第9話
――つぐみ様、警察の方が事情聴取を行いたいそうです。
沢野の声が夢と現の淵に入り込んできた。つぐみはゆっくりと起き上がると、一つ伸びをする。
「分かりました…今行きます」
「お休みのところ申し訳ございません。それでは…」
沢野はそう言って入口の前から去って行った。つぐみはブレザーを着てさっと髪を整えると、立ち上がって一階に向かった。――夢は見なかった。もしかしたら見たのかもしれないが、覚えていない。頭のどこかで見まいとする意識が働いていたのかもしれない。
階段を下りて廊下に出ると、鑑識班はもう引き上げたのか藤子の部屋の襖は閉まっていた。大広間の方に向かって歩いていると、先程会った〝岩熊刑事〟が大広間の前に立っている。岩熊こと淡谷は、つぐみを見つけると朗らかな笑顔を見せた。
「あっ、もしかして黒羽つぐみさん?」
「はい…」
「オレは月島署の刑事の淡谷っつーモンです。事情聴取は客間でやるので、ついて来てください」
「分かりました」
とうとう自分の番が来たのだと思うと、急に緊張してくる。先程仁志と撫子に〝大丈夫です〟と言い切ってしまったことが恥ずかしい。すると、前を歩いている淡谷が話しかけてくる。
「いやー、もう眠くてしょうがないけど、君は大丈夫?」
何やら弛緩したような淡谷の話し方に、つぐみも気が抜けてしまった。
「ついさっきまで仮眠を取らせていただいたので大丈夫です」
「そっかあ。オレたちも一区切りしたら休みたいなあ。なんせ今、午前三時だもん」
「え、もうそんな時間なんですか!?」
「そうそう、これから鑑識と司法解剖の人たちは徹夜だろうねえ。あれ、もう朝なのかな。まあ、徹夜は慣れっこだけどね!」
淡谷は豪快に笑った。これから徹夜を嫌でもしなければならない警察関係者には同情してしまう。仮眠は取ったものの、まだ眠り足りない気がする。
「はい、ここで事情聴取するよ。ああ、中に警官が一人いるけど念の為にいるだけだから気にしないで」
淡谷が足を止めたのは桔梗の絵柄の襖であった。ここは客間であったらしい。淡谷がつぐみに先に入るように、と襖を開けてくれた。つぐみは「失礼します」と、ぎこちく挨拶をした。
客間は床の間に書の掛け軸、その右隣には違い棚がある。よく見る客間であった。艶々と輝くテーブルの上に書類が無造作に置かれ、その前にくたびれた小太りの中年男性が座っている。男は疲れているのか、充血した目でつぐみを見たので、つぐみはぎょっとした。
「ああ、黒羽つぐみさん…でいいかい」
「は、はい」
「えーと、そこの座布団に座って。俺は梅野という。これから任意で事情聴取を行うよ」
中年男性こと梅野に言われ、つぐみは座る。後ろには制服姿の警官が立っており、つぐみの斜め向かいには淡谷が座る。これが客間でなく署ならば、もっと緊張していたかもしれない。
「じゃあ、聴取を始めるよ。えーと、今は西暦2012年12月25日午前3時20分。参考人…お嬢さん、一応形式上必要だから、名前と年齢、職業を言ってくれるかい」
少しだるそうながらも梅野の声には鋭さがある。ここは淡谷とは違い、刑事の貫碌があった。
「黒羽つぐみ。年齢は16。職業は学生…です」
「学校はどこかな」
「県立月島高校です」
「へえー、中々偏差値が高いとこですよ!」
「それは今どうでもいいことだろ!」
マイペースな淡谷に対し梅野がすかさずツッコミを入れた。良いコンビだ、とつぐみは心の中で思った。
「えー、それで、君の前に事情を聞いた人たちによると、君とこの家の関係は、何でも当主の葉子さんの妹さん、ツタ子さんがいるそうなんだけど、その人の孫のいとこのいとこが君のお母さんに当たると。ええとややこしいんだが、何でそんな遠い繋がりの君が、それも一人で、この家の十三回忌法要に来たんだい?」
