遊園地でマトモな人と握手
フードコートのテーブル席から、着ぐるみのキャラクターに群がってはしゃぐ子供たちを見守る。足元の覚束ない幼児から、年長でもまだ小学生の集団が十人はいる。
篠岡が用意していた苦労は彼らの子守りだった。目を離せない子供がこれだけいれば手助けが必要だったことも頷ける。
篠岡が仲良くしている商店組合から貰った遊園地の無料招待チケットで孤児院の子供たちを引率。事情を聞いてしまえばやめさせることもできなかった。篠岡の一番厄介なところはこうして社会的に意義のある部分も多いところかもしれない。
「あの、今日はどうもありがとうございます!」
近くまで来た少女が目の前でペコリと頭を下げた。姿勢を戻す弾みで後ろにまとめた髪が跳ね上がる。
「篠岡先輩とふたりだけじゃ大変だったと思うんで、手伝ってもらえて助かります!」
彼女についてはあらかじめ篠岡から聞かされていた。
香田鈴、同じ高校でひとつ下の1年。はしゃいでいる子供たちと同じ孤児院で暮らしていて、篠岡が院の行事を手伝いに顔を出したことで知り合ったらしい。
細かい話は聞いていないが、厳しい境遇の割によくぞここまで健やかに育ったと感心する快活な子だ。
「お……おお!」
思わず立ち上がって手を握ってしまった。知らぬ間に涙まで出ている。
「ひっ! な、なんですか?」
「あ、ゴメン……。久しぶりにマトモな子に出会えたと思ったら、嬉しくて」
言っている意味がわからないだろうに、強張りながらも笑顔を維持している。なんて良い子なんだ。
「飲み物をどうぞ。これくらいはさせてください。お小遣いをもらってきてますからお金はいいですよ」
「そっか。それじゃ、いただきます」
素直に応じ、トレイからカップを受け取った。
遠慮すれば同情的な態度に見えてしまうかもしれない。弱者扱いされることが不快に感じる捻じ曲がった病人(俺)と素直な彼女を同じにしてはいけないだろうが、どうしてもそういう考えが働く。
「でも手伝いって言っても……実際アイツひとりで間に合ってる感じだけどね」
はしゃぐ子供たち――その中心で器用に踊っている着ぐるみに目をやる。
デフォルメされた――なんらかの動物の着ぐるみ。三角の耳や丸く膨らんだ鼻に長細いヒゲといったアニマルな要素は一通り揃っているが、では何かと断定するのは難しい。
モチーフの正体はともかく、中身は篠岡だ。
(あんにゃろめ、一度解散している間にあんなもの仕込んできやがって……。俺の説得全然通じてねえんじゃねえか)
子供の引率だけでも本当なら大変だろうに、ガッツリ苦労する目的としか思えない。篠岡にまんまとハメられた形だ。
しかしだからと言って収穫がなかったわけでもない。
「押さえておきたいのはこれとこれとこれと……あ、これを忘れてはいけない」
テーブルの向かいに座っている笹目先輩に目をやると、園内のガイドマップに吸い込まれてしまいそうなくらい釘付けになっている。アトラクションで遊ぶ順序を考え始めてから5分以上そのままの姿勢だ。
「これもこれも……あら大変、線だらけでルートがわからなくなってしまったわ……。貴方のを使わせてもらうわね」
返事をする間もなく机に置いていた冊子をひったくられた。
「ああどうしましょう。こんなことならもっと早い時間に来ればよかったわね」
実に楽しげに顔を緩ませ、鼻歌まで聞こえる。こうなると過ぎるくらいの美形もいくらか柔らかく感じられた。一転して親しみやすく、同時にますます魅力的だ。
個人的には見惚れているのも悪くはないが、入園するなりずっとこうなので子供たちがそろそろ篠岡に飽きてしまいそうだ。
