第55話 模範英霊錬成教本 其ノ弐

 それから……どれだけ私は死んだだろうか。


 草原で、沼地で、森林で、雪原で……あらゆる場所で戦闘行為は行われていた。


 そして、そのたびに私は死ぬのだ。機関銃で撃ち抜かれて、或いは砲弾で吹き飛ばされて、あるいは、戦車に轢き殺されて……


 そのいずれもが、自ら敵陣に突っ込んでの死……望んでの死であった。


「……おい、新人。そろそろだぞ」


 何度目だろうか。私は声をかけられて我に返る。


 場所は、雨が降る森林の中。蒸し暑さと不快さが私を蝕んでいた。


 横を見ると、そこには……渡良瀬が居た。どの場所にも渡良瀬はいた。


 ある時は上官として、ある時は同期の兵士として。


「……渡良瀬さん。一つ聞いていいか?」


 私は思わず訊ねてしまった。すると、渡良瀬は不思議そうな顔をする。


「なんだ? 死ぬ前に教えてやれることは教えてやるぞ」


「……私は、後何回、これを繰り返すんだ?」


 そう聞くと、キョトンとした顔で渡良瀬は私を見る。


「おいおい。何言ってんだ。繰り返すって……人間ってのは死ぬのは一度だ。お前さんも、ここで立派に散って、お国のために尽くすんだよ」


「……違う! 私は……もう何度も……」


 思わず私は怒鳴ってしまった。渡良瀬は哀れな存在を見るかのような目で、私を見る。


「落ち着け。死ぬのが怖いのはわかる。でも、やらなくちゃいけないことなんだ」


「……違う。私は……こんなことはしたくない。帰りたいんだ……佳乃のもとへ……もう、こんなことはしたくないんだ……」


 私がそう言うと、渡良瀬は悲しそうな顔で私を見る。


 そして、小さくため息を付いた。


「……死にたくない、ってことか?」


 そう言う渡良瀬に、私は小さく頷いた。すると、呆れ顔で渡良瀬は私を見た。


「……そうかい。ったく……旦那よぉ、さっさとそう言う事は言おうぜ。こんなくだらないことに付き合う必要はないんだからさ」


「え……渡良瀬さん。君は……」


 私がそう言うと渡良瀬はどこからかタバコを取り出し、マッチで火を付ける。


「俺は正確には渡良瀬じゃねぇぜ。旦那。アンタが覚えている渡良瀬の幻想みたいなもんだ。今こうやって喋っているのも俺の意思じゃねぇ。アンタが『渡良瀬ならこう言うだろうな』って考えるから、俺がこういう感じで喋っているだけだ」


 意味がわからなかったが、渡良瀬は私に構わず話を続ける。


「……旦那が見つけたこの本は、俺……じゃなくて、渡良瀬徹人が経験したような戦争を体験させる、悪趣味な存在だ」


「本……あ、ああ。そうだよな……しかし、なぜ、君が……」


「言ったろ? この本が作り出す世界は、本を開いた人間のイメージが元になっている。戦争、って聞いて旦那が俺のことを思い浮かべたんじゃないか? それが原因だ」


 そう言うと、渡良瀬は持っていた小銃の銃口を私に向ける。


「え……渡良瀬さん。何を……」


「この本のタイトル、覚えているか? 『模範英霊錬成教本』だよ。作り出された戦場で数多の名誉の死を経験させることで、現実の戦場でも躊躇なく名誉の戦死を遂げさせる……こんなもん、よくもまぁ、考え出しだもんだよな?」


 そういって、渡良瀬は引き金に指をかける。


「渡良瀬さん、それじゃあ、君は……」


「名誉の戦死を遂げることができなければ、この本からは失格の烙印を押され、解放される……そして、俺とも本当におさらばだ。一度失格の烙印を押されればもうこんな経験は出来ないと思うが……俺に会いたいからって、もうこの本を開くなよ、旦那。しかし……相変わらず変なものに縁があるな。佳乃さんが可哀想だ」


 そういって、ニッコリと笑った渡良瀬は、躊躇いなく発砲した。


 私は、今度は「名誉の戦死」ではなく、戦場で仲間に撃ち殺され、死んだのだった。




 「……て……きてよ……旦那」


 声が聞こえてくる。どこか遠い場所から。


「旦那……起きてよ……」


 私はゆっくりと目を開ける。見ると、目の前には……涙で顔をグチャグチャにした佳乃が私のことを見ていた。


「あ……旦那……よ……よかったぁ……!」


 嬉しそうな表情で佳乃は私に抱きついてきた。私は意味がわからずそのまま抱きしめられる。


「佳乃……私は……」


「旦那……心配したんだよぉ! もう……なんで倉庫で倒れてたの? 頭でもぶつけたの?」


 心配そうにそういう佳乃。私は意味がわからず佳乃のことを見つめている。


「……頭はぶつけていないな。というか、私は……倒れていたのか?」


「うん。え……覚えてないの?」


 私は思わず頷いてしまう。佳乃は益々心配そうな顔をする。


「えぇ……大丈夫なの? もう……ああ。そういえば、これ」


 そういって、佳乃は私に何かを手渡してくる。


 それは……倉庫での整理中に、私が発見した本だった。


「これは……佳乃、これをどこで?」


「え? 旦那があまりにも帰ってこないから、倉庫の方に探しに行ったんだよ。そしたら、旦那が倒れてて、その近くにこの本も落ちてたよ」


 佳乃にそう言われて私は今一度本を見る。そして、恐る恐る本を開いてみた。


 本を開いた頁には何か文字が書かれている。


「『貴殿ニ英霊タル資格ナシ』……か」


 なんとなくだが……この本がどういうものか理解できるような気がしてきた。しかし、私自身はこの本で起きたことをあまり覚えていない。


 覚えているのは……


「……佳乃。すまないな。心配かけて。長い夢を見ていたんだ」


「え? 夢? それって、どんな夢?」


「……渡良瀬さんに会ったよ。相変わらず元気そうだった」


 そう言うと佳乃は少し悲しそうな顔をする。私は心配させないようにしながら今一度、佳乃の方を見る。


「渡良瀬さんが、あまり佳乃のことを心配させるな、とさ……ははっ。さっそく、それはできていないようだな」


 私がそう言うと佳乃は今一度私の方を見る。


「旦那……ホントに、危ないことはしないでね?」


 佳乃は本気でそう言っているようだった。しかし、私はも苦笑いすることしか出来ない。


 渡良瀬の言うとおり、ほとほと、私は変なものに縁があるようなのであった。

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