求め続ける中毒者たち

 一度動き出してしまえば体力を温存する余裕はなく、止まらず細かくで機敏に立ち回った。次々襲いかかってくるヤクザを相手にカウンターを取り、タックルで倒しては踏みつけ、ひとりの相手に集中せず常に位置を変え四方へ目を配る。

 幸いなことにヤクザたちは誰一人遊由たちを追わなかった。挑発の効果ではなく大男を置き去りにすることを避けてのことだと想像できる。

 このあと偽装させることを考慮してか、刃物の類が出てこないのも良い傾向だ。とは言え鉄パイプや木刀でもメチャクチャに痛い。囲まれていて大きくは避けられないのでどうしても体で受ける必要があるから、もう手足はパンパンだ。

 特に時折混じる大男の攻撃は辛かった。殴られ蹴られ🈓意識を飛ばしつつも、その度立ち直って戦った。

 もし負けるのなら、三十秒経って迎えに来た遊由がパッと見て「もうダメだ」と諦める程度でズタボロになっていなければならない。それまでは全力全開で飛ばしていく。

 この開き直りは覚えがある。死力を尽くしてその結果自分が死んでしまっても、他の誰かを生かせるならそれでいいという考え。ここへ来てあのふたりに共感するなんて、おかしい。

「なに笑ってんだコラァ!」

 ジャイアントスイングに次ぐジャイアントスイングで目が回り、前後左右が回転する景色の中で大男が更に激昂する。

 不意に、その顔面が赤く染まった。そして、轟音。

 突然、雷でも落ちたかのような衝撃と共に爆風が集団の中を吹き抜けた。あちこちからヤクザらしからぬうろたえた悲鳴が上がる。

 何事かと振り返れば俺たちをここへさらった車が燃え上っていた。さっきの音と風は爆発らしく、運転手たちは寸でのところで非難が間に合ったようで車の近くで腰を抜かしている。

「あち、あちっ!」

 見張り役だった男が火の燃え移った上着を脱ぎ捨て、燃え盛る炎の中へ投げ込んだ。

 あれには俺の携帯電話が入っていたはずだ。一瞬「なんてことしやがる!」と思ったが、よく考えればこれでよかった。登録した連絡先がヤクザに渡らずに済む。

「あ……まずい」

 噴き出す炎、それと煙。もうもうと巻き起こる黒煙は倉庫中に漂い、肺に入った。途端に肺が鈍って喉が締まる。

「丁度いい! お前は先にあの中にくべてやる!」

 大男に首を掴まれ、元々苦しいところへ更に息が詰まった。抵抗しようにも大男の手首に手を添える以上に体が動かない。元々息切れしていたところに発作が起きたのがよくなかった。酸素が足りない。

「よっちゃん!」

 一番耳慣れた声と、名前が聞こえた。

(バカ、来るなよ)

 遊由はいつもそうだ。俺が苦しいときにはいつもこうして現れる。いっそ燃え尽きて灰になったなったあとで見つかっていたら、いくら遊由でも膝枕も病院へ担ぎ込むこともできなかったのに。

 もう肌に熱を感じるほど炎が近い。

(ごめんな。これで本当に恩返しできなくなっちまうな。恩返しっていうか俺、なんにも……)

 遊由だけはずっと信じてくれていたのに、なにもできなかった。そのことが心残りで、心底惨めだ。

「諦めないで! よっちゃんずっとがんばってきたじゃん!」

 意識が朦朧としてきたせいか、ありえないことを耳にした。

(俺が……がんばってたって……?)

