若旦那の珍品怪奇録
味噌わさび
第1話 氷点菓 其ノ壱
私の名前は古島知蔵という。
古道具屋「古島堂」の店主である。
幼い頃から「骨董」(我が家の名字は「ふるしま」であるが)と呼ばれ、店自体もよくわからない骨董品しか扱わないと周囲から馬鹿にされてきた。
実際、父の代から今に至るまで、私の店で新品を扱っているのを見たことがない。
無論、私の代になってからはどうするかは私次第だったのだが……やはり父の伝統を優先することにした。
結果として、私の店は相変わらずわけの分からない骨董品だらけの怪しげな店舗となった。
しかし、戦禍の憂き目にも合わず、無事生き残ったのは不幸中の幸いである。
私は、その日も、暑苦しい夏の日から逃避すべく、外よりは涼しい店の奥から道行く人々を眺めていた。
「旦那~。帰ったよー」
と、店の入口から声が聞こえてきた。
入ってきたのは地味めな女だ。黒いおさげの髪に、とろんとした目つき……間の抜けた変な声で私に話しかけてくる。
「……君、この暑いのによく外に出るな」
「へ? 何行ってんのさ。旦那じゃないか。アタシに氷を買ってこいって行ったのは」
そう言うと、地味めな女は不機嫌そうに私にそう言う。
「……ああ、そうだったな。で、君。氷は?」
「ないね~。みんな氷は買われちゃったみたい。何も買えなかったよ」
女は肩をすくめてそう言う。私は何も返事せずに小さく頷いた。
「……つまり、何の収穫もなく、この暑い中、ただ、帰ってきた、と」
「なかったね~。こう暑いと、こんなところまで来る人も中々いないんじゃない?」
「……客がいないのは仕方ない。問題は氷だ……恥ずかしくないのか? 旧華族の令嬢が、氷一つも買えないというのは?」
私がそう言うと、キョトンとした顔で女は私を見る。
「旧華族って……いつの話してんのさ~。武蔵野家はとっくの昔に没落しちゃって、お父様もお母様もどこへやら……今じゃ、アタシしかいなくなっちゃっているってのに」
武蔵野家は、世間でも有名な華族で、非常に財力もあることで有名だった。
しかし、戦争前、投資に大失敗した結果、当時の武蔵野家の当主夫婦は一人娘を身売りに出すほどの困窮する羽目になったそうだ。
その身売りに出された一人娘というのが……私の妻である武蔵野佳乃である。
佳乃は元々、古島堂の手伝いをしていたのだが……女っ気のない私を心配して、親父が半ば無理やりに佳乃との婚姻を決定してしまったのだ。
無論、佳乃も私と婚約すれば、少なくとも住む場所の心配はしなくて良いと思ったのか……以来、婚約を解消することもできず、私と夫婦を演じている。
「……ああ、そうだったな。君が華族の一人娘だったなんて言っても、近所の人は誰も信じてくれないよ」
私がそう言うと、佳乃は不満そうに私を見る。
実際……今の佳乃は地味だし、何より華やかさがない。
いつも死んだ魚のような目つきで私を見てくる……妻として不満はないし、私は佳乃を愛しているが……もうちょっと女らしくしてほしい気持ちもある。
「ふーん……じゃあ、いいよ。せっかく氷の代わりになるようなもの、買ってきたんだけどね」
「何? 氷の代わり? そんなものがあるのか?」
私がそう尋ねると、佳乃は得意気に私を見る。
「そう。今日、市場で買ってきたんだ」
「市場って……君、また無駄遣いを……あそこの市場にはロクなモノが売っていないじゃないか」
市場といっても……駅前から少し離れた所にできた闇市のことで、ロクなものなど売っていない。
私がそう言うと、ふくれっ面をしながら、佳乃は何かが入った袋を取り出した。
「フフフ~……これ、買ってきたんだよね~」
「……なんだそれは」
私は思わずそれを凝視してしまう。見た目にはどう見ても氷……というか、角砂糖……もしくは、飴のようだった。
それにしても透明すぎる……確かに氷のようにしか見えなかった。
「旦那、これ、『氷点菓』っていうお菓子なんだって」
「『氷点菓』? 君は……そんなものを買ってきてどうするんだ」
「いやいや。でも、これをアタシに売ってきた店主は、これを食べると氷よりも涼しくなるって言ってたよ?」
佳乃は必死に説明するが……どう考えても店主に騙されたとしか思えない。
「……どういうことだ? そもそも、これはなんなのだ?」
「えっとね……店主が言うには、なんでもこれは、軍隊さんの払い下げらしいよ?」
「軍? それって……我が国のか?」
「うん。なんでも、戦争中、南方の暑さを凌ぐために、これを兵隊さんに配ろうとしたとか……でも、採用されずにこうやって売りに出されたんだって」
佳乃は呑気なことを言うが……正直、私は心配だった
軍……我が国が戦争中に軍部で作ったものなど大半がその効果が眉唾なものばかりなのだ。
そもそもその話も信頼できないが……あまりにもいかがわしい代物だった。
「……危険だ。食べるのはやめたほうがいい」
私がそう言っても無論、佳乃はやめる気など毛頭ないようだった。
「わかった。旦那が食べないならアタシが食べるから」
そう言うが早いか、佳乃は袋を開け、中の一粒を取り出し、口に放り込んだ。
……我が妻ともこれで最期か、と思ったが、そこは我が妻、すぐには死ななかった。
「……冷たい!」
佳乃は目を丸くしてそう言った。私はとりあえず目の前で死なれなかったことに一安心する。
「……そうか。良かったな」
「だ、旦那……これ、相当やばいよ。冷たいっていうか……寒いくらい」
そう言って、佳乃は寒がるように肩を震わせる。あまりにもバカバカしくなって、私はその場に横になった。
「……私はいらないよ。こうやって動かなければ、暑さなど感じないのだからな」
「え~……つまんないなぁ。でも、これ……少し癖になるかも……冷たいっ! あ! 旦那、ウチにもこういうお菓子、置いておかない?」
「……ウチは駄菓子屋じゃない。古道具屋だ。菓子は置かないよ」
……やれやれ。古道具に関しては目利きだった親父も、私の嫁選びは間違えたらしい。
そんなことを考えながら目をつぶっていると、私は暑さのせいか、眠ってしまったのだった。
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