健全な生き方

 植え込みの縁に寝かせ、騒ぎに気付いた遊園地のスタッフが持ってきてくれた氷を脇に挟んでやると、少しずつ篠岡の意識がハッキリとしてきた。

「もう……大丈夫ですから。続きを回りましょう」

 早速体を起こそうとしたところを押さえつけ、額に氷袋を載せてやる。

「もっと頭冷やしてろ。子供たちは香田さんが連れて回ってる。今日は元々その予定だったんだろ? だから気にするな」

「それは……アハハ、子供たちに悪いことしちゃいましたね。着ぐるみの首が取れるなんて、トラウマものですよ」

「それは笹目先輩がもうやったから、そっちも気にするな」

「なんですか、それ」

 顔は笑っているのに、これ以上ないほど疲弊しているのが見て取れる。ショップで買ってきた陽気なプリントのTシャツが着替えさせたのを後悔するほどアンバランスだ。

 今篠岡を自由にしたらきっとまたすぐに倒れる。仮に万全まで回復しているとしても同じことだ。また倒れるまでハイテンションに動き回ることだろう。

「お前……そんなんじゃ、そのうち死んじまうぞ」

「それ、本望です。ワタシね……簡単に言うと、死んでしまいたいんですよ」

 そもそも呆れて言ったのに、返事を聞いて呆然とする。

(今、なんて言った……コイツ)

 笑みが一層強まるのを見てゾワゾワと鳥肌が騒ぐ。

「詳しく言うなら『生きていてもいい』なんて能天気に信じることができないんですね。だからって自殺はよくないでしょ? 生きたくても生きられなかったひとや両親にも申し訳ないし。でも過労死なら叱られないと思いまして。がんばった結果そうなるんですから、がんばったんだから……。ワタシ、責められませんよね?」

 篠岡は将来の夢を語るみたいに、楽しげな顔つきで息せき切って話す。これを見て聞いて、とても平静ではいられない。

「ふざけんな……ふざけんな! お前を責めてるのはお前だろうが! 苦労するだけして死ぬなんて、どうして、それで満足なんだよ」

 なにが一番気に入らないかと言えば、根本の動機は理解できる点だ。生きたいという自分の欲だけで、この世に生きる権利を与えてもらえる気がしない。現に発作を誘発するアレルゲンという形で自然と社会が俺を殺しにかかってくる。

『生きていてもいいですか』

 誰かにそう問いかけたかった。いや、本当は望む答えが欲しいだけだ。耳元で「死ね」と繰り返し囁く声から気を紛らわせるために。

「がんばってがんばって、そして死ぬ。これ以上健全な生き方なんてあるわけないじゃないですか」

 篠岡はもうとっくになにもかも覚悟を済ませている。まだ朦朧としているくせに、そういう顔をしている。

 コイツは俺だ。陽子さんに出会った幸運と、往生際の悪さがなかったら俺もきっとこうなっていた。

 それなら救われた者として果たすべき義務があるんじゃないだろうか。

「……あとで一緒に考えてやるから、今は休んでろ」

「休む? 緩居くん、ワタシを手伝うんならもっと死ぬ気で……」

 嫌なことを言いながら、焦点の狂った眼は瞼に隠れた。つい心配したが、安定した呼吸音が聞こえてくる。眠っているだけだ。

「すんません。俺コイツを家まで送っていくんで、今日はここで解散ってことにさせてください」

 篠岡に注視したまま、少し離れて立っている笹目先輩に話しかける。

「このあとも遊園地に残るなら香田さんに合流したほうがいいと思うけど、どっちにしても先輩が楽しめるほうを……先輩?」

 反応がないので顔を向けると、なにやら沈痛の面持ちで俯いていた。続けて何度か呼びかけると、ハッとして小さく首を振る。

「ああ……ごめんなさい。考え事をしていただけよ」

 さすがに篠岡の話を聞いたショックは大きかったらしく、表情に動揺が窺える。

「こういう子にこそ幸せが用意されていると私は信じているのに、報われない過労死が本望だなんて……認めたくないわね」

 篠岡は笹目先輩を同族視していたが、目的意識という違いがふたりにはあった。しかし幸せになろうとするどころか死にたがっていたなんて、差がこれほどとは完全に想定外だ。

「あまり直視していたくもないし、貴方ひとりで平気なら私は帰るけれど……。その子、ひとりで担いで運ぶつもり? タクシーを使うなら、運賃は私が出すわ」

 篠岡は眠っていて、届け先も知らなければ運ぶ体力もない。だがどちらも当てがあるし、多分金もかからない。

「こっちのことは気にしなくていい。それより先輩、妙なことするのはやめろよな。すいませんけど正直そっちまで手が回らないんで」

 これから篠岡に付きっ切りになるのでたとえ同行するとしてもフォローはできない。となると、笹目先輩が自重するよう望みを託す他なかった。

(ん……? なんだ?)

 また返事がない。しかし今回はじっと見つめられていた。瞬きもしない熱意すら漂う眼差しでまっすぐに俺を見ている。

「黙るの勘弁して。恐いって」

「私よりも……その子のほうが優先なのかしら」

「うん? そりゃこのザマだし……。あ、もしかして俺がコイツによからぬことをすると思ってる? いやそういう欲求はさっき先輩の乳を揉んで充分――」

 話を最後まで聞かずに、笹目先輩は体の向きを変えると素っ気なく手を上げて出入り口の方へ歩き始めた。

「今日はもう大人しくしておくわ。もう充分苦痛だもの」

 ありがたい限りだが、なにがそんなに苦痛なのかがわからない。

「楽しく遊園地、って気分じゃなくなったからかな……」

 小さくなっていく背中と長い髪を眺めていても答えはわかりそうにない。

 色々とヌルくはあっても、異次元な信仰心を持つひとだ。その戒律は理解不能と言える。

「ホントに大丈夫なんだろうな……」

 空しく消えていくはずだった問いかけが、突然の電子音に拾われた。

 傍らに置かれたままの着ぐるみから聞こえる。もしやと思って覗き込むと内側にポケットがついていて、携帯電話が入っていた。

 取り出すと画面に「篠岡通学サービス」と表示されているのを見て、調べる手間が省けたとほっとした。

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