第39話 作品名『哀楽怒器』 其ノ参

「あはは! 楽しいねぇ! 旦那!」


 道を歩いている最中も、佳乃はゲラゲラと笑いながら私に話しかけてくる。


 周りからは、明らかに触れてはいけない夫婦のように思われているようで、少し気まずい。


 かといって、これは佳乃のせいではないので、私もなんとも言えなかった。


「あはは……でも……ふふっ……最近はこうして散歩に出ることもあんまりなかったよね」


 笑いを押し殺しながら、佳乃は私にそう言う。


「え? あ、ああ……まぁ、たしかにそうかもしれんな……」


「そうだよ……フフッ……アタシが行きたいって言っても、勝手に旦那は一人で行っちゃうから……てめぇのそういう所が気に食わねぇんだよ!」


 と、いきなり佳乃は怒り出した。正直、本気で怒っているようで私は少し困ってしまった。


「そ……そうだな……悪かった。これからは一緒に散歩に行こう」


「当たり前だろ! ったく……ズルいんだよ……旦那は……」


 それからも少し佳乃は怒っていたが……私は適当にそれをやり過ごすことにした。


 そして、暫く経って夕方ころになると……私たちは近所を流れる川に架かる橋の近くまでやってきた。


「……こんなところにきて……ぐすっ……どうするの?」


 今度は佳乃は泣いていた。私はその質問には回答せず、橋の欄干までやってきて、川の水面を覗く。


「ああ……佳乃。見てご覧」


 そういって私は泣いている佳乃に手招きする。佳乃はゆっくりと私の近くに寄ってきた。


 そして、私と同じように川の水面を覗く。


「あ」


 そういって佳乃は小さく声をあげた。


 川面には……綺麗なオレンジ色の光が反射していた。沈み架かる太陽が水面をオレンジ色に輝かせているのである。


「……その……なんだかキザっぽくて嫌だったんだが……この景色が私は好きでね……君に喜んでもらおうと思って連れてきたんだが……どうだ?」


 私がそう言うと佳乃は黙っていた。しばらくすると私の方を見て、目を細めて嬉しそうに笑う。


「ふっ……旦那らしいね。こういうのが好きなんて。でも、アタシもきらいじゃないよ」


 そう言う佳乃の表情は落ち着いている。いつも通りの死んだ魚のような目……私は小さくため息を付いた。


「そうか。喜んでくれたのか」


 哀楽怒器をみた時の対処法……「哀」「楽」「怒」以外の感情……例えば喜びの感情を対象者に想起させること……佳乃は私の紹介した景色を見て、喜んでくれたようだった。


「え……いや、そんな喜んでないよ……別に……」


 私がそう言うと、恥ずかしそうに頬をふくらませる佳乃。


「はははっ。まぁ、良かったよ。君が元に戻って」


「え? 戻って、って……アタシ、何かあったの?」


 不思議そうな顔で私を見る佳乃。私は……説明するのも面倒なので、やめておいた。


「あ。そういえば、旦那。さっきなんか三色のお皿みたいなものが売られてきたけど……見た?」


「あ……ああ。見た。佳乃……前から言っているんだが、私がいない時に勝手に骨董品をあけるのは、やめてくれ」


「え~……だって、気になっちゃうじゃん」


「それでもダメだ。いいな?」


 ますます頬をふくらませる佳乃。まぁ、こういってもどうせ、中身を確認してしまうんだろうなぁ、と思いながら、私と佳乃は店に戻っていったのだった。

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