第6話
大広間に行き、恐る恐る襖を少しだけ開ける。そこには仁志と、起き上がっている撫子がいた。襖が開いたことに気が付いた仁志がつぐみのいる方に顔を向けたので、つぐみもゆっくりと襖を開ける。
「あの…入っても大丈夫ですか?」
「ああつぐみちゃん! 撫子さんもついさっき目覚めてね…寒いから中に入りなよ」
仁志は少し安堵した表情でつぐみを呼んだ。
つぐみは大広間に入ると仁志の反対側に回り、撫子の傍に座った。撫子の顔色は白を通り越して青色になっており、化粧も部分的に取れていた。ゆるゆると首だけを動かし、つぐみの顔を見る。その瞳は潤んでいた。
「まさか…姉さんが死んじゃうなんて…。百合子姉さんも
撫子は両目を手で覆い、すすり泣き始めた。つぐみはまたしても対応に困ってしまう。
撫子の言う通り、撫子の姉に最初の夫、忠治に、十二年前には父親を亡くしている。あまりにも、不幸が続き過ぎている。本当に撫子が何をしたのだろう、とつぐみは心の中で同情した。一方仁志は、悲しみの表情で撫子の背中を優しくさすった。
「…そうだ、つぐみちゃん。藍ちゃんと茜ちゃんは…? 他の皆さんも…」
仁志が訊いて来た。
「藍ちゃんと茜ちゃんは葉子さんに連れられて、自分の部屋へ…。翔太郎さんも多分、自分の部屋に入ったんだと思います。沢野さんは、自分も辛い中、私の寝床の準備をしてくれました。…葉子さんはどこに行ったのか知りません…」
「そうか、分かった。ありがとうね」
「いえ…あ、そういえば藤子さんのお部屋は…」
「警察の人たちが来るまで一切触らないように、ってさっき葉子さんに言われたよ」
「はい、私もそう言われました」
「そうか。…しかし、葉子さんだけは落ち着いて…もちろん表面上だけしか分からないけど、しっかりしていらっしゃるなあ。さすが当主様だね」
仁志が感心したように言うと、
「……母は、父…今日法要のあった良吉が死んだとき…通夜も葬式も、そしてその後も一切泣かなかったわ…」
涙声の撫子が、つぐみと仁志の会話に入って来た。顔は誰もいない正面を向いたままである。
「そして、百合子姉さんが死んだときも、ましてや、血の繋がらない忠治さんのときも当然、一滴の涙も流さなかった」
段々と怒りを孕んだ声になっていく撫子に、つぐみは息を呑んだ。
「あの人は当主だから落ち着いていたり泣いたりしないわけじゃない。心が鉄で出来ていて、何とも思わないのよ! 今回だってそう!」
「で、でもそれはあくまで皆の前でだけ、ってことじゃないかい? きっと皆が見ていないところで泣いているかもしれないじゃないか。葉子さんだって人間で、人の子であり親だろう?」
反論する仁志に対し、撫子は大きく頭を振る。
「いいえ! 私、昔父が死んだとき、一人になった母を覗き見たことがあったの。母は泣いてもいないし、悲しみで沈んでいることもなかった! ただ庭を眺めていただけだった!」
撫子は強く断言し、仁志の顔を見る。仁志は当惑した表情を見せた。
「で、でもさっき、藤子さんが亡くなったと分かった直後、葉子さんが私に藤子さんは亡くなったのか、と訊いて来たんです。私がはい、と答えると、葉子さんは苦しさを耐えているような表情になっていました」
今度はつぐみが自然と反論していた。夫と我が子の死をまったく悲しまない人間など、信じられなかったからである。すると、撫子はふっと笑った。
「…そう、それでその後、その人はどうしたの?」
「え…えっと…そのまま警察に通報に…」
つぐみの答えに、撫子は得心がいった表情をする。
「そうでしょう? 一番落ち着いていたのはやっぱりあの人だった。娘の死を悲しむよりも、市民の義務を優先させる…家の騒ぎを早々に収める…そういう人なの」
そう言った後、撫子は赤い目をしたまま寂しそうな顔になった。つぐみも仁志も、葉子の話に絶句して、暫く言葉が出なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます