第3話

 全員が仏間に移動し、横に複数並べられている座布団に座る。つぐみは遠慮して一番後ろの座布団に座ろうとしたそのとき、藍もつぐみの隣に座ろうとした。すると、

「藍! なんで下座に行こうとするの!? あなたは上座にいるべき人間なのです! 茜もこっちへいらっしゃい!」

 ヒステリックに藤子が怒鳴ったので、つぐみも藍もびくりとする。藍は整った眉を八の字にして渋々、といった様子で藤子の隣に座った。茜は動くときも、やはり怯えているように見えた。藤子が怒鳴った後は白けた空気になってしまい、経を上げに来た老いた僧は気まずそうな表情をしていた。

 妙になってしまった空気の中、とりあえず皆は腰を据えた。つぐみはまださっきの足の痺れを引き摺っており、この後も耐えられるかどうか早速不安になった。全員が揃ったか、と思い周りを目だけ動かして見回すと、空席の、それも座椅子があった。

 ――カツン、カツンという、床を硬いものが叩いているような音が、段々と近付いてくる。その音は仏間の前で止まり、襖がすっと開けられた。現れたのは、白髪と白髪になり損ねた灰色が混ざった髪に、意志が強そうな瞳。皺だらけではあるが、昔は美しかったことを思わせる顔立ちの老婆である。藤子や撫子と同様に、家紋だけの黒い着物を身に付けていた。背筋はやや曲がっているが、堂々とした出で立ちである。この人物こそが、烏丸家の現当主・葉子刀自であった。藍が先刻教えてくれた通り、杖こそついているものの、それを除けば健康そうである。

「お母様、ご住職はもうお着きですわよ。さあ、早くこちらに」

 藤子は葉子にそう促したが、葉子の視線は住職の傍にある座椅子ではなく、真逆の方向に―つぐみの方へと向いた。つぐみは驚いて萎縮してしまう。

「あんたが今日いらっしゃった方かい」

 葉子は良く通る声でゆっくりと尋ねる。つぐみは慌てて立ち上がった。

「初めまして、黒羽つぐみと申します」

 出来るだけ深々と腰を曲げてお辞儀をすると、葉子は続ける。

「こんな辺鄙な所までまあよくいらっしゃった。親戚の中で来てくれたのはあんただけらしいね。ゆっくりしてらっしゃい」

「は、はい、ありがとうございます!」

 一旦顔を上げてそう言った後に、また頭を下げる。一瞬くらりと来た。葉子はそれからようやく用意された座椅子に腰掛ける。自分の言葉を無視された藤子は不愉快そうな顔をし、左頬のあたりが引き攣っていた。それを見たつぐみは少しだけ溜飲が下がり、何事もなかったかのように座った。

 それからようやく十三回忌法要が始まった。住職が経を読み、焼香を全員が済ませると住職の説法である。つぐみはいよいよ足の痺れが強くなってきたので、ありがたい説法も殆ど頭に入って来ない。気を紛らわせる為に視線を動かしていると、壁に掛かっている遺影が視界に入って来る。遺影は年月の経過を感じさせる白黒から今主流のカラーまでずらりと並んでいる。年老いた男女だけでなく、中には若い故人もいる。その端を見て、つぐみは吃驚する。―撫子が遺影に収まっているのである。そんなバカな、とつぐみはさりげなく前列に座っている撫子の後ろ姿を見てみる。やはり、撫子はそこにいた。では何故か。ふと、つぐみの中に一つの答えが出た。

 ――そうだ、撫子は双子だったのだ。

 そうすると、撫子の片割れは若くして亡くなったということである。〝美人薄命〟とはこのことか、とつぐみはその熟語を噛み締めた。撫子の双子の姉または妹の左隣もまた、若い男であった。仁志と違って彫りの深い、一目見ただけで印象に残りそうな顔をしている。

 その男の更に左隣は、今日供養されている十二年前に亡くなった烏丸良吉である。白く豊かな長い髪に、あごひげもまた真っ白のいかにも頑固そうな老爺である。何やらその良吉に睨みつけられているような気がしたので、つぐみは慌てて視線を遺影から逸らした。



