(四)

 (よし。誰も私のことに気付いてない。絶好の機会。あの赤ずくめ、何者か見極めてやる)

 的当ての余韻が収まらない中、岬は義経から託された二つ目の使命に挑むことを決意した。

 岬の潜む岩陰は、赤ずくめからも、陸の源氏軍・海の平家軍いずれからも見えない。浩の化けた巫女が皆の注目を集めているのをいいことに、潜水してここにたどり着いた。

 (また潜水すればいいだけだわ)

 岬は、羽織っていた小袖を脱いだ。白い肌と、美しいおなかのくびれがあらわになる。

 ブラとパンティを着けただけの姿になると、岬は海に飛び込んだ。

 赤ずくめの小舟は、平家本隊の軍船へと帰途を急いでいる。

 岬が潜水のまま小舟の舟底を見付けた時には、小舟はすでに軍船の間近に達していた。

 (追われていることには気付いてないはず。今だわ!)

 岬は勢いよく水面に顔を出し、上を見上げた。

 (残念。遅かった)

 岬の視界に入って来たのは、軍船から縄梯子が降ろされ、赤ずくめと船頭が登りつつある光景だった。

 「待て!」

 岬は小舟のヘリに手を掛け、身をよじるようにして小舟の上へ上がった。

 その時には、赤ずくめはすでに軍船の甲板へ登り切っていた。縄梯子がするすると上がり、岬は登ることができない。

 赤ずくめは甲板から、岬を見下ろす。

 「ふふ。やっぱり、来たね」

 「やっぱり? 私がここに来ると判っていたんですか」

 「ああ」

 赤ずくめが笑みを浮かべた。

 「岸辺からあの巫女が射た矢は、扇には当たらなかった。その代わり近くから飛んで来た何かが扇を射抜いた。ありゃあ小石かい? 近くの岩陰から狙ったんだろ? それなら百発百中で当然だ」

 「皆騙されても、あなただけはお見通しだったのですね」

 長い髪から水の滴が顔面にぽたぽた落ちるのも構わず、岬は赤ずくめを睨んだ。

 「そりゃそうさ。誰よりも間近に、扇に向かって飛んでくるものを見てたんだからね」

 赤ずくめは再び、笑った。

 「あとで平家軍に、本当はこうだった。扇に矢は当たってないって嘲笑う

お積りですか」

 「いや、そんなことはしないさ」

 赤ずくめはまた、笑った。

 「源氏軍が配下の武士を使って的当てに失敗したなら、こっちの勝ちだったんだけどね。それなら平家側としては、弓矢もまともに扱えない田舎武士って嘲ることができ、心理的に優位に立てた。巫女が射手じゃあ、余興になっちまう。まんまとやられたよ。あんたらが小細工したなんてばらしても、かえってカッコ悪いだろ」

 (カッコ悪い・・・・それだけのことなの)

 少なくとも岬は必死だった。元いた世界に、浩と一緒に戻るために。そして、憧れの存在、義経に恥をかかせないために。カッコ悪いで片付けられては堪らない。

 赤ずくめはさっきから笑い通しだ。

 己の全てを懸けた積りで臨んだ的当てを嘲笑され、岬は自らの存在を否定されたように感じた。

 岬は頭に血が上った。

 (この赤ずくめ、許さない)

 岬は懐に入れてあった小石を取り出し、赤ずくめに向け投じた。

 小石は赤ずくめの頬を掠め、軍船の甲板へ落ちる。

 赤ずくめの顔から、余裕の笑みが消えた。

 その時。

 「おい! お前! 僕のおばあちゃんに何しようとしてるんだ」

 金の刺繍に彩られた稚児服を身に付けた少年が、駆け寄り、赤ずくめの前に立ち塞がった。

 子供は、身の丈に似合わない長い剣のようなものを持っている。

 (子供? 軍船の中に子供がいるの?)

 岬は二つ目の小石を持っていた右手を下ろした。

 (子供に向けて石は投げられない)

 岬は顎に左手をやった。

 (うーん。七つか八つ位に見えるけど・・・・)

 「おばあちゃん。僕がおばあちゃんを守ってあげる」

 「天子様。ありがとう。でも、逆よ。あたしが天子様を守ってあげる。あたしはそのために生きているんだよ」

 赤ずくめは少年の頭を撫でた。

 「えっ? 天子様って」

 岬は少年を指差し、叫んだ。

 「そうだよ。ここにおわすのはミカドでいらっしゃる。あんたみたいな輩は近づくことも許されない高貴なお方だ」

 「まさか」

 岬は目を瞠った。

 (でも考えてみれば、ありえない話じゃない。平家はミカド、つまり私達も知っている安徳天皇と一緒に都を落ち、流浪の旅をしているんだから)