「もう効率とかいいから、近い所から回りません?」
「落ち着きなさい! 小さい子もいるのだから夕方には帰らないといけない以上、コースは吟味しないといけないのよ。落ち着きなさい!」
「落ち着かなきゃいけないのはアンタだろ……」
「あっ! いけないわ。お土産を選ぶ時間を計算に入れておかなければね! まったく、危ないところだわ!」
このテンションの上がりようだ。
笹目先輩はどうやら遊園地もカワイイものも好きなようで、篠岡が着ぐるみを着込んできたときも子供たちより喜んでいた。篠岡のアレがかわいいのかは謎だが、同じ被り物でも鉄仮面よりはずっと良い。
「よし、決まったわ! それじゃあ香田さん、あの辺りに立って」
笹目先輩は香田さんに指示を出しテーブルを離れた。二人で篠岡や子供たちを挟む形に移動している。
「ハイ、みんな! これから人数を半分ずつ、2チームに分かれます! 一緒に行きたい人のところに集まって!」
笹目先輩が手を挙げて号令をかけると、子供たちの半分はすぐに香田さんの周りに駆け寄った。篠岡も手を引かれて道連れにされている。もう半分は様子を見てその場に留まっている。
かくしてあっという間に笹目先輩は孤立した。なんだか哀れだが、親しみで考えればこうなるのは当然と言える。
と言っても笹目先輩が人気争いをしたがるはずもない。一連の流れを眺めていたら班分けの目的は理解できた。
「では私が絶叫班、香田さんと篠お――猫ちゃんがメルヘン班。この2チームで回るわね!」
続いた号令を聞いて、事情を呑み込んだ残りの子供たちが移動して笹目先輩班に加わっていく。
アトラクションの一部は身長を基準に利用者を制限しているから小さな子供は遊べない。今香田さんの周りにいる子たちがその制限に引っかかりそうな小さな子たち、という風に分かれている。
もし班分けをせずに一団で回っていたら、不平等に扱われると知った小さな子たちが騒いで面倒なことになっていたと思う。笹目先輩はそれを防ぐために『香田さんへの懐き具合』を利用して子供たちをふるいにかけた。単に効率的に動きたいだけかもしれないが。
それについて感心はするが、驚くべきことは別にあった。
(あの着ぐるみ、猫なのか。言われてみればそんな気も……全然しないな)
ひとり首をひねっていると、不意に視界が遮られた。笹目先輩が腕組みで仁王立ちしている。
「二人ずつで引率するのだから、貴方は私と来なさい。それとも向こうに混ざりたい?」
俺が今ここにいるのは孤児院の子供たちのためでも、個人的に楽しむためでもない。篠岡と笹目先輩のためだ。
なので当然この班分けはふたりにムチャをさせないという目的を持って選ぶ。
「あの調子じゃ篠岡を止めるのはムリだろうからな……」
メルヘン班で変わらず引っ張りだこになっている篠岡を見る。
そこへ飛び込んでいって子供の前でムリヤリに着ぐるみを脱がすのは気が引けるし、篠岡を絶叫班に移しても小さな子たちがついて来るかもしれない。
絶叫班に入ればとりあえず笹目先輩を監視できる。
だがひとつ気になることがあった。
「笹目先輩、アンタ苦痛を味わうつもりなんじゃないだろうな? そういうつもりで絶叫班を選んだんなら、むしろアンタにメルヘン班に入ってもらいたい」
香田さんと回れば子守りは楽できるが、篠岡と笹目先輩から目を離すのはギャンブルだ。
それでも遠くに見えるジェットコースターが「恐怖の」と看板を掲げていることが気になる。笹目先輩はあれが狙いなんじゃないだろうか。
問いかけは鼻で笑われた。
