第7話
通報から約一時間半後、警察がやっと到着した。
玄関先が一気に騒がしくなり、大広間にいたつぐみは廊下に出て、遠目で玄関の方を見た。警察の対応には葉子と沢野が当たっているようである。
「あー、烏丸さんですね? 我々は月島署捜査一課の者です。えー、私は警部補の梅野といいます。抜けたような顔のこいつは私の部下で、淡谷巡査部長です。到着が遅れてしまいすみませんねえ。何せ雪が深くてもう…」
「ご苦労様。私はこの烏丸家当主・烏丸葉子です。
娘の藤子が亡くなったお部屋にご案内いたしますので、どうぞお上がり下さい」
「へへ、どうも…」
頭の毛が後退し、小太りで赤ら顔の刑事の梅野は苦笑した。
葉子に早々会話の主導権を奪われるのは内心、屈辱でもあった。長靴を脱ぐと次々と警察関係者一人一人が挨拶をして、烏丸家に上り込んでくる。当然こちらに向かってくるので、つぐみは慌てて大広間に引き返した。
「やっと到着したみたいだね、警察の人たち」
「はい。なんかサスペンスドラマみたいで…あっ! すみません…」
つぐみが謝ると、撫子は僅かに口角を上げる。
「気にしないで。確かにこんな機会は滅多にないし、現実味がないもの。…私は慣れているけど」
「慣れてる?」
つぐみは首を傾げた。
「…私の父、姉、そして私の夫のときにね、警察が来たのよ。自殺か事故か…それとも他殺か…。私の夫のときなんか特に疑われたわ。事故に見せかけた他殺じゃないか、ってね」
「そ、そんな!」
「私の夫には、莫大な額の保険金が掛かっていたの。受取人は私になっていた。もちろん私はそんなこと知らなかったし、あれは事故だった。でも、その保険金のせいで私に疑いが掛かって…何でも、保険金は自殺だと下りないから…根掘り葉掘り聞かれて…本当に辛かった。それ以来警察は嫌いだけど、まさかまた来ることになるなんてね…」
撫子は大きく溜め息をついた。今度は疲れ切った顔に見える。
「そうか、そんなことが…でも何でまた、忠治さんは保険金を…?」
仁志は不思議そうに言った。
「あなたもそうだけど、忠治さんもとても優しい人だった…。でも、あなたと忠治さんで違う所は、忠治さんが天涯孤独の身だったってことかしらね。彼の話してくれたことによると、彼は両親の遺産で投資を始めて、それで成功したそうよ。でも、私という身内が出来てからは『自分一人だけの身じゃない、君のことも守らないと』って思ってくれたそうで…。だからその保険金は、きっと自分に何かあったときの為のものだったのね…私に苦労をさせない為に…。でも、そんなときなんて、来なければよかった…」
撫子は涙ぐむ。仁志はそれを見て慌てた。
「ごめんね、辛いこと思い出させちゃって…。そうか、本当に良い人だったんだね」
「ええ…。でも、今はあなただけが私の大切な旦那様ですからね」
「はは、ありがとう」
撫子と仁志はそこで惚気る。だが、つぐみの中には今の話に何か引っ掛かるものを感じた。その〝何か〟がよく分からないが、とにかく良い話だけでは終わらなかった。
◆
刑事の
「確認しますが、亡くなられたのは烏丸藤子さん。年齢は四十二歳。第一発見者は妹の撫子さん、で宜しいですね?」
「ああ、そうだよ」
梅野の質問に葉子は木で鼻を括ったように答えた。〝食えない婆さんだ〟と梅野は心の中で毒吐く。
「あと、藤子さんが亡くなられてから部屋やご遺体には」
「部屋のものには一切触っちゃいないよ。ああ、末の子が脈を取る為に手首に触れたけど、それだけさ」
「そうですか。鑑識作業が終わるまでの間、早速事情聴取を行いたいんですが、生憎署までは遠い。そこでこのお屋敷の一室をお借りしたいのですが…」
「構いやしないよ。沢野、客間を暖めておいてくれるかい?」
「はい、かしこまりました」
葉子の後ろに控えていた沢野という女は、一旦この場を辞した。
「はあ、お気遣いありがとうございます」
「別にあんたらの為じゃない。事情を聞かれるウチの者とお客人が寒くないようにするだけさ」
「お客人?」
棘のある葉子の言葉を特に気にすることもなく、梅野の部下・
「ウチは今日十三回忌法要があったのさ。それに参列してもらったお客人だよ」
「へえー、十三回忌とは珍しいなあ。ウチは七回忌も碌にやりませんよ」
「お前の事情はどうでもいい! それで、お客人ってのはこの家とどのようなご関係で?」
「遠い親戚の子さ。若い女の子でね、ウチの孫と同い年だ」
「はあ、そうですか。まあそのお客さんにも話は聞かせて貰いますがね」
梅野は頭を掻いた。どうもこの手の老女は苦手である。下手な聞き方をすれば貝の如く口を閉ざしてしまう可能性もあるからだ。
「ところで、今から事情聴取をするとか言ってたが、時間が時間だ。無理はさせんでおくれよ。それに、藤子の娘たちは特にショックを受けて今はまともに口も利けない。藤子の娘たち…藍と茜は落ち着いてからにしておくれ」
「はあ、分かりました」
