍ちゃんの会話を聞いた』って言ってたけど、それはどんな内容だったんだい?」

 仁志の言葉を聞いた撫子も、つぐみの顔を見る。

「そうね、確かにそう言っていたわね…。私も気になるわ。良かったら教えてくれないかしら」

 二人に問われ、つぐみは自分が聞いた会話を二人にも教えた。

「それは…確かにおかしいわね。さっきの文書とまるで真逆だわ『三人で生きる』なんて」

「しかもそれってつまり…藤子さんは僕達を追い出したいって風にも取れるけど…」

 仁志はつぐみが考えたことと同じことを口にする。撫子の反応が気になり顔を見るが、表情は険しいままであった。

「でも姉さんなら、そう考えていても不思議ではない気がするの…」

「えっ!?」

 つぐみと仁志は揃って大きな声を上げてしまった。一方撫子は、物憂げな表情になる。

「…この烏丸家は代々女性が当主になるの。そして次期当主は姉さん、その次は藍よ。姉さんはプライドが高くて、当主の座には特に拘っていた…。一刻も早く当主になりたくて、そんなことを言ったのかもね」

「でも、それなら私が聞いた話とやっぱり文書の内容は矛盾してますよ。…あれは本当に、藤子さんが書いたものなんでしょうか…?」

「筆跡鑑定ではほぼ一致しているんでしょう? それならやっぱりあの文書は姉さんが書いたものよ」

 撫子の発言でつぐみと仁志はますます混乱する。すると、撫子はこう続ける。

「…もしかして、文書の方が姉さんの本当の気持ちなのかも…」

「何だって?」

 仁志は思わず訊き返した。

「だって、わざわざ文書で残したくらいなのよ? …もちろん、父さんも忠治さんも事故で亡くなったとは思う。でも、もし姉さんが…」

「おいおい撫子さん落ち着いてくれよ。確かに義姉ねえさんはキツい人だったけど、そんなことまではしないだろう」

 仁志は苦笑して撫子の憶測を否定する。だが、撫子の表情は変わらない。

「そもそも父さんと忠治さんの死については、まだはっきりしていない部分があるのよ。だから…」

 撫子の考えは殆ど文書の内容が本物であるということに傾いている。そして仁志はまた黙って考え込んでしまった。つぐみの中での違和感は、増大する一方である。そしてその一方で、藤子の昨晩の発言と文書の内容の矛盾、茜の言葉、烏丸家の三人の死―何かどこかで繋がりがあるような気がするのである。

 つぐみはおもむろに立ち上がると、大広間を出た。もう一度、茜に話を聞いてみようと思ったのである。すると、廊下の突き当たりでつぐみは茜に遭遇した。つぐみは今まさに会おうとしていた人物と鉢合わせたのである。茜の方も、目を大きく見開いて驚いた様子であった。

「あ、茜ちゃん…あのね」

「あの…」

 二人はほぼ同時に声を発した。そして、同時に黙ってしまう。先に口を開いたのはつぐみである。

「茜ちゃん、どうしたの?」

「えっと…その…」

「私は茜ちゃんに色々訊きたいことがあるんだ」

 昨日のパターンならばここで茜に逃げられるところだろう。だが、今回は逃がすまい、と構える。

「私も…つぐみさんに相談したいことがあるんです…」

「えっ」

 まさか茜が、自分から積極的に相談を持ちかけて来るとは思わなかった。

「どこか人のいない所で…話した方が良いよね?」

 つぐみが尋ねると、茜は大きく頷いた。つぐみは周囲を見回す。

「うーん、今家宅捜索中だから人のいない所は…」

「さっき、警察の人が仏間から出て行くのを見ました。今なら多分、誰もいないと思います」

 相変わらず何かに怯えているように見えるのには変わらないが、昨日よりも茜の声はしっかりとしていた。そのことにつぐみはただただ驚く。

「分かった。仏間で話そう」

 つぐみは踵を返して仏間へ向かう。あとから茜もついて来た。



 つぐみは仏間の中と、その前の廊下に人の気配がないことを確認すると、後ろ手で襖を閉めた。茜は手際よく座布団を二人分、向かい合うように敷いた。線香の匂いがまだ強く残っている。つぐみは礼を言うと、座布団の上に座る。

