チャプター3 「黒い船」①

 いつ見ても好きになれない男だ。公安警察の恩田は特有の暗いねちっこい目で佐藤を舐め回すように見ている。会議室の中には飯島、及川も同席していた。

 手元に配られた資料を見ながら、佐藤が話す。


 「中核派の老舗じゃないですか。死にかけだったのが、最近の反原発デモと学生でものおかげで大量の若者をオルグすることに成功し、息を吹き返している団体ですよね。とは言っても、おもちゃの飛行船を原発に向けて飛ばしているだけの組織じゃないですか。公安の管轄じゃないんですか? なんでうちに。」


  恩田が苦々しそうに話す。


 「どうも裏にロシアがいるみたいなんだ。今うちの職員が潜入捜査をしていてね、原発に対して巨大なテロを企てている情報が上がってきている。なんせうちにはアメリカの情報が入ってこない。ただ、ロシアから何らかの武器が密輸されるような情報も入ってきている。もしかしたらFSBも絡んでいるかもしれない。」


 「ロシアのメリットは? 」


 飯島が答える。


 「ウクライナのパイプラインが怪しいですからね。日本にもガスを売りたいのでしょう。ただ、北方領土での譲歩はしたくない。もしロシアの関与があるとしたら、そんなところでしょうね。ただ、今の大統領の意向からすると、ロシアの線は考えにくいですね。とにかく我が国でこれ以上原発の事故はあってはいけません。アメリカとの協調はこちらにおまかせください。佐藤くん、あなたも潜入してください。FSBが絡んでいる情報を掴んでください。」


 佐藤が返事をしようとするが、恩田が舌打ちをして話を遮った。


 「内調の佐藤くんがスパイごっこの真似か? 必要ない。内偵はうちの職員でやる。」


 飯島がまたかという苦々しい顔になる。縄張り意識。

 佐藤がなだめるように慇懃に返す。


 「FSBとやりあうなら、我が国の諜報員はみんなスパイごっこじゃないですか。まあ、邪魔にならないようにしますので。飯島さんからの情報は、現場の潜入官に逐一伝えます。」


 「勝手にしろ。ここのアメリカ流とやらが俺は大嫌いだ。」


 及川がパソコンを打つ手を止め、へらへらと笑っている。


 「その大嫌いなアメリカ流からシギントを提供されているのはどこの組織ですかねえ。」


 明らかに憤慨している模様の恩田を見て、飯島がなだめるように話す。


 「とにかく、各省庁の連携がしっかりしてませんと現場が混乱します。恩田さん、我々もしっかりと連携をとってテロを防ぐこと。そのためならうちの職員にはなんでもさせますよ。もちろんモラルの範囲内ですがね。」


 蛇のような目だが少し恩田が笑っているように見えた。


 「法の範囲内と言わないところが飯島さんらしいね。」


 飯島も笑っているように見えたが、こういう時は絶対に笑っていない。


 「我々ほどグレーな公務員は日本には存在しませんからね。」


 まったくだ。と恩田が答え、くれぐれも現場の邪魔はするなよと言い、会議室から出て行った。飯島がため息をつき及川を見る。


 「いちいち、腹を立てたらきりがないですよ。あれでも恩田さんはましな方なんですから。出世じゃなくて、国防のためにちゃんと働いている。それに我々は国内では公安と動かないと何もできません。お互いに持ちつ持たれつやりましょう。」


 及川がまたへらへら笑っている。


 「僕はアメリカの気持ちがわかりますけどねえ。」


 飯島がさらに深いため息をつく。


 「佐藤くん、本人は否定するとは思いますが初期はプロレタリア文学者としての評価が高い松田先生を使ってください。うまくいけばロシアとの接点がつかめるかもしれない。あなたはフリーのweb編集者として動いて、立派にオルグされてくださいね。」


 「戦後民主主義教育の成果を見事発揮させてやりますよ。」


 飯島がまた、ため息をつく。

 及川と佐藤は顔を合わせてニヤリと笑った。


  


 助手席に乗っている松田は、明らかに怒っている様子だった。


 「俺がプロレタリア文学者だと、ふざけるのも大概にしろ。俺は共産主義が大嫌いなんだ。おい佐藤、俺はそんなところに本当に行かなきゃならないのか。」


 「まあ。そう怒らずにいてください。ちなみに山本です。先生は行っていただいて、取材していただくだけで構いません。あとは僕が勝手にオルグされますから。それに正式な執筆の依頼がいっているはずですけどね。現代社会で共産主義に没頭する若者たちというタイトルで。」


 「そこに現れた編集者がお前じゃなければな。仕事も嘘なんだろ。」


 「いえ、本当です。だって先生、今月はまだまだ稼がないといけないでしょ。あ、くれぐれも先生はオルグされないでくださいね。」


 松田が苦々しそうに鼻を鳴らした。

 

 「仕事なら、まあいいだろう。しかしなんだ。おまえのそのちゃらけた格好は」


 web編集者ですから。と答え、近隣の駐車場に車を入れた。 


 杉並区の入り組んだ住宅街の一角に、元は街工場だったような鉄筋コンクリートの三階建てのビルに到着した。そこが町工場と違った様相なのは、異常なまでの数の防犯カメラが設置され、入り口は固く補強され簡単には入れないようになっている。


 「坂本という男がいます。彼が公安の潜入捜査官です。わかっているとは思いますが、変に意識しないでください。あと宮内という男がいます。共産党二世で実質のリーダーです。二十代半ばですがかなりのやり手とのことです。」


 鉄製のドアの横のインターフォンを押すと、ぶっきらぼうに返事が返ってきた。


 「すみませーん、取材の依頼をさせていただきました山本と申しまーす。作家の松田豊先生とお伺いさせていただきましたー。」


 佐藤のいかにもな喋り方に松田は吹き出しそうになったが、肘で小わきを突かれ、せきばらいでごまかした。

 鉄の扉が開くと、いかにも現代の若者といった感じの男が迎え入れた。


 「すみません、普通の格好で驚かれたと思いますが、僕らも現代の若者です。ようこそおいでくださいました。私、書記長の宮内と申します。松田先生ようこそおいでくださいました。会議室までご案内いたします。」


 意外にも、工場内は独特なフォントのスローガンであったり、ヘルメットやゲバ棒のようなものは見当たらない。佐藤がキョロキョロと見回していると、宮内が気づいたようだ。


 「驚かれますよね、普通の左翼のイメージとは違いますよね。室内の写真は私が同行している時は撮っていただいて構いませんよ。僕は左翼のイメージを変えたいのです。古臭いスローガンとか、70年代のイメージは我々にとって害悪でしかありません。労働者がきちんとした格好をすることが、私はブルジョワとは思いません。」


 「しかし、暴力革命は肯定しているわけですよねえ。」


 宮内がにっこりと笑った。


 「国家が暴力を持って支配をするなら、我々も暴力で対抗するしかありません。国家が我々を縛り付けるなら、我々は国家を否定します。第四インターナショナルは今も世界の同志たちと、その時を実現するために戦っています。」


 「日本の第四インターナショナルは、活動を停止していると思いましたが。」


 「さすが編集者ですね。山本さんはお詳しい。あれはまがいものでした。今はここが、第四、いや第五インターナショナルと言うべきかな。」


 「なるほど、徹底した反帝国主義なんですね。」


 「どちらかというと私はアルテルモンディアリストですね。世界を見てください。たった70年で世界はどうなりました? 日本はどうなっていますか? 今こそ世界中が手を取り合うべきです。」