また主導権を取られていることに梅野は気が付いた。腕時計は既に午前零時を回っており、日付も変わっている。色々腹ただしいが、葉子の言っていることが道理に適っている為余計に悔しい。
「葉子様、客間を暖めておきました」
そこへ、沢野が戻って来た。
「分かったよ。あんたたち、今から案内するからその客間を使っておくれ」
「ありがとうございます。その…ついでと言っては何ですがね、捜査は鑑識や司法解剖の結果にも寄りますが、一日や二日で終わるものではないので…」
「悪いけど、ウチにこんな大人数を泊められる余裕はないよ。…そうだねえ、ここの近くに民宿〝なか村〟ってとこがある。そこを使いな」
「わ、分かりました」
自分の言いたいことを先に言われてしまい、梅野は驚く。葉子はどうやら警察慣れしているようである。――〝烏丸〟という家の名も、どこかで聞き覚えがあった。
葉子は梅野と淡谷を客間に案内する。客間は玄関に近く、桔梗が描かれた襖が目印であった。
「案内ありがとうございます。えーと、少し準備がありますので、この淡谷に呼ばれるまでお待ちください」
梅野は何とか愛想笑いをしながら言うと、葉子は何も言わずに踵を返した。
舌打ちしたくなるのを堪えながら、梅野は淡谷と共に客間に入る。
「…まったく、何なんだあの婆さんの態度は!」
梅野はようやく腹の中に溜まっていたイライラを一気に吐き出した。
「いやー、見事に警察嫌いのバアさんって感じですねー」
淡谷は呑気に笑いながら用意してあった近くの座布団に腰掛けた。部屋はまだしっかり暖まっておらず、冷たい空気にオイルヒーターの灯油の匂いが混じっている。梅野はいきり立ちながら淡谷の真向かいにどっかと座った。
「あんな対応、オレはともかく梅野さんは慣れているでしょ?」
淡谷は笑みを絶やさない。梅野の倍はある体格でがっしりとした淡谷は、岩をそのまま人の形に彫った様な顔の造形であり、大体無精髭が生えている。淡谷を文字で表すのならば〝岩〟か〝熊〟がぴったり当てはまる。そしてその岩が、苗字の通り顔が赤くなって梅干しの様になっている梅野の目の前にいる。傍から見れば面白い図であった。
「慣れてるよ! 慣れてるけど、ああいう婆さんは特に嫌なんだ! そう、そうだ! 俺の死んだ婆様にそっくりなんだよ! キッツい性格で、こっちが何か言えば十倍で返してくるような婆さんだったんだ!」
「ああ、トラウマって奴ですね!」
淡谷はポンと手を打った。
「嬉しそうに言うんじゃねえよ! …ったく、歳末だってのに何でこんな鄙びた、陸の孤島みたいなところで仕事せにゃならんのだ」
「オレは好きっすけどね、こういう雰囲気。こう、ミステリーとかサスペンスっぽくて良いじゃないですか!」
淡谷は肉体派の外見からはイメージできないが、梅野よりも本を読んでいる。巴ナントカという作家が特にお気に入りで、今月出たばかりの新刊を勧められたが、その分厚さと叙情的な表現が受け付けず、梅野はさらっと一ページ読んだだけで終わってしまった。
「あのなあ、楽しんでどうする! ここは殺人現場だろ!」
「あれ? 殺人で決定なんですか?」
「あれは殺しだな。長年の刑事の勘って奴だ」
梅野は得意気に言い切った。
「え、でも自殺だったらどうするんですか?」
「あのガイシャの状態をちゃんと見たのかよ? ありゃあ毒殺だな。服毒自殺ってのは今日日難しくなったんだぜ。薬事法云々でな」
「でも、風邪薬とか酔い止めで自殺する人もいましたけど」
淡谷は締りのない顔のまま、梅野に鋭く反論して来る。梅野は淡谷のこういう部分が苦手であった。
「そ、それとこれとは…別だ! いいか? 通報したときあの婆さんなんて言ったと思う? 『娘が突然死んだ』だぜ? これは普通の死じゃないってことを断言してるんだ!」
「…じゃあ刑事の勘じゃ無くて、バアさんの証言じゃないですか」
淡谷の言葉に梅野は墓穴を掘ったことに気が付く。その掘った穴に潜ってしまいたくなった。
「ええい! とにかくあれは他殺だ! …鑑識の結果次第だがな」
「急に弱気になりましたね…」
「やかましい! …それよりもな、気になっていることがあるんだ。この〝烏丸〟って家の名なんだが…。どっかで聞いた気がするんだ」
「まあ、あんまり聞かない名字ですよね。何か由緒ある家、って感じで。有名な家なんでしょうね」
「いや、そうじゃねえよ。多分、仕事で聞いた名だ。うーん、何でこの名前を知っているのか…。ちょっと署のデータベースで探してもらうか。それより、そろそろ聴取の準備を始めるぞ。張っている奴を一人ここに。最初はあの婆さんからだ」
「いきなりあの人ですか…」
「胃が痛くなるが仕方ないだろ…。調書の作成も頼んだぞ」
「はい」
淡谷は立ち上がって、警官と参考人の一人、葉子を呼びに行く。梅野は本当に胃が痛くなって来たのを感じながら、事情聴取の準備を始めた。
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