「茜ちゃん、相談したいことって何かな?」

 茜はそこで下に向いていた視線をつぐみに合わせた。

「昨日…私がここで言っていたことについて、です」

「それは、私も訊きたかったことなんだ。…茜ちゃんや藍ちゃんのせいでお母さんが死んだ…ってどういうこと?」

 つぐみが改めて尋ねると、茜は一度目を大きく見開いて息を呑んだ。そして、また俯きがちになる。

「まず…八年前のことをお話します。…撫子さんの双子の姉、百合子さんが亡くなったことはご存知ですか?」

「うん。そこの遺影に撫子さんと同じ顔の人がいたからびっくりしちゃって…あとで仁志さんに聞いたんだ」

 つぐみは上に掛かっている百合子の遺影を見上げた。――夢の中で見た百合子と同じ笑みを浮かべている。それから視線を茜に戻した。

「…百合子さんが亡くなったのは、私と、姉のせいなんです」

「えっ!? そっ、それってどういうこと!?」

 つぐみは新たな事実に当惑し、茜は泣きそうなのを堪えている表情になる。

「八年前…夏の暑い日に…私と姉は家の裏手に流れている風月川に泳いで遊んでいました。その場には百合子さんと撫子さんがいて、私たちを見てくれていました。風月川自体は流れも穏やかで、私たちも浅い所に入っていました。でも、そのとき思いがけないことが起こったんです。…鉄砲水が流れて来たんです。…後で聞くとその時期は、梅雨が明けたばかりで雨量も多く、鉄砲水が流れやすい状況だったそうです。そして鉄砲水に私と姉は当然流され、溺れました。そのとき百合子さんは咄嗟に川に入って、撫子さんには助けを呼ぶように言いました。百合子さんは必死で私たちの手を引いて助けてくれて…でも、今度は百合子さんが流れに飲み込まれて…二度と戻って来ませんでした…。遺体は、その日の夕方に…下流で…」

 茜は声を殺して泣き出した。つぐみは百合子の死の真相をやっと知り、そして茜と藍、撫子の心の傷を垣間見た。

「そう…だったんだ。だから昨日、あんなことを…あれ? でもそれならお母さん…藤子さんは関係無いんじゃ…」

 つぐみの言葉に茜は激しく首を横に振った。

「私たちが関わった人は、きっと死んじゃうんです…! 撫子さんの旦那さんも、その数か月後に亡くなって…今度はお母さんが!」

「違うよ! それは悪い偶然でしかない! 茜ちゃんも藍ちゃんも、誰も悪くない!」

「でも! この村の人たちもよく言うんです! 『烏丸家の女に係わるな』って! きっと…私たちは呪われているんです…」

「呪いなんて存在しないよ!」

「じゃあ、どうしてお母さんは死んじゃったんですか!?」

「そ、それは…」

 つぐみは次に発する言葉が見つからない。烏丸家、特に女がこの村で悪く言われていることも初めて知った。昔から謂れのないことで、茜や藍、撫子に百合子、そして藤子は苦しめられてきたのだ。――自分は部外者で、あくまでも傍観者でいようとしていたのに――つぐみは、目の前にいる茜を心から、助けてあげたいと思った。初めは好奇心で探偵の真似事をしていたかもしれない。だが、たった今、助けたい、という気持ちが本物になったのだ。それが一時的な感傷のせいだったとしても。

 つぐみは泣きじゃくる茜をそっと自分に寄せて抱きしめた。

腕の中にいる茜は驚いて、固まってしまう。

「大丈夫、茜ちゃんも藍ちゃんも悪くないよ。それに、藤子さんは昨日の晩にね、こんなことを言っていたんだ」

 つぐみはそこで昨晩の藤子と藍の会話の内容を話した。茜はつぐみの腕から体を離す。

「お母さんとお姉ちゃんが…? …私も昨晩、母の部屋へ行ったんです」

「えっ!? …もしかして、藍ちゃんと同じことを言われたの?」

「いえ…お母さんとは話せなかったんです。…私、昨晩の9時45分頃に母の部屋へ行ったんです。その時間に来るように言われていたので。でも…私がそのとき部屋に入ったら、母は机の上に突っ伏していたんです。それで肩を叩いたり揺さぶったりしてみると、少しだけ眠そうな声を出して…起きてはくれませんでした」

 そういえば昨晩、藍との会話の中で『茜も呼んでいる』ということを言っていたのをやっと思い出す。だが、茜の今言ったことは妙なこと以外の何ものでもない。

「その後、茜ちゃんはどうしたの?」

「一旦部屋に戻りました。…でもそのあと…お母さんが死んじゃうなんて…!」

 茜は自分からつぐみの腕の中に入って行き、泣きじゃくる。つぐみは何度も優しく背中をさすり、茜が泣き止むのを待った。

「…すみません、ご迷惑をお掛けして…」

 暫くして茜はつぐみから離れて、涙声で言った。

「そんなことないよ。…でもどうしてそれを私に話してくれたの?」

「つぐみさんはお姉ちゃんと同い年で、安心感があったんです。それに、この家の他の人や警察の人に話すのも怖くって…」

 茜の気持ちは、茜が話してくれたことから察することが出来る。身内は今、どこかピリピリしており、警察にそんなことを言えば茜や藍に嫌疑が掛けられるかもしれない。だから茜は敢えて外部の人間のつぐみを相談相手に選んだのだ。

「ありがとう、色々話してくれて。…藤子さんの死の真相は私も気になっているんだ。本当は警察の人の仕事なのかもしれないけど…。今回の事件は引っ掛かることが多すぎて…。私自身も真相を究明したいと思っているんだ。私も遠いけど、烏丸家の血を引いてるしね」

「そんなこと…出来るんですか?」

「私には頼れる友達がいるんだ。そのに知恵を借りてみるよ。…茜ちゃんはどうするの?」

「私は…お姉ちゃんの傍にいます」

「そうだね、その方が良いよ。きっと今藍ちゃんの心の支えになってあげられるのは…茜ちゃんだと思う」

 茜はつぐみの言葉に大きく頷いた。もう茜には〝怯え〟というものが無かった。つぐみと茜は仏間から出ると互いに別れ、つぐみは電話へと向かった。

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