第10話
つぐみは仏間の襖に手を掛け、そっと引く。そこには壁に並んで掛かっている遺影を見つめて立っている茜の後ろ姿があった。
つぐみはにわかに驚き、物音を聞き付けて振り向いた茜と目が合った。茜の方は驚いているというよりも、初めて会ったときと同じく怯えている、といった様子である。顔面蒼白で、目と鼻の頭が赤くなっている。きっと泣き腫らした後なのだろう。
「茜ちゃん…? 震えているみたいだけど大丈夫…?」
つぐみは少しだけ茜に近付いて、なるべく怖がらせないように柔らかく話しかける。茜はつぐみからさっと目を逸らす。
「わ…私は大丈夫です…。お母さんが…」
か細い声で茜は話す。もっと聞こえるようにつぐみは茜の方へ近付いた。
「お母さんが…死んだのは、わ、私とお姉ちゃんのせいかもしれない…」
「…え?」
茜の大きな目にはみるみる涙が溜まっていく。茜の唐突な言葉に、つぐみは戸惑う。
「それって…どういうこと…? 茜ちゃん、何か知ってるの?」
つぐみが恐る恐る尋ねると、茜は小さな声で、
「ごめんなさい」
と一言だけ言って立ち上がり、逃げるようにつぐみの横をすり抜けて仏間から走って去って行った。つぐみは当惑して、突っ立ったまま動こうにも動けない。徒に視線を泳がせていると、仏壇の隣にある床の間に目が行った。
そこには菊の花が活けてあり、掛け軸がある他に多くの写真が置かれていたのである。つぐみは床の間の前に座り、写真を眺める。カラーの綺麗なものから、色あせてセピア色になっているものまで様々あるが、全て人物を撮ったものである。恐らく幼い頃と思われる藍と茜が笑顔で写っている一枚。若い頃の美しい葉子に抱かれている幼児の翔太郎。今日出会った烏丸家の人々に加え、見知らぬ人たちがずらりと並んだ一枚。白黒の幕の中で遺影を中心に撮られた葬式のときの集合写真。時代も季節もシチュエーションもバラバラな写真が、所狭しと飾られていた。恐らく生前の故人を偲んだり、思い出を懐かしんだりする為に置いてあるのかもしれない。そしてその写真の中に紛れて、撫子が写っている写真を見つける。一緒に移っているのは撫子と瓜二つの顔の少女―若くして亡くなった双子の姉の百合子である。二人とも十代半ばなのか、今よりもずっと幼く、可憐さやあどけなさが残る顔立ちである。かなり色褪せているので正確な色彩は分からないが、二人とも白いワンピースに麦わら帽子を被っている。
あまりにも似ているのでどちらが撫子で、どちらが百合子なのかは分からないが、全く同じ表情はしていなかった。片方は愛らしい笑顔だが、もう片方ははにかむ程度である。
――違う、これははにかんでいるのではなく、多分、哀しいのだ――
理由は分からないが、つぐみにはそう見えたのである。二人の背後には川がある。恐らく仁志に教えてもらった風月川である。
まさかこの川でこの双子の片割れと、撫子の夫が亡くなることになるとは、この頃の二人には想像だにしなかっただろう。
ふと、勝手に烏丸家のプライバシーを覗き見している気分になったつぐみは、立ち上がって仏間の電気を消し、そっと襖を閉めた。
自室に戻ったつぐみは、ブレザーを脱いでリボンを取ってから明りを消すと、敷きっぱなしの布団に入った。もう明け方の四時か五時くらいだろうか。真冬の日の出は遅く、夜中も同然である。仮眠を取ったことや事情聴取に加えて、茜の意味深な発言でつぐみは中々寝付けずにいた。
『お母さんが…死んだのは、わ、私とお姉ちゃんのせいかもしれない…』
茜は震える声で、より一層怯えるように言った。あの発言の意図は何なのか。まさか、藍と茜が自分の母親を殺したわけではあるまい。なんとなく関係がありそうなのは、藤子が時間を指定して皆を集合させてまで〝伝えたかったこと〟。そして、藤子の部屋の前で立ち聞きしてしまった藤子と藍の会話である。
『家族三人だけで暮らそう』というのはとても穏やかな響きには聞こえない。逆に言えば、藤子の言う三人、藤子自身と藍と茜以外はすべてこの屋敷から追い出す、という風にも捉えられる。そしてその発言に対する詳細は、娘の藍にすら午後十時の発表までに伏せられていた。藤子は発表のときまで口外したくなかったのだろう。それ程に、今の烏丸家の何かを揺るがす事実なのかもしれない。そして先刻の茜の発言と繋げてみる。
――藤子は娘二人の為に発表する内容のせいで殺された――
自分で考えてつぐみはぞっとする。まだ藤子の死因も分かっていないのに、殺された、なんて考えは予断そのものでしかない。しかし、時間まで指定しておいて自殺という可能性も考えにくい。残る可能性は事故だが、あの一室でどのような事故が起こるのだろうか。どうにも、つぐみの中には自殺や事故という線が残らない。更に、つぐみ自身が烏丸家のことを何も知らないでいるのも同然なのだ。それでいて、今日起こったこと、見聞きした中には違和感が多い気がする。そんな状態で藤子の死の真相を知ることは不可能なのだ。
そもそもつぐみが考えていることは警察の仕事である。あとは警察に任せておけば良い。そう自己完結したところでつぐみは目を閉じた。
しかし、脳は簡単には眠らせてはくれなかった。
◆
――強い陽射しが照りつけているのに、暑いとは感じない。雲一つない青空で、空気は澄んでいる。足元は砂利だらけの川原なのに、美しく白い撫子が一面咲き乱れている。
体を捻ると、心臓が止まるかと思った。そこには黒地に家紋だけが白く染抜いてある着物に身を包んだ撫子が倒れているのだ。そう、藤子が死んだときと同じ体勢で。
そして視線をその先に延ばすと、白い着物に身を包んだ、撫子と同じ顔の女が立っている。その女は、微笑んでいた。まるで花が咲きほころんだような笑みなのだ。あれは、もしかして姉の百合子なのだろうか。
――本当に、そうなのだろうか。笑っている女に向けて声を出そうとしたその直前に、そよ風は生温く、強いものに変わった――
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