第12話
午前9時より少し前、先に大広間に入って座っていたつぐみは葉子に連れてこられた藍と茜が入って来るのを見た。茜は昨晩と変わらず怯えているようであり、藍の方はといえば――数十時間しか会っていない内に、随分やつれて生気が無いように見えた。チャームポイントの一つであるポニーテールも解かれている。昨日初めて会った活発で人懐こい藍とはまるで別人であり、つぐみは強いショックを受けた。
つぐみが茫然としている間に、梅野と淡谷の両刑事が大広間に入って来た。時計を見ると、9時ピッタリである。横一列で弧を描く様に座る皆の前に、梅野と淡谷が立った。
「皆さんおはようございます。皆さんにここに集まっていただいたのは、昨晩から今朝にかけての捜査報告をさせていただく為です」
梅野はそこで一旦間を置いた後、書類を手に取って皆の顔を一通り見回してから話を続ける。
「まず司法解剖の結果、烏丸藤子さんの死因は薬物による服毒死です。それも、致死性の高いトリカブトだということが判明しました。ちなみに睡眠薬も検出されましたが、これは微量で死因には繋がっていません」
梅野がそう言った直後、仁志以外の烏丸家の面々の雰囲気がさっと変わったことにつぐみは気が付く。一方梅野はそのことについて気付いているのかいないのか、話を更に続ける。
「そのトリカブトの毒は藤子さんの部屋に置いてあった急須と湯呑みから検出されました。この急須と湯呑みには昨晩午後9時頃、この家の使用人である沢野さんが藤子さんへ持って行ったもので間違いありませんか?」
梅野と視線が合った沢野は落ち着きを失くし、顔から血の気が引いていた。
「は、はい…そうですが…」
消え入りそうな声で沢野は答えた。
「分かりました。そして…藤子さんの死亡推定時刻は午後10時から10分前後です。つまり皆さんがこの大広間に集まっていたときに、藤子さんが亡くなっていた可能性があります。そして亡くなった原因は、湯呑みの茶に混入していたトリカブトを摂取して死亡、という結果も出ました。つまり」
「つまり何だい? 藤子は沢野が殺したって言いたいのかい!?」
葉子が声を張り上げて梅野の言葉を遮った。
つぐみも他の皆も息を呑み、沢野の顔色はますます悪くなる。
「わ、私はトリカブトなんて知りません!! どうしてそんなものがこの家に!?」
今にも泣きそうになりながら沢野は叫んだ。
「それについては烏丸家の方々がよくご存じなのではないですか? 特に大学で生薬の研究をされている翔太郎さんは」
皆は翔太郎に注目する。翔太郎は険しい顔になっており、ゆっくりと口を開く。
「…確かに、この山は周囲にある山に比べてよくトリカブトが群生している。そして烏丸家はそのトリカブトを利用して薬を作り、生計を立てていた時代もあった」
「薬って…まさか、毒を!?」
仁志が思わず叫ぶと、翔太郎は頭を振った。
「トリカブトは確かに致死性の高い毒草だ。数ミリグラムですぐに命を落とす。だが、その一方で強心作用や鎮痛作用のある薬にもなるんだ。生薬では、トリカブトのことを〝附子〟と呼ぶ」
「そ、そうか…薬と毒は紙一重ということか…」
仁志は少し安堵した。
「そう。ですが現に藤子さんの死因はトリカブトによる服毒死なんですよ。そしてこの家の方なら簡単にトリカブトを見つけ、お茶に混入させることも出来る」
「あんたたちは馬鹿かい? 今はトリカブトなんか生えちゃあいないだろ」
葉子がぴしゃりと言い、梅野は僅かにむっとした表情になる。
「何も今探すことはない。生えている時期に採取すればいいだけです」
「そうかい。で、沢野や私ら烏丸家の人間が、身内の藤子を殺す動機は?」
そこで梅野は一瞬言葉に詰まったが、咳払いをするとビニール袋に入っている手紙の封筒を掲げた。
「えー、我々はまだ他殺と決めていません。何故なら藤子さんの部屋から、この文書が見つかったからです」
「なんだいそりゃあ」
葉子は梅野を睨みつけ、唸るような声で尋ねた。
「今からこの文書をコピーしたものを読み上げますよ」
梅野は淡谷から手渡されたコピー文書を読み始める。
【私、烏丸藤子は自分の犯した多くの罪を告白したいと思い、筆を執りました。私は父の良吉、妹の夫・忠治さんを事故に見せかけて殺したのです。その目的は、二人の遺産でした。私は私服を肥やす為に、二人を殺めてしまいました。この罪は、私の命をもって償いたいと思います。】
「お母さんは人殺しなんてしてない!!」
それまで俯いたままじっと動かなかった藍が、泣き叫んだ。突然のことに梅野や淡谷までもが吃驚する。
「そんなのデタラメよ! お母さんはそんなことしない! しないってばああああっ!!」