「まったく、なにをトボケたことを言っているのかしら。エクスタシーを得るためにある程度のストレスが必要なことは確認するまでもないでしょう」
すぼめた口で歪んだ笑みを見せる。篠岡と違って、笹目先輩は本心が態度に出ているかは大いに疑わしい。
なので物証に頼ることにした。
笹目先輩の手からガイドマップを掠め取ると、「あっ」という焦りの声は無視して素早く広げ中に目を通した。
〝絶叫〟班なのだから当たり前だが、スリル系のアトラクションばかりがチェックしてある。ただそのチェックが花丸だ。
「うわコイツ、メチャクチャ楽しみにしてる」
「うるさいわね! わたしの勝手だわ」
引っ手繰るようにして奪い返されたガイドマップが赤面を隠す。
どうやら疑いは考え過ぎだったらしい。笹目先輩は遊園地を楽しもうとしている。
だが一応釘を差しておこう。
「そういうことなら俺も絶叫班でいいけど、他から苦痛を充填とか考えるなよ? 子供がいるんだから鉄仮面なんて見せたらトラウマになる。俺はなってる。アンタは俺がいれば満足だって言ったんだから、他に見向きするなよ」
笹目先輩はマップに顔を引っ込めたまま動かない。
聞いているのかいないのか、むしり取って確認するべくガイドブックを掴んだとき、横からの視線に気がついた。
いつの間にか香田さんが近くへ来ていて、なぜだかキラキラした瞳で見つめられている。
「先輩たちって……そうなんですね? 班分けして任せちゃうのは悪いと思ったんですけど、そういうことならこっちの班はお願いします。みんな、このふたりのお邪魔をすると馬に蹴られるからね!」
勘違いした香田さんの呼びかけに子供たちが生暖かい微笑みで頷いている。
「思春期の駆け出しどもが、なにわかった顔してんだ。そういうんじゃなくて、俺はこの人を幸せにしたいだけだ。……あっ――」
自分の発言が誤解を助長すると気づいたときにはもう遅く、子供たちから「わっ」と歓声が上がり香田さんは小さく拍手をしながらメルヘン班のほうへ行ってしまった。
「なんか、面倒なことになったな」
実を言うと悪い気はしない。
笹目先輩は見た目だけを取り上げれば超の付く美形なので、それを台無しにして余りある厄介さを知らない彼らから「吊り合っている」と思われているなら誇らしい。
それでは笹目先輩ははたしてどう思っているか。気になって振り返ると、鉄仮面を被っていた。最低の反応だ。
「……苦痛か?」
「歓迎すべきことにね」
別に構わないが、多少癪に障る。
「な? 『こんなの』とは付き合わない」
その一言だけで誤解は解け、子供たちは納得顔で頷いた。
トラウマは植え付けてしまった件についてはどう香田さんに釈明しよう。
アトラクションへと移動を始めると、笹目先輩はすぐに鉄仮面を外してキョロキョロし始めた。あちこちで動いているアトラクションに対して「あっ!」「ふふっ」「ほー」とリズミカルに感嘆している。顔つきは喜びで染まり口がずっと開きっぱなしで、子供たちよりもよほど子供っぽい。
「ホラ、見なさい。園内移動のバスがとっても可愛い! あっ、あそこ、今なら空いているわ。まずはやっぱりジェットコースターよね! みんな、ついておいで!」
子供たちとも打ち解けている。こんな姿を見たので警戒しているのも馬鹿馬鹿しいと思われたのか、俺を置き去りにもうトラウマから脱却したようだ。
気に入ったアトラクションに何度も付き合わされ、移動も基本駆け足なのでついて行けず遅れて合流するたびにむくれられたりもした。
「貴方が遅いせいで私はもう少しで知らない人の隣に座らせられてしまうところだったわ。子供たちだけで偶数なのだから、気をつけてもらいたいわね」