 法要が終わると隣の大広間へと移動する。ここからは会食の時間である。卓の上には豪勢な食事が既に並んでいた。十三回忌にもなると精進料理ではなく、肉も魚介類も豊富に使われている文字通りの御馳走である。席は特に決まってはいないが、上座下座には注意を払わなければいけないと思い、つぐみは下座に座った。隣は仁志である。彼もまた婿入りの身で、しかも代々女性が当主ともなれば肩身も狭いのだろう。住職も含めて腰を落ちつけたところで、当主である葉子が挨拶を始める。

「本日は私の主人である烏丸良吉の十三回忌にお集まりいただきありがとうございます。ささやかではありますが、ちょっとした料理をご用意させていただきましたので、ゆっくりとお楽しみ下さい」

 堂々としていて淀みのない挨拶が終わると、住職も一言付け加えて献杯し、宴が始まった。

 食事が始まる前までは、出された菓子と茶を腹の中に入れていたのでそこまで食欲は無かったが、一度料理に箸を付けるとぐんぐん進んだ。この目の前の御馳走を見てつぐみは今日、クリスマス・イヴであったことを思い出す。宗教も意義もまったく異なるが、これで少しはクリスマス・イヴらしくなった、とつぐみは思った。

「つぐみちゃんはどこに住んでるんだい?」

 刺身に箸を付けている途中で、隣に座っている仁志がそう声を掛けて来た。仁志の顔を見てみると全体的に赤みがかっている。酒が入っているせいであろう。

「貝塚通りの近くです」

 つぐみは答えた。

「へえ、結構市の中心に住んでるんだね。ここまではどのくらいかかったの?」

「最寄りの駅から徒歩で十分かかってそれからバスに乗り継いだので、一時間半前後ですかね」

「うわあそりゃ大変だ。ここは自家用車が無いとかなり不便な所だからねえ。コンビニなんて当然無いし、買い物に行くのも一苦労だよ」

 仁志は苦笑した。それからも仁志は、学校はどこだ、とか学校ではどうしている、などとつぐみに対する質問をいろいろして来た。恐らく、同世代の藍と離れて寂しい思いをしているのだろう、と気遣っての質問なのだと話しながらつぐみは気が付いた。

実際、つぐみも話し相手がいて心細い思いをすることは無く、仁志の気遣いは有り難かった。そして仁志自身も市の中心部の出身であり、縁談話から撫子との結婚に繋がったこと、現在は祖父が創った商社に勤めていることなどを話した。ちなみに撫子は、藍と談笑しているところである。

「でも、本当に綺麗な人ですよね撫子さん」

 今度はつぐみから話を振った。

「いやあ、本当だよね。きっかけはお見合いだったけど、実は彼女の写真を一目見て僕は彼女のこと好きになっちゃったんだよね。一目惚れなんて生まれて初めてだったよ。もちろんすぐにOKしたけど、彼女とまさかお付き合いして、そしてついに結婚までできるなんて思わなかったよ。今でも夢なんじゃないかって思うほど、自分でも信じられなくてね。多分、これで一生分の幸福を使い果たしたと思うよ」

 仁志は蕩けた笑顔になる。幸せそうな仁志を見ていると、つぐみも微笑ましい気持ちになる。撫子といえば、仏間に飾られた撫子と瓜二つの遺影を思い出した。つぐみは気になったものは解明しないと気が済まない性質である。幸せそうな仁志に、遺影の人物について訊くのも気がひけたが、少しばかりの逡巡の後に、やはり追究してみることにした。今ならば仁志の口も軽くなっている筈である。

「あの…ちょっと訊いても良いですか?」

「何をだい?」

「その…答えたくなければそれで良いんですけれど、仏間に…撫子さんとそっくりな方の遺影があったのが気になってしまって…」

 そこで仁志の表情は笑顔から真顔に変わる。

やはりまずかったか、とつぐみは謝ろうとしたその直前に、仁志は口を開いた。

「あれ、びっくりしただろう? 僕も撫子さんとお付き合いしてから知ったんだけど、彼女には双子のお姉さんがいたんだ」

 やっぱり、とつぐみは心の中で呟いた。

「名前は百合子さん。亡くなったのは今から…八年前って聞いたことがある。ここに来る前に大きな川がなかったかい? この屋敷の裏手にも流れているんだけど」

「はい、結構大きい川だったような…」

「そう、その川だよ。百合子さんはその川で流されて…亡くなったんだ。不幸な事故としか言いようがないよね…」

 仁志は沈痛な面持ちになった。つぐみも返す言葉が出て来ない。そういえば、あの遺影の百合子は、今の撫子よりも僅かだが若かったような気がする。

「それに…撫子さんの不幸はそれだけじゃなくてね…。そのお姉さんが亡くなった半年後に、最初の旦那さんが同じ風月ふづき川で亡くなったんだよ。あの仏間の、百合子さんと良吉さんの間にある遺影の人がそうらしい。本当に、神も仏も無いとはこのことだよ」