 岬は考え直し、今度は赤ずくめに指を向けた。

 「つまりあなたは、ミカドの祖母。平家の清盛様の妻、時子様なのですか」

 「ああ。そうだよ」

 赤ずくめは頷いた。

 「でも、そんな高貴なお方がわざわざ小舟に乗って扇の的を掲げてらしたんですか? 一歩間違えればご自分の体に矢が当たって命を落としかねないのに」

 「命かけなきゃ、大事なものを守れないだろ」

 「え・・・・」

 岬自身、さっきは的当てに熱心だった。が、命までは懸けていなかった。

 (自分の場合、熱心だったのは自分達が元いた世界に帰りたいため。結局は自分のため・・・・。時子さんの命懸けとは、全然違う)

 「あたしはね。死んだ夫の清盛から、全部預かったのさ。この幼いミカドだけじゃない。あたしの息子や娘、平家一門の公卿。そしてここにいる武士達全部。今あたし達はあんたら源氏に武力では負けてるだろ。平家を鼓舞するには、あたしが強くなくちゃいけない。自分のことなんか捨てていいんだ。捨てて、命を懸けるしかなかったんだよ」

 (何か、違う。こんな人は私たちの暮らす世界にはいない)

 岬はあとじさった。

 (ちっぽけな私の熱意とは違う。時子さんの命懸けは凄く、大きい)

 「おい。分かったか」

 ミカドが持っていた剣を、岬に向けて振った。

 突然、穏やかだった海に波が湧き上がる。

 岬の乗っている小舟が波に洗われ、大きく揺れた。

 「一体、これは?」

 (あっ)

 岬は思い当たる節があった。

 巫女に化けた浩が浜辺で弓を構えた時、風もないのに大波が立ちはじめたことだ。

 (あの時も、ミカドが剣を振っていたのか・・・・。祖母である時子様を守るために)

 「えい。えい。えい。おばあちゃんを傷付けようとする奴は、僕が成敗してやる」

 ミカドは、さらに剣を振った。

 岬は小舟の櫓をつかんだ。

 必死で漕ぎ、軍船から離れまいとするが、波の勢いに抗えない。

 小舟は、大波に呑まれ、粉々に折れ散った。

 岬は海に放り出され、気を失った。


 気が付くと岬は、屋島の浜で横になっていた。

 頬を叩かれ眼を開くと、心配そうに自分を覗き込む浩の顔があった。

 浩は自分の着ていた法衣を脱ぎ、冷えたからだに掛けてくれている。

 「良かった。死んじまったかと思ったよ」

 浩は、涙を浮かべている。

 義経は、少し離れたところに立ち、横目で様子をうかがっていた。

 「ありがとう」

 それだけ言うと、岬の眼に熱いものが込み上げてきた。

 (大事なものを命懸けで守るって、どういうことなんだろう)

 岬の心の中で、さまざまなことが去来していた。

 (自分自身が強くなること・・・・。そして、守りたいもののために命を投げ出せること・・・・。そして、そのためには自分が相手にどう思われたいなんてちっぽけな願望は捨てること)

 岬は起き上った。

 (ありがとう・・・・。時子さん、大事なことを教えてくれた)

 自分を導いてくれたかにさえ見える赤ずくめこと時子。

 (あれほど平家の船の近くまで行ったのだから、武士を呼び集めて私を捕らえることもできたはず)

 が、時子はそうしなかった。

 (私が同じ女だから、見逃してくれたの? それとも、もっと大きな立場から私を導こうと?)

 岬は天空に輝く太陽を見上げた。 

 「あっ」

 岬は立ち上がった。

 (待って! 平家物語の続きって)

 平家物語では屋島の戦いの二か月後、目の前にいる義経を大将とする源氏軍に敗れ、平家は滅亡する。時子は「波の下にも都 のさぶろうぞ」という名言を残し、さっき岬が会って来たミカドを抱えて入水するのだ。

 「逃げて! 逃げてください。生き延びてください」

 岬は叫んだ。

 「だめだよ。歴史は変えられない。変えちゃいけないんだ」

 浩は岬を抱きしめた。

 その浩の手に、義経からタイムマシンの数珠が手渡される。

 浩が深々と頭を下げると、義経は手を振った。

 浩はタイムマシンのスイッチを入れた。

 黒いトンネルが空中に現れる。

 元いた世界へと戻るトンネルの中、岬は浩に抱きしめられたまま、いつまでも泣き続けていた。



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