今の笹目先輩からはまったく厄介さを感じられなかった。鉄仮面で天井に張り付いていた怪人が彼女だとはきっと誰も信じない。
(俺といるから苦痛だとか……完全に忘れて楽しんでるよな、このひと)
だからこそあとが怖い。
解散してひとりになればそのことに気がついて代償を払おうとするだろう。初対面のときにベンチでちょっと喋っただけでも嫌いなワサビを飲んだのに、これだけ楽しんでしまったら一体なにをしでかすかわかったものじゃない。
(四六時中見張るわけにもいかないからなあ。どうすりゃいいんだ、陽子さん)
解決案を捜しつつまた遅れて合流すると、なぜか今度は文句を言われなかった。
怒るのも飽きたのかと思えばそうじゃないらしい。さっきまで全力で楽しんでいた笹目先輩は一転して青い顔をでキョドキョドと落ち着きを失っている。
「一体どうし――ああ、なるほど」
先を見れば行列を文字通り飲み込む怪物風にデザインされた建物があった。
あれはホラーハウスだ。ジェットコースターは心底楽しんでいたが、どうやらこの手のスリルは苦手らしい。
「ワハハ! 先輩のほうがよっぽどホラーなのに!」
「うるさいわね……うるさいわね!」
マトモに言い返せないほど動揺している。
「あれ? でも先輩の持ってる苦痛グッズに怪談CDがあったような」
「苦痛グッズ? おかしな名前を付けないでもらいたいわね。アレはホラ……ジャケットを眺めるだけでも恐いじゃない」
「電池使わなくてエコですねー」
「うるさいわね!」
とことんヌルいひとだ。
それならお化け屋敷がどれだけ高いハードルかも類推できる。
先に並んでいた子供たちがグループで中へ入って、次が俺と笹目先輩の番になった。
「そんなに苦手ならムリに参加しなくてもあっちの――」
出口で子供たちが出てくるのを待てばいい。そう提案しようとして、途中で閃いた。
笹目先輩の苦痛を妨害できないのなら、せめてこちらで比較的安全なものを選んで与えてやればいい。そうすればあとで自らに課す罰は軽くなるはずだ。それがホラーハウスならまさに打って付けと言える。
「たしか……エクスタシーを得るにはストレスが必要とか言ってたよな。なら避けられないだろ」
係員の合図に合わせて前へ踏み出し半身で振り返ると、笹目先輩は顎を引いて緊張した表情で頷いた。苦痛を受け入れる覚悟ができたらしい。
「苦痛――って、それじゃあダメなんだよ。バカか俺は!」
笹目先輩の腕を掴んで引っ張り、列から離れる。
「なにをするの! また並び直さないといけなくなったじゃない!」
出口の前まで移動したところで掴んだ腕を振り解かれた。笹目先輩はわけがわからず不服そうにしている。
「貴方だって入ろうとしていたくせに、なにがダメだって言うの」
そう言いながらもホッとして頬が緩んでいる。だが今は捨て置く。
「ああ、そのつもりだったよ。ムリヤリにでも連れ込もうと思ってた。帰ってから妙なことされるより、見てるところで済ませてもらった方がいいからな」
ただ、それでは望み通り楽しんだ分の苦痛を与えてしまうことになる。笹目先輩は変われない。それで正しいはずがない。なぜなら笹目先輩が抱えている問題は苦痛を求めることが本質ではないから。
真に取り組むべきはそうさせてしまう事情、将来への不安だ。笹目先輩はずっと「怖い」と言っていたのに、俺はそれを無視していた。
「俺が間違ってた。とりあえず楽させるために安易なほうを選んで、先輩を意味もなく苦しめるところだった」
自分の言動の無思慮さが、昔あの医者に言われた「笑うな」と重なって身震いが起きる。
(俺は笹目先輩にとって……あんな奴と同じか?)