梅野は肉筆で書かれた家系図とつぐみを交互に見ながら尋ねた。つぐみは法要の案内が来たこと、自分一人だけがここに来た理由を少しつっかえながらも答え切った。
「へえ、好奇心ねえ…。それだけでわざわざここまで来たのか…」
梅野の声がつぐみへの疑念を含んだものになったので、つぐみは肝を冷やす。
「オレはそんな評判聞いたら、行く気無くなりますけどね」
淡谷までもがそんなことを言い、胸やら胃の奥やらが痛くなってくる。
「…確かにそうですけど、そのときは楽しみにしていたんです。それに理由はそれだけじゃないことは言いましたよ!」
「母親の仕事の都合、だったね。まあ親御さんが心配する気持ちは分かるが、よりによってクリスマス・イヴに法要の方を取るとは、物好きだねえ」
「私も冷静になったらそう思いました。こんな悪いことが起こるなんて…。でも、悪いことばかりでもなくて、この家の同い年の女の子…藍ちゃんとも仲良くなれましたし。藍ちゃん…大丈夫かな…」
「その子の事情聴取は可能なら明日…じゃなくて今日やるつもりだったんだけど、どうなんだろうなあ…心のケアも必要だろうし」
淡谷は考え込むように言った。梅野は視線を淡谷からつぐみに戻す。
「話を戻すぞ。それで、亡くなった藤子さんとは初対面だったんだね?」
「もちろんです。というか、ここには生れて初めて来ましたし、ここの人たちとも初めて会いました」
「その初対面の藤子さんはどんな印象だった?」
「えーと、私は何か…下に見られているような感じでした。なんか、本家のプライドの塊、って感じで」
「つまり、嫌な思いをしたと?」
「へ!? いえ…そんな思いをするほど話していないっていうか…。なので、そんな感情は持ちませんでしたよ。それに、藤子さんは昨日の午後十時に集合を掛けたとき私も参加して良いってことだったので、藤子さん自身、私を下には見ていても嫌がったりはしていなかったんじゃないでしょうか。多分…」
「出たな、その謎の呼び掛け…。結局、その告白とやらは何だったのか、今のところ何も見えないな」
梅野は険しい表情になる。眉間に皺を寄せると、つぐみにはまるでその丸い顔が梅干しの様に見えた。
「その集合を掛けたときとかその後とか、何かこう…違和感みたいなやつとかなかったかい?」
「違和感…かどうか分からないんですけど、藤子さんが集合を掛けた後、私以外の人たちはどこか不安そう…に見えたんですけど…」
つぐみはあのときのことを思い出す。藤子の〝伝えたいこと〟も皆の反応も分からないことだらけである。
「梅野さん! これ、新証言ですよ! 烏丸家の他の皆さんは一言もそんなこと口にしてません!」
淡谷は驚き半分喜び半分、といった具合に叫んだ。
「いきなり叫ぶんじゃねえ! お嬢さん、変わったことはそれだけかい?」
「えーと…」
つぐみはそこで、藤子と藍の会話を思い出す。そしてその直後に逡巡する。このことを話せば、ついさっきの自分のように藍に疑いの目を向けられるのではないか、と思ったからである。ただでさえ辛い状況なのに、警察から疑われればもっと心に傷を負うのではないか。――しかし、藍にもいつかはそのときのことを話さなければいけない時が来る。ならば、ここで話してもきっと同じことだろう、とつぐみは話すことを決め、説明をした。
「…成程ねえ。確かに妙な話だなそりゃ」
梅野は訝しげに返した。
「梅野さん、もしかして亡くなった藤子さんが発表しようとしてたことって、今の証言に関係するんじゃないですか?」
「俺も今そう思ったところだ」
梅野と淡谷は交互に自分の意見を述べた。梅野は思案顔のままつぐみを見る。
「その会話、何時くらいに聞いたか覚えているかい?」
「えーっと…藤子さんの集合から探索に出るまで…大体一時間くらい経っていたので、午後9時前後だったような気がします。話を聞いていた途中で沢野さんと会って、それからは話を聞いていませんけど」