 意識して走馬灯を呼び起こしても、ロクなことが出てこない。一時の安らぎ以外は苦しんで妬んで、そんなことばかりだ。日陰にいるつもりで自分が持っていないものを持つ他人を羨んでばかりいた。人生でずっと続けたことと言えばそのくらいだ。

(普通に暮らすのも力んでなくちゃいけなくて、いつだって歯を食いしばって……ずっと拳を握ってた。ああ――それなら、誰にも負けない)

 僅かな酸素が腕の先へ集中するよう念じながら、ありったけの力で、いつも通りの拳を握る。

 大男の呻き声が聞こえたような気がした。ゴム地を束ねて絞るような手応えの他、意識はぼんやりとして幻覚まで見えた。遊由と篠岡、それに笹目先輩が周りにいる。

「よっちゃんならできるよ!」

 お前こそなんでもできるだろ。

「その調子で最期までがんばりましょう!」

 お前の言う「サイゴ」はなんか怖いんだよ。

「そこまでの苦痛はいき過ぎだわ」

 好きでやってんじゃねえやい。

(って言うか、お前らはちゃんと自分の人生を生きろよ。頼むから)

 俺にも次があるなら――となにかを考えながら、段々と意識は遠退いていった。


 意識を取り戻すと、柔らかい感触にあった。目の前に遊由の顔がある、見慣れた光景だ。また内腿で膝枕をされている。

「なんで逃げ――ごほっ」

 まだ発作が起きていて話せるほど酸素が吸えない。

「いいよ。あとは任せて」

 今にも崩れて泣き出しそうなギリギリの笑顔だ。俺に気遣って虚勢を張らなければならないなら、事態は好転していない。

 煙の臭いもあって天井も見える。ここはまだ倉庫だ。

「クソガキ! ぶっ殺してやっからなあ!」

 首を回すと大男が手首を押さえてうずくまっていた。どうやら一矢は報いたようだが、ただそれだけだ。

「緩居くんをお願いします!」

「おじさんが表に車を用意しているから、急いで!」

 酷いことに篠岡と笹目先輩まで揃っている。これでは俺がなんのために俺が残ったのかわからない。

(あとは俺が自分で火に飛び込むしかないだろ……もう神話だろ、それ)

 遊由の肩を借りて出口まで移動するまでの間、ヤクザたちの猛攻が続いたが、篠岡と笹目先輩は必死で凌いだ。復活した大男も痛めた手首に鎖を巻き付けるえげつない攻撃でうまくいなした。

 これなら、と見えた希望は出口の近くへ来たところで幻と消えた。

「ごめん、援軍だ」

 くぐろうとした扉の隙間からおじさんが倒れ出て来た。頬が赤く腫れている。

(ダメか……)

 車を手に入れたところで逃げ切れるかはわからないのに、これでは絶望的だ。ヤクザたちの計画通りに焼かれて終わる。

 諦めて下を向くと、いくつもの足音が聞こえた。元の倍以上の人数が倉庫に踏み込んでくる。生き残れるはずがない。

「どういうことだ吉沢ぁ! 勝手にこれだけの兵隊動かして、始末付けてやるから、なに企んでたか吐いてから死ね!」

 どうやら上役がやってきたらしい。しかも女だ。周りのヤクザも「アネさん」と口走って動揺している。恐れられている人物のようだ。

(この計画が勝手にやったことでも、ここまで関わったんだから無事に返してもらえるわけないよな……)