――絶対に違う。
「俺はアンタの味方だ!」
笹目先輩にまとわりく不安を吹き飛ばすつもりで、とにかく大きな声を出した。昔を思い出して蘇った絶望を振り払いたいのもあったかもしれない。
『私がキミの味方だよ』
失神した医者を引きずって戻ってきた陽子さんが聞かせてくれた魔法の言葉。俺が絶望に沈まずにいられるのはこの言葉があったからだ。
陽子さんは本当にあれからずっと味方でいてくれている。それで救われたということは、あのとき感じた絶望の名前は「孤独」だったんだと思う。
生きていれば辛い思いをするなんてことは病気でも健康でも同じで、それを耐えられるかは総じて幸福か不幸かよりも、独りぼっちかどうかにかかっているんじゃないだろうか。陽子さんが支えてくれなければきっとどうにかなっていた身としてはそう信じられる。
「俺はアンタの味方だ。将来が怖いなら俺がそばで見届けてやる。一生だ」
陽子さんみたいにできているだろうか。きっとダメだ。陽子さんは優しいのに、俺は怒鳴ってしまっている。力づくでまるでうまく言えていない。
でも、助けたい。陽子さんと知り合っておきながらいじけたままでなんていられない。
「先輩が欲しい〝完璧な幸福〟なんて約束できないけど、孤独にさせないことなら誓える。……それでもまだ未来は怖いか?」
自分への苛立ちも相まって、勢いづいた口は止まらなかった。反応はどうか。
笹目先輩は直立不動で黙っている。視線は合っているので聞こえないフリという風でもない。いくら陽子さんに比べたら不出来だからといって、無反応はあんまりだ。
「あれ……先輩? どうかしましたか」
よく見ると腕を突っ張って全身が縦に力んでいて、顔までが強張っている。唇を片側に寄せ困っているような、笑いを堪えているような、とにかく複雑な表情だ。
「寄らないで!」
様子が妙なので近付こうとすると、笹目先輩は小さく悲鳴を上げてその場に縮こまった。
「貴方……一体どこまで踏み込んでくるつもり? 図々しいというか……なんなの?」
言動が錯乱している。だが返す答えはシンプルだ。
「先輩を幸せにしたいだけですよ。おかしくも珍しくもないでしょ」
篠岡のように特殊なタイプでなくとも、面倒事に進んで関わる奇特な人間なら身近にも見つけられる。陽子さんは女神なので比較や分類はできないにしても、遊由がそうだ。
遊由を例に挙げれば「図々しい」という指摘は納得しやすい。陽子さんの前でだって病気のことでは世話になりたくないと病人の意地を通したいのに、こっちの感情なんてお構いなしにお節介を繰り返してきた。
「まあ、エゴだよ。誰だって自分は善人だって言いたいからな。悪事を見かけたら放っとけない。散らかってたら片付けたい。苦しんでるひとを見過ごせない。そうすることで自分を良い人間にしたいんだ」
遊由がすることを好意からと受け取ってはいけない。もしそうだとしても、恩返しも難しい俺では遊由の人生を台無しにしてしまう。だから好意まで受け取ってはいけない。
「『自分は役に立ってる。生きててもいいんだ』って思えないと、いつか自分を赦せなくなるからな」
篠岡の信念も根本はこれと一致する。ただし、普通ならほどほどのところで満足するものを、アイツは強迫観念じみたところまで発展させた。怠けることをとことんまで認めない――潔癖な理想主義者だ。
対して笹目先輩は遊由よりもずっと普通の女の子だ。ただ、将来の不安なんて誰にでもあるどうしようことへの対策を見つけてしまっただけの。
「俺も他のみんなも好き勝手に生きてるんだよ。そうやって楽しいことも嫌なことも味わう。でもそれでいいんだ。好き勝手やっていいし、嫌なことが起きてもいい」
「なにがいいって言うのよ!」
「悲しいことも困ったことも俺が付き合うから、それでいいでしょ」
少しの間沈黙が続いたかと思うと、笹目先輩は唐突に鉄仮面を取り出した。