藍は錯乱し、頭を畳に何度も打ち付ける。それに素早く対応したのは葉子であった。葉子は藍を無理矢理立たせると、大広間から藍を引き摺るように出て行った。悲鳴とも怒声とも区別がつかない藍の叫び声は、段々遠のいて行った。つぐみはまたしても茫然とする。そして、今聞いた文書の内容には釈然としないものがあった。その内容は、昨日聞いてしまった藍との会話の内容と大きく乖離しているからである。そこへ、また梅野の咳払いが聞こえて来た。
「えー、そしてこの文書ですが、筆跡鑑定をしたところ藤子さんの筆致と97%一致しました。これは本人が書いたものと見なして良いと思います」
「あの」
気が付けばつぐみは声を出しており、皆の視線は、今度は自分に向いているのを感じた。
「どうかしたのかい?」
淡谷が訊き返す。
「その…そのコピー見せて貰っても良いですか?」
「え、そりゃあ君、これは物的証拠で…」
梅野は明らさまに嫌そうな表情をする。だがつぐみはどうしても自分の中にある〝違和感〟を拭い去りたい。その為に、思わず言い出してしまったのだ。
「私、昨日証言しましたよね? 偶然藤子さんと藍ちゃんの話を聞いてしまった、って…。その話の一部ではありますけど、その文書の内容と矛盾している気がするんです」
「…ああ、あのことか! はあ、確かにねえ…。梅野さん、これなら見せても問題ないんじゃないですかねえ。彼女にどうこう出来るわけでもないですし」
「お前はなあ! ……分かった。読んだら返してくれよ」
「ありがとうございます」
つぐみは梅野から文書を受け取った。そして、一通り目を通す。文書は全て筆で書かれており、流麗な文字である。やはり、この内容には違和感があった。
「凄く綺麗な字ですね…。和紙に筆で書かれてあるんですか?」
「そうそう。藤子さんは書が趣味だったそうだよ。確か書道も二段とか」
淡谷が気さくに答えると、梅野は肘で強く突いた。淡谷は顔を引き締める。
「…家中にある書画は全て姉が書いたものなんです。藍や茜も姉から書を習っていました。刑事さん…私にもその文書、見せていただいても宜しいですか?」
撫子は梅野を見つめそう頼んだ。梅野はため息をつきつつ「分かりました」と了承した。つぐみは隣にいる撫子に文書を渡す。
「…これは姉の字です。でも、この文書の内容は…本当に事実なのですか…?」
撫子は涙ぐみながら文書を梅野へ差し出した。梅野はそれを受け取る。
「それは亡くなった藤子さんのみが知ることかもしれません。そして、藤子さんが昨晩皆さんに話そうとしていた内容も、どうも気になります。皆さん、何か心当たりはありますか?」
皆は黙り込んでしまう。それも当然で、それを知っていれば証言する筈である。そこへ、葉子が戻って来た。
「母さん、藍は…?」
撫子は心配そうに尋ねる。
「あの子の部屋に寝かせて来たよ。…そこの刑事二人、藤子が書いたって言うその文書だけどね、あの子がそんな馬鹿なことをする筈がない。あの子は人殺しなんてしないよ。それに、私の旦那と娘の百合子、そして撫子の旦那の死についてはとっくに調べてあるんだろう?」
「ええ…。通報を受けてこの家の名をどこかで聞いたことがありましてね。気になって調べて見たらありましたよ。その三人の死について」
梅野は立ったままの葉子を見据えて答えた。
「なら、その事件はもう終わってるんだよ。旦那の良吉は当時鬱病で〝
「ええ、そうです」
「それが分かっているんなら、その文書はでたらめだ。それに九十七%なら百%じゃない。誰かが偽造した可能性もあるだろ?」
「では、葉子さんには心当たりが?」
「はん、あるわけないだろ。その辺を調べるのが警察の仕事じゃないのかい?」
迫力では圧倒的に葉子が勝っており、梅野も淡谷もぐうの音が出なかった。だが、梅野もここで退くわけにはいかず、また咳払いをして体勢を立て直す。
「それでは、警察の仕事をさせてもらいましょうか。今回の件は自殺と他殺の両面から調べさせていただきます。よって、手掛かりを得る為に家宅捜索をさせてもらいますからね。良いですね?」
梅野は令状を皆に向けて掲げた。
「勝手にやりな。ただし、年頃の娘二人とお客人の部屋には私が同行させてもらうよ」
「分かりました。そして、まだ聴取を行っていない藍さんと茜さんですが…」
「藍はあの状態を見れば分かるだろう。無理だよ。茜、お前は出来そうかい?」
葉子に尋ねられた茜は全身を震わせ葉子を見つめると、ゆっくり頭を振った。
「ということだ。この子たちは当分無理だよ」
「…そのようですね。では、必要に応じて事情聴取を行います。淡谷、捜査員の手配を」
「はい!」
淡谷は威勢よく返事をすると、大広間を出て行った。沢野は梅野に呼ばれ、再度事情聴取を受けることになった。他の面々は暫くその場を動かなかった。
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