 その点はもう動かないから、諦めは覆らない。

「ああもう時間が惜しい! もうワケとかどうでもいいからここにいる全員皆殺しにしてやる!」

 ほら、助からない。

「ねえ、よっちゃん。このひとって」

 遊由がなにか言っているが、取り合う気にはなれなかった。

「今夜はね! 絶対外せない――その、会合があるんだ! ああ……由総くん、おねーさんすぐ仕事片づけて行くから、お願いだから待っていてね」

「え……俺?」

 さすがに自分の名前が出たとなると聞き逃せない。しかもヤクザの上役の口からだ。

 顔を上げると、そこには仁王像のように怒りの満ちた女がいた。知らない女――いや、知っている。

「陽子さん? え、なんで?」

 今は女神というより鬼神と呼んだ相応しい形相だが、表情を抜けばその顔もそのスーツ姿も覚えがある。

「由……総くん」

 石化したと思えるほど陽子さんは硬直した。

 なにがなんだかわからないが、ひとつだけ言えることはある。

 陽子さんがいるのなら、俺はもうなにも気にせずに安心していい。



「なんていうか……ええとその、家事手伝い……ということで理解してもらえたら嬉しいかな」

 病院へ戻ってまた点滴を受け、いくらか発作が落ち着いたところで陽子さんから話を聞いた。

「つまり陽子さんはそういう職種だと」

 傍らの椅子で陽子さんはしょげかえって指を曲げ伸ばししている。

「組まるごと足を洗うというか、カタギのみなさんに迷惑はかけない安全な団体に生まれ変わろうと、改革を進めている最中なのね? でもそれに不満を持つ連中が結構いて……」

 俺たちを浚ったのがそれだった、ということらしい。独立するための金を手に入れる算段だったのだろう。

「なにか企んでるのはわかってたから、拠点を虱潰しにして足取りを追ってたんだけど、まさか由総くんとお友達が巻き込まれてるなんて……。ごめんなさい! もうどう顔向けしていいかわからないけど、あの連中は肥料にしてムショの畑に混ぜさせるから! 死んでも出てこれないようにするから安心して!」

 深く深く頭が下がったので慌てた。

「別にそこまでしなくていいから! もう二度と関わってこないなら、それでいいよ」

「そう……だよね。やっぱり由総くんもヤクザなんかと関わりたくないよね……」

 顔は上がったものの俯いたままで、目に涙が溜まっているのを見て更に慌てる。

「いや、陽子さんのことじゃないって! 俺、陽子さんの顔見られなくなるの嫌だから、『顔向けできない』なんて言わないでよ」

「由総くん……。おねーさん、こんなだけどいいの? 大変な目に遭ったのに」

 まだ涙は残っているが、とにかく拒絶したいわけじゃないと伝わったようでよかった。

「いいって。家業も病気も好きで選んだわけじゃないもんね。そうだ。気になるなら今夜のごはん食べる約束、俺におごらせてよ。陽子さんにはいつもおごらせてばっかりだから、たまには俺に好きにさせてほしい。それでいい?」

「由総くん!」

 陽子さんは感動した様子で、俺の胸に飛び込んで来た。これではいつもと逆だ。頼ってばかりだったのでなんだか俺としても気分が楽になる。

 もっと逆にするべく頭を撫でようとしたら陽子さんの体が離れた。それぞれ後ろから俺を遊由が、陽子さんを笹目先輩が引っ張っている。

「よっちゃんまだ苦しいんだから、肺を圧迫するようなことはやめてよね」

「大変な目に遭ったのは私だと思うのだけれど。謝罪はまだ聞いていないわ」

 なにやらふたりとも怒っている。もう少しで死ぬところだったのだからムリもない。

「まあまあ、結局俺たちは陽子さんに助けられたんだからさ」

「そういうことじゃないよ! アタシ前から言いたかったんだけど、このひとが危ないのはヤクザだからとかじゃなくて、よっちゃんが小さい頃から――ひぃっ!」

 陽子さんの顔が再び女神から鬼神になって、遊由が壁際まで飛び退いた。遊由を凄みだけで撃退するとは、陽子さんはやっぱりすごい。けど恐い。

「ワタシはそのひとそんなに悪い人じゃないと思いますよ。なんかすっごい苦労オーラ出てますし」

 篠岡も処置室にいた。なにがあったのか鎖でがんじがらめにされてミノムシのようになっている。さすがにあれでは抜け出せそうにない。

「でもこれまた変わったオーラですねえ……ランドセルと半ズボン? なんです、これ」

 陽子さんが篠岡の方を向いて、多分睨んだんだと思うが、空気の読めない篠岡には通じなかった。きょとんとしている。

「いや、なに言ってるか全然わかんねーけども。それよりお前それどうしたんだよ。鎖ってことは、先輩がやったの?」

 質問すると、笹目先輩は顔を赤らめた。

「これはだって……彼女が貴方に……」

「あー……わかった。もういいです」

 運ばれている間は意識が薄れていたからわからなかったが、俺は発作を起こしていわけだたから篠岡はまた『人工呼吸』をしようとしたのだろう。今後は篠岡の周りでは発作を起こさないようにしなければならない。周りでなくとも苦労オーラを嗅ぎ付けて向こうからやって来そうだが。