「そういうのもうやめろって!」
慌てて間を詰め、腕を差し入れて被るのを阻止する。そこからは取っ組み合いになった。
「離しなさい! 貴方が変なことを言うものだから、今すぐ苦痛を味わわなければいけなくなったのよ!」
「なんだそれ、新しいロジックか? でも本当は俺に止めてほしいんだろ? そうじゃなきゃとっくに鎖でグルグル巻きになってるはずなんだから」
「鉄仮面(コレ)を被らないと鎖は出せないのよ!」
「どういう仕組みだよ! それより次は何に乗るんだ? あー、遊園地楽しいですね!」
「うるさいうるさい!」
言い合いはともかく、力比べは分が悪かった。笹目先輩はとにかく馬鹿力で、俺には競り合いをする体力がない。
必死で揉み合っていると急に笹目先輩の動きが止まった。観念したはずもないので何かと冷静になったところで、手の感覚が妙なことに気付いた。
柔らかい。右手が笹目先輩の胸を掴んでいる。マシュマロのように柔らかい。揉み合ってると思ったら一方的に揉んでいた。
「おぅふ……。着やせするタイプ? そこも縛ってたり――痛い!」
感想を言うと平手打ちを食らわせられた。
「貴方はつくづく……苦痛でしかないわね!」
「なら歓迎してくれよ。いや、これは俺が悪かった。すいません」
頭を下げたところで足元に鉄仮面が落ちていた。
「試合再開だ!」
ひとまず蹴っ飛ばして鉄仮面を遠くへやる。右手の感触がまだ残っているのでもう一度笹目先輩と取っ組み合いをするのは気が進まない。
「あっ! 卑怯者!」
鉄仮面が地面を滑ったその先に、着ぐるみが立っていた。一見してモチーフがわからない、篠岡が持ち込んだ例のブツだ。
「それ隠してくれ! 高いトコには置くなよ、お前の身長じゃタカが知れてるから!」
「いいえ、こっちによこしなさい! こんな男の言うことを聞くもんじゃないわ!」
笹目先輩の両腕をやむを得ず掴んで引き止める。それでも構わずに前へ進もうとするので水上スキーのような体勢になった。踵が擦れて前進しているから恐ろしい。
「くそ! なんて出力だ! 天下取れるぞ!」
そして振り切られてしまった。
こうなったら篠岡に笹目先輩と対決してもらうしかない。篠岡も篠岡で怪力だから期待はできる。
「オイ! その着ぐるみの中でもいいから早く――なんだ?」
篠岡は棒立ちで、周りにいる子供たちが不思議そうに見上げている。様子がおかしい。
「あー……ハイ。なんですか? ワタシ、なんだってがんばりま――」
着ぐるみが人形のように、ばったりと倒れてしまった。弾みで首の部分が脱げて露わになった顔は汗でじっとりと濡れて真っ赤だ。
思えばこの遊園地に来てからどれくらい時間が経っているだろう。別行動をしている間ずっと熱のこもる着ぐるみで動き続けていたとしたら。間違いなく熱中症だ。
「なんてこった。こっちも間違えてたか……。目を離すべきじゃなかったんだ!」
子供たちが喜んでいるからと、軽い気持ちで見過ごしてしまった。
異変に戸惑って足を止めた笹目先輩を追い抜き、篠岡に駆け寄る。背中にチャックを見つけて引きずり出そうとした途中で、気付いた。
篠岡のシャツは汗で濡れて下着が透けている。このまま俺が着ぐるみを脱がすのは支障があった。
「笹目先輩、コイツ日陰に運ぶんで手伝ってください! 香田さんは子供たちを頼む。こっちの組はまだホラーハウスに入ってるから」
大声で指示すると二人とも素直に従ってくれた。
それにしても倒れるまで苦労し続けるなんて、篠岡は一体なにを考えているのか。
(苦労のことしか……頭にないんだろうな)
感じていたよりも、もしかするとコイツは厄介な存在なのかもしれない。そうでなければこんな状態で満足そうに笑っているはずがない。
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