 仁志はグラスにあったビールをそこであおった。

つぐみはまたもや驚きで言葉を失いつつ、仏間に並んでいた遺影を思い出す。あの男性は撫子の最初の夫だったのだ。

「あら、あなた。つぐみちゃんと話していたの?」

 撫子が急に話しかけて来たので、つぐみは吃驚する。そしてそれは、仁志も同じであった。

「ああ、つぐみちゃんのことについて色々訊いていたんだよ。学校のこととかさ」

 仁志は表情を笑顔に戻してそう言った。

「あら、それなら私も聞いてみたかったわ。その制服は…どこだったかしら?」

「月島です」

「そうだったわね! 私も藍や茜と同じ学校で、ずーっと同じセーラー服だったからブレザーが羨ましかった時期もあったわねえ」

「へえー、それは初めて聞くなあ。学生時代の写真とか、そういえば見たことが無いよ」

「だって『見せてくれ』なんて言わなかったもの」

「じゃあ見せてくれ」

「嫌よ、恥かしい。まあそれは良いとして、私もつぐみちゃんの学校生活とかいろいろ聞いてみたいわね」

 撫子がそう言ったので、つぐみは仁志に話したことと大体同じ内容のことを撫子にも話した。それからは仁志や撫子の学生時代の話も始まり、つぐみは撫子夫妻と暫く語り合った。

 料理に舌鼓を打ちつつ話に花を咲かせてから二、三時間後。そろそろ宴もたけなわ、という雰囲気になった。もっとも、人数が多くないので賑やかというほどでもなかったが。住職はいつの間にか帰ったらしく、まだ手を付けていない料理が多くあった。そこへ、藤子がすっと立ち上がる。

「皆さん、ちょっと聞いてくださいな。午後10時にこの大広間にて、私から皆さんにお伝えしたいことがありますの。来客の方は予想外でしたけれど、家の外にもこのことを知っていただく良い機会ですわ。…必ず、十時には皆さん集まって下さいね。もちろん、お母様も」

 藤子は皆の顔を見回すとにっこりと笑った。だが、その左頬が少し不自然に引き攣っていることにつぐみは気が付いた。藤子はそのまま大広間を出ていく。烏丸家一同とつぐみは互いに顔を見合わせた。

「何だろうね? 伝えたいことって…それも、皆に? つぐみちゃんも含めて?」

「そうね、何かしら…」

 仁志と撫子はかたみに呟く。皆の表情も怪訝なものになっていた。つぐみも首を傾げ、ふと藤子が指定した時間を思い出す。

「十時って…あっ! バスの最終便の時間確認するの忘れてた!」

 つぐみは思わず叫んでしまい、葉子以外の者全員から注目される。

「そうだったの? …あら! 大変! もうバスは動いてないわよ!」

「ええ!?」

 つぐみは時計を見る。いつの間にか午後八時になろうとしていた。

「まだ八時なのに、もう来ないんですか!?」

「ええ。ここはバスを使う人が凄く少ないから、午後の七時が最終便なのよ」

 撫子は自分が悪いわけでもないのに、申し訳なさそうに言った。

「まあまあ、それじゃ私が車でお送りいたしましょうか?」

 それを聞いた沢野はそう申し出た。すると、

「待ちなさい」

 鋭い声が割入った。発言者は葉子である。

「藤子はそこのお客人にも何か伝えようとしていたね。ならばお客様はもう少し居てもらった方が良い。送るのはその勿体ぶった会見のあとでも良いんじゃないかい。お客人、あんたはこの後何か予定が?」

「いえ…母が今仕事で不在なので、家に帰っても私一人です。予定もありません」

「そうかい、なら私の愚娘ぐじょうの我が侭を聞いて貰えるかい?」

「はい…分かりました」

 自然とつぐみは『はい』と答えていた。今話したことは事実ではあるが、藤子、そして葉子の言葉には何故か逆らえない力があった。

「すまないね。それまでゆっくりとしていきなされ」

 葉子はそれから杖を支えにして立ち上がると、ゆっくりとした動作で大広間から出て行った。

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