「とにかくもう落ち着いたんだし、捕まえとく必要はないでしょ」

 促すと、笹目先輩はしぶしぶ頷くと片手に鉄仮面を構えた。すると鎖がジャラジャラと音を立てて吸い込まれていく。相変わらずどういう仕組みかわからない。

 自由になった篠岡は寝台の横へ来ると改まって背筋を伸ばした。

「ワタシ、これからの人生すべてを緩居くんに捧げます。一生緩居くんのお世話をします」

『はぁ?』

 突然の宣言に反応する声が重なった。俺は驚きでまだ言葉が出ないから他の3人だ。

 壁際から復帰した遊由が篠岡の肩を揺すり、笹目先輩が鎖を首に巻き付け、陽子さんは凄んでいる。

「よっちゃんのお世話なんてそんな簡単なことじゃないんだよ?」

 いつもすいません。

「昨日今日知り合ったようなひとに、どうして一生をかける決断なんてできるの?」

 先輩も初対面で似たこと言ってませんでしたかね。

「小娘がなにぬかしてんだコラ、オォン?」

 陽子さん、鬼神が出てます。ひょっとしてそっちが素ですか。

 3人に詰め寄られ、それでも篠岡は平然としている。いつもの肩に力の入った笑顔だ。

「緩居くんのためにする苦労ならワタシ絶対に死んだりしません。だから、ダメですか?」

 熱の入った視線で見つめられなんと返していいか迷っている、篠岡の首に巻かれた鎖が解かれた。

 笹目先輩が篠岡の横に立って、おずおずと手を挙げる。

「それなら……私も立候補させていただくわ。私が一生貴方の面倒を見る」

 増えた。

「ちょっと待って! ふたりともよっちゃんを甘く見てない? 発作起きてなくてもずっとヘコんでる感じで、すっごくめんどくさいんだよ!」

 そんな風に思われていたとは。普通にショックだ。

 しかしそんな忠告でこのふたりが考えを変えるはずがない。

「苦労も――」「苦痛も――」

『大好物!』

 ふたりの声が一部重なる。

(そりゃ、そうなるよな。笹目先輩は前からそんなこと言ってたし)

 しかしここまで言われると自分がお荷物扱いされているようで辛い。

「よっちゃんの病気のことはアタシが一番よく知ってるし、よっちゃんを一生助けるのはアタシだもん!」

 ふたりに煽られて、遊由までがなにか言い出した。

「うわぁ、また増えた」

「増えてない! アタシはずっと前からこうなの!」

 つい声を出したら叱られた。

「よっちゃんはもう黙ってて! あとはこっちで決めるから!」

「あの、ここ病院なんですけど……。いえ、安静にしてます」

 大人しく従うと本当に俺を放っておいて3人で揉め始めた。ここは処置室で病人なのに居心地の悪い思いを味わう。

「由総くん、今のうちに……ね?」

 陽子さんがこそこそと車椅子を押して運んで来た。さすが、と感心するのもあとにしてすかさず点滴袋を移し乗り込み大騒ぎの処置室をあとにする。


 陽子さんに後ろを押してもらい、玄関ロビーを移動する。ま点滴も繋がって治療中だが、もう何がピンチなのかよくわからないので自主退院してしまいたい。

「ねえ、由総くん。あの3人が何に立候補してるのか……わかってる?」

 陽子さんの質問には、曖昧に頷いておいた。

 ひとを動かす強いエネルギー源といえば俺の憧れた夢か希望か、あとはひとつくらいしか思いつかない。

 そういうものがひとを動かす。病めるときも健やかなるときも、そういうものがひとを動かす。

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次の恐怖症さん、どうぞ ハチマキと鉄仮面 福本丸太 @sifu

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