 「確かに、きな臭い世界になっていっているのは間違いないことのように思えますねえ。また、そこらへんの話を松田先生との対話でお聞かせ願えればと。」


 すみません熱くなってしまいました。と宮内は顔を赤らめ、会議室に二人を案内した。やはりこちらもステレオタイプの左翼の部屋という感じではなく、どちらかというと、質素だが洗練されているような雰囲気だ。パソコン類の機材が多く、若者たちが和気あいあいと中央に置いてあるソファーで話している。旧来の左翼のイメージとはやはり違う。


 「皆、松田先生と編集の山本さんです。これから取材があると思うけど、いつもと変わらないように頼むよ。あと坂本くんちょっといいかな? できたらお二人の面倒を見てもらえないかな、これからスカイプで打ち合わせをしなきゃいけないんだ。」


 坂本が笑顔で二人に挨拶をする。さすが公安だ。しっかりと溶け込み、信頼も得ているようだ。


 「ロシア語話せるのは宮内さんだけですもんね。」


 坂本もロシア語ができるはずだ。ただ、スカイプでの打ち合わせであれば重要な話でもないだろう。


 ロシアとも関係が? と佐藤が聞くと宮内は、ロシアの最大野党は共産党ですよ。と笑顔で返した。


 「しかし、これが今時の左翼か。随分変わるもんだな。」


 松田が感慨深そうに呟いた。


 「先生、取材のしがいがありますねえ。ぜひ若者たちとお話をしてきてください。僕は色々と写真をとらさせていただきます。かまいませんよね、坂本さん。」


 「はい、最終的にチェックだけはさせていただければと。」


 ICレコーダーを渡し、佐藤は適当に写真を撮り始める。

 松田は若者たちに向かい、話を始める。


 「若い人たちしか見当たらないですが、他のご年配の活動家の方たちはいらっしゃってないのですか? 」


 「宮内さんの急進的なやり方が、居心地が悪いみたいで。今はあんまり来られません。ただ、思想には共感いただいてまして、後方支援、カンパなどをしに来られますよ。なんといっても対警察に対しては彼らのノウハウがなければ一網打尽ですね。国家権力は非常に横暴ですから。」


 本当に公安の人間かと疑うくらい、坂本の演技は完璧だ。しかし、この組織が本当にテロを計画しているのだろうか。宮内も過激な思想に進むような男には見えない。


 「これって、webの記事になるんですよね? 私、山本さんのサイトよく見てますよ。」


 学生くらいの若い女が話しかけてきた。山本という記者がいるのは本当だし、webも存在しているが、ただ、運営しているのは及川だ。もちろんオタク界隈では人気のwebサイトだ。


 「ありがとうございます。記事にしがいがあるな。まさかこんなに変化が起きているなんてびっくりしたよ。」


 「私も最初は、民主主義デモから活動に入ったんですけど、宮内さんと出会ってから、なんだろう、世界はこのままじゃいけないって気になって。」


 彼女は利用のしがいがありそうだと佐藤は思った。


 「わかる気がするよ。僕もジャーナリストの端くれだからねえ。もうちょっとみんなの話が聞きたいな。坂本さんどうだろう。この後みんなで飲みにでも行かないか? 」


 「それはいいですねえ。行きますか。麻里ちゃんも行く? 」


 坂本が笑顔で答える。やったー行きたーい。と女も嬉しそうだ。


 「何やら面白そうな展開になってますね。もちろん私も連れて行っていただけるんでしょうね? 」


 スカイプを終えた宮内が、会話に入ってきた。


 「宮内さん、ずいぶん早かったですね。」


 「大したことのない話でしたし、松田先生とも話がしたかったもので。差し支えなければ先生もお誘いしたいと思いますが。」


 「申し訳ないです。先生この後予定が入ってまして、今日のところは僕だけで勘弁してください。ねえ先生。」


 松田と目配せをする。


 「それは残念ですが、仕方がないですね。では店はこちらで手配させていただきますね。この界隈はおもしろい、というよりも怪しい飲み屋さんがあっておもしろいですよ。」


 それはありがたい。と佐藤は答えた。


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