「…ああ、沢野さんの証言とも一致するね。9時くらいに藤子さんにお茶を持って行こうとしたら、つぐみさんと廊下で会った、って。ははあ、証言が増えたお蔭で少しは見えて来たなあ!」
「バカ野郎! 証言だけで解決するんだったら鑑識はいらないだろうが!」
「はあ、すみません…」
淡谷は少し小さくなった。確かに梅野の言う通りである。
「で、その後お嬢さんはどうしたんだ?」
「沢野さんがお茶を持って来てくれると言ったので、部屋に戻りました。それからちょっと時間が経った頃に沢野さんがお茶を持って来て…。お茶を飲みながら9時50分までずっと部屋に居ました」
「それで、その9時50分に大広間に入った、と」
「はい」
「お嬢さんが大広間に入ったとき、大広間には誰がいた?」
「仁志さんと撫子さん、翔太郎さんがいました。私のあとに藤子さん以外の人たちが…」
「最後に大広間に入って来たのは?」
「えーと…あ、葉子さんだったと思います」
「ここもバアさ…葉子さんの証言と一致しています」
「そこら辺は大体同じってとこだな。それで、肝心なのはそのあとだ。皆が集まってから事件が起こるまで何があったのか…」
話は事件発生時のところまでやって来た。つぐみの胸中は重くなる。だが、話さないわけにはいかないのだ。つぐみはゆっくりと、その後の顛末を話した。
「…話しづらいことを話してくれてありがとうよ。びっくりしただろう?」
梅野の視線が少し柔和なものになる。つぐみは頷いた。
「でも、藍ちゃんと茜ちゃん…この家の人たちは私よりもずっと辛いと思います。あの、藤子さんのご遺体は…?」
「鑑識班と共に、司法解剖が出来る場所へ移された。仏さんが帰って来るのは、事件の真相がはっきりしてからだろうな」
「そうですか…あの、早く解決できるようになるべく協力するので、一刻も早い事件の解決をお願いします」
「ああ、もちろんだ。任せてくれ」
梅野はつぐみが今まで聞いて来た中で、一番力強い声で答えた。つぐみも軽く頭を下げた。その後は警察が来るまでの動きを話し、つぐみの事情聴取は終了した。
客間を出たつぐみは、二度目の脱力感に襲われた。この後は〝屋敷の外に出てはいけない〟ということ以外は特に指示されていない。どうしようか、と考えながら歩いていると、仏間から僅かに明かりが漏れていることに気が付いた。
◆
事情聴取は残すところ翔太郎、藍、そして茜である。だが、藤子の娘たちはショックが大きく、当分は出来そうもない。そんなことは梅野も淡谷も慣れている。被害者家族が冷静でいられないのは当然であり、殆ど何も聞けずに数年後にやっと証言が可能になったケースも少なくない。被害者家族の心の傷は決して完全には癒せず、事件をきっかけに精神疾患を発症し、最悪の場合は自殺、ということもある。そして、救えない人間がまた増えてしまうのだ。マスコミはそれを面白おかしく書き立て〝警察の失態〟を飯のタネにしている。当初は梅野もマスコミに腹を立て、雑誌を何度も破いたり、ゴミ箱に乱暴に捨てたりした。しかし、刑事としての経歴が長くなるにつれ、確かに警察の力が及ばないことや、今のような事情聴取での追及が被害者の関係者の心の傷を抉っていることもまた事実であることも受け入れている。一方淡谷は、被害者に深く同情したり、自分の不甲斐無さを嘆いて泣いてしまったりすることも多い。典型的な熱血刑事であり、今の時代には珍しい類の男であった。
「烏丸翔太郎の前に、少し休憩して証言を整理しませんか?」
いつの間にか淡谷は、沢野が置いて行った急須から湯呑みに茶を注いでいた。
「そうだな。口の中も乾いて来やがった。ああそうだ、連絡しておいた民宿に、休める者は休んで、君は交替の者を連れて来てくれ。君はもう休んでも良いぞ」
参考人を見張っていた警官に梅野はそう指示した。警官は礼を言うと、客間を去った。
「はい、どうぞ」
淡谷は梅野の前に湯呑みを置いた。「ありがとよ」と梅野は礼だけを言う。梅野は猫舌なので淹れ立ての熱い茶は飲めないのだ。淡谷は平気で茶をあおる。
「えーと、整理すると、法要が午後17時に終了し、隣の大広間にて会食。食事はこの山の麓にある料亭で注文したものですね。一応鑑識もチェックに向かっていますが、この時に毒物を混入した可能性は低いです。まあそうだとしたら、そこで事件は起きていますから」
「用意したのはあの家政婦じゃなかったのか」
「まああの人数に加えて坊さんの分もありますからね。それに、贔屓にしている店で冠婚葬祭の料理はその店でいつも注文するそうです」
この辺りは――予断は良くないが、恐らく藤子の死と繋がりは極めて薄いだろう。梅野はそう考えた。淡谷は聴取の整理を続ける。
「で、坊さんはこの家が代々檀家になっている〝栄照寺〟という寺の住職で、経を上げて会食の途中で退席したそうです。それから寺に帰って外には出ていない、と」
「じゃあその坊さんのアリバイは成立だな」
「まあアリバイなら今のところこの屋敷の人間全員にありますけどね、今のところ。そして、会食が終わる頃に藤子さんから午後十時の集合を掛けたと。時刻はさっきのお嬢さん…黒羽つぐみさんによれば午後八時になる五分ほど前の頃ですね。それにしても気になるのは、何で今日来たばかりの黒羽さんにも声を掛けたか、ってことですよねえ」
「確かにな。まあ理由はその調書にもあるが、外部の人間に知ってもらう為、ねえ…。大体この烏丸家ってのが何もんなのか、そこも気になるところだ」
「こんなデカい屋敷に住んでるくらいですから、タダ者ではないですよね」
「…で、集合があった後、この屋敷のモン全員がバラバラに動いていた、と」
やっと梅野は湯呑みに手を伸ばし、茶を一口啜った。
「本当にバラバラですよね。ただ当り前ですけど、屋敷を出た人間が一人もいないってことだけが共通しているというか…。そして先程の証言…藤子さんの部屋から聞こえて来た娘さんとの会話が午後九時前後。沢野さんがお茶を持って来たとき、その二人は向かい合って座っていた、と」
「その会話も重要だから、娘さん二人にも話を聞きたいんだが…やっぱりすぐには無理だよなあ…難しい年頃でもあるし」
「あれ、梅野さんの娘さんも高校生でしたっけ?」
「もう大学二年生だ。今の歳くらいから何でも話してくれるようになったぞ…じゃねえよ! 俺のことは良いんだよ! それで、十時になっても藤子さんが来ないので妹の撫子さんが呼びに行ってみると、藤子さんは亡くなっていた、と」
「そうですね。その後はまたバラバラに行動しています」
「そう言えば、藤子さんの脈を取ったのは弟の翔太郎君だったな」
「ええ。彼は桜英大で漢方の研究をしているみたいです。なので人体とか医学にも詳しいとか」
「…妙にその弟は冷静だな。あの婆様もそうだったが」
「彼の話を聞くと、また別のものが見えて来そうですよね」
「ああ」
梅野が相槌を打ったところで、トランシーバーの受信音が鳴った。ここは携帯の電波が無い為、すぐに電話が出来る民宿と無線で連絡を取り合うことになっている。梅野はトランシーバーに応答した。
淡谷にはトランシーバーからの音声はノイズと篭った音のせいで聞き取りにくい。暫くして梅野から、トランシーバーの無線を切った。そして淡谷を見る。
「新たな物品や、鑑識の結果、それに…この烏丸家に関する情報が出て来たぞ」
そう言った梅野の表情に疲れの色はなく、不敵な笑みすら浮かんでいた。
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