第31話 他称の石

「……暇だ」


 相変わらず、私は暇であった。


 客が来るわけでもなく、私はただ、目の前を見ていることしかできなかった。


 まぁ……今日もおそらく客は来ないだろう……そんな風に半ば諦め気味で店番を担当している……その時だった。


「ちょ、ちょっと、いいか?」


 と、店先から顔を出す男……ニヤニヤと笑みと浮かべながら私のことを見ている。


「ん……ああ、どうぞ」


 珍しく客が入ってきた。


 あまり綺麗な身なりではないその男は、終始笑っており、なんだか見ただけで良からぬことを企んでいるのは私も理解できた。


「その……物を売りたいんだけどよ。買い取ってくれるか?」


「ふむ。別に問題がなければなんでも買い取るが」


「……金塊だ」


 男は唐突にそう言った。私は理解できずに男を見る。


「金塊? それって……」


 私がそう言うと、男は懐に手を入れて、何かを取り出す。


 それは……黄金に輝いていた。いや、はっきりってしまえば、金塊だったのだ。


 さすがに私も驚いてしまった。男は少し緊張気味に私に金塊を見せる。


「これ……買い取ってもらいたいんだけどよ。」


「お、おお……しかし、これは……どこで手に入れた?」


 私がそう言うと男は黙る。そして、めんどくさそうに金塊を勘定場の机の上に置いた。


「とにかく……買い取ってくれ。そうだな……俺が一年は生活できそうな値段だ」


「はぁ? 一年は生活できるって……」


 私は男が言っている意味がわからなかった。目の前の金塊の意味もわからない。


 そもそも、金塊をしかるべき場所に売れば、一年どころか、数年は暮らしに困らないだろう。


 それをしないで、こんな場所に金塊を売りに来るということは……


「……それ、少し見せてくれないか?」


 私がそう言うと男はぎょっとした顔をする。


「い、いや……買い取ってくれるのか? 買い取ってくれると約束するなら渡すが……」


「いや、まずは見てみないと。もし、それが本物の金塊でなければ問題だからな」


 男は私がそう言うと金塊を懐に隠す。そして、少し慌てた様子でそのまま私のもとから離れようとする。


「……い、いや。そういうことなら……俺は帰る」


「何? その態度……もしかして、君が持っているその金塊は……本当は、ただの石ころなのではないか?」


 私がそう言うと男は血相を変えて真っ青になる。そして、慌てて懐に手を突っ込んだ。


 男の懐からは金塊……は出てこなかった。出てきたのはただの石ころである。


「あ、アンタ……知ってたな!?」


 怒りに顔を真赤にして、男はそう言って俺に石ころを投げる。


 私はそれを受け取って小さくため息をついてから私は小さく頷いた。


「くそっ!」


 男はそう言ってそのまま走っていってしまった。


 私は手元にある小さな石ころを見る。


 石の名前は「他称の石」。


 一見ただの石だが……石ではない。そもそも鉱物ではないのかもしれない。


 「他称の石」は、誰かがその石に付けた名前によって姿を変えるのだ。


 例えば、金塊であると名付ければ、金塊に姿を変える。


 ダイヤといえばダイヤ、ルビーといえばルビー……石に類する者なれば何にでも変化する。


 ただ、それはあくまで一時的なもので、もし、誰か別の人間が新たな名称を与えれば石は姿を変化させる。


 一人の人間が名前を付けられるのは一度だが、一度つければ他の人間が新しく名前をつけるまで、姿を変えることはない。


 今の出来事は単純だ。他称の石を売りに来た男が、金塊と名付けたためにそれまでは金塊の姿をしていた。


 しかし、私が新しく「ただの石ころ」と名付けたために、ただの石ころになったのである。


「旦那~、ただいま~」


 と、そんな折に佳乃が帰ってきた。机の上にある小さな石を見てから、私を見る。


「これ、何?」


 そう聞かれて私は少し迷った。


 まだ、佳乃は石に名前をつけていない。


 もし、ここで佳乃に、目の前の石ころに見える存在がどういうものか説明し、今一度金塊であると佳乃が名付ければ、たちまち他称の石は金塊に姿を変える。


 それは間違いなく私のような人間相手でなければ簡単に売りつけることが出来るし、それが犯罪であるわけもない。


 しかし……


「……なぁ、佳乃」


「ん? 何? 旦那」


「……君は、今の生活を満足しているか?」


 私は少し不安だったが聞いてみた。


 しかし、佳乃は呆れ顔で笑って私を見る。


「当たり前じゃん。何? 旦那は満足してないの?」


「え……あ、ああ。いや、そういうわけでは……」


「アタシはさ。旦那がいてくれれば別になんでも良いっていつも言ってんじゃん。ね?」


 悪戯っぽい笑顔でそういう佳乃。なんだか、こちらが恥ずかしい気分になってくる。


「ああ、そうだ。で……それ、何?」


 と、私が机に置いていた他称の石を今一度見て、佳乃が私に聞いてきた。


 私は迷わずこう答える。


「ああ、ただの石ころだ」


「……ふぅん、ただの石ころ、ね」


 佳乃は興味なさそうにそう言ったが、私は満足だった。


 こうして、私達夫婦は金塊を手に入れる機会を失った。その代わり私としては、小さな幸福感を手に入れることができたのだった。

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