「亡霊」②

 松田は興味深そうに、部屋の中を見回した。

 扉が開いて、車椅子に乗った白衣、袴の小柄な老人が、やけに無表情の男に押されて入ってきた。目はつぶっているように見えた。

 かっと目を見開いたかと思ったら、佐藤を怒鳴りつけた。


 「佐藤! もっと顔出しに来んか。高杉はもっと顔出しおったぞ。」


 佐藤がいんぎんに返す。

 

 「宮司さん。申し訳ございません。最近宮司さんの監視が増えましてね。あまり顔を出すと私も困るのです。」


 「嘘をつけ、堂々とタクシーで乗り込んで来おってからに。わしの監視は、わしが今新宿にいると思っておることを知っとるだろうが。まあいい、おい清川、日本酒持ってこいや。」


 三十代半ばに見える清川と呼ばれた男は無言で頷き、猫のように扉から消えていった。しばらくすると一升瓶とコップが運ばれてきた。


 宮司が佐藤にコップを渡し、日本酒にしては大きいコップになみなみと注いだ。

 

 「飲めや。」


 いただきますと、佐藤は一気に飲み干した。おっおっおっおっと、まるでアシカのように宮司が高笑いをして、また佐藤のコップに日本酒を注ぎ、松田の方を見た。目が会うとその老齢に反して目の奥がギラギラと燃え盛っているようだ。松田は思わず目をそらしそうになった。


 「お前も飲め。」


 コップを渡され、またなみなみと日本酒を注いだ。松田も佐藤に見習って一気に飲み干すと、宮司はまた同じように笑った。


 「おい、ひよっこ作家。お前はなんで呼ばれたかわかっとるのか? 」


 「皆目見当もつきません。」


 「中国はどうだった? 」


 「最悪でしたね。もう二度と行きたくないと思いました。」


 また宮司が高笑いをする。そして、おいあれを持ってこいと、清川に指示を出した。すると清川が本棚から一冊の本を取り出して松田に渡した。古事記と書かれていた。佐藤がハッとした顔をして宮司に話しかけようとしたが、遮られた。


 「作家なんだから古事記ぐらいは知っとるな。」


 少し困惑したが、関連する本を何冊かは読んだことがある。

 

 「はい、もちろん専門ではないですが。」


 「ヤマタノオロチの話は知っとるな。」


 「はい。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する話ですよね。有名ですのでもちろん知ってます。」


 「戦争の話だ。民族対民族のな。」


 佐藤が話を遮ろうとする。


 「宮司、何を話す気ですか? 」


 「お前は黙っとれ。」


 「しかし。」


 「ひよっこ作家。お前が中国で経験したアレも戦争だ。世界は懲りもせず、第三次世界大戦をもうやろうとしとるのだ。」


 あの時の感情が蘇る。陰鬱で、抗えない、内臓が腐っていくような感情。そして高揚感、生きているという感情。


 「ところでホッブスのリヴァイアサン論は知っとるか? 」


 「はい。国家が主権を持って、王政で支配することのような論だったような。」


 「まあ、そんなところだ。大東亜戦争から72年、世界は民主主義と平和、グローバリズムを掲げておったがな、世界を見てみろ。アメリカは反グローバリズムを掲げる大統領が誕生し、イギリスはEUを脱退、イスラム教はかつての王朝を復権しようとしておる。我が国も憲法改正をして軍隊を持ち、核武装論も出ておるわな。新しい帝国主義。リヴァイアサンが息を吹き返しとるのではないか? 」


 「確かに、そう感じることはありますね。でもそれが俺に何の関係が? 」


 高野宮司の言葉に力がこもる。

 

 「新しい世界秩序を作ろうとしとる輩がおってな。オロチのように繋がった、何頭かのリヴァイアサンが賛同しておる。高度な社会主義を掲げておってな。神のもと人類は平等に暮らそうという思想じゃ。まず、排除されるのが啓典の民ではないキリスト、イスラム、ユダヤを信仰しない人間。立憲君主国。とりあえずそこから世界を再スタートさせようとしておる。」


 松田は信じられないといった顔だ。


 「そんな陰謀論みたいな話、信じられませんよ。」


 宮司が構わず話を続ける。佐藤は下をうつむいている。

 

 「そのオロチどもはな、日本を再軍備、核保有国にして、中国と戦争を起こさせようとしている。第三次世界大戦の火花はアジアで起こすべきだとな。そして唯一の被爆国が核スイッチを押したら喜ぶ国がおるなあ。」


 「そんな人道を無視したことが起こりうる訳がありません。」


 宮司がおい、と清川に言うと、壁の隠し金庫から、血まみれの封筒を取り出した。


 「オペレーション ”W・N・O” スメラミコトの為に、女王がプレゼントをくれたのだ。こいつの上司の高杉はイギリスの二重スパイでな。死んでしまったがな。高杉も。」


 少し泣いているように見えた。感情の豊かな男だ。

 殺されたんですよ。あの時のような冷徹な声で佐藤が言った。


 「ヤマタノオロチは退治せんといけんのだ。わしは平和主義者ではないが、国粋主義者だ。こんな勝手を許しては死ねん。」


 「しかし、そんなことを日本の政治家が許すんですか? 」


 「美しい国とか言って浮かれている連中か? 敵がアメリカだとしたら我が国に何ができる? 」


 未だに信じることができないが、これが本当だったとすると寒気がした。憲法改正、集団的自衛権の施工が自営ではなく、戦争をさせられるために作られたものだとしたら。


 「この物語を見て書け、松田。お前は作家としてはひよっこだがまあまあだ。」


 佐藤が慌てたように阻止する。


 「宮司さん、ダメです。飯島さんから書かせるなと言われたばかりですから。命の保証もできません。というよりも死ねと言っているようなものです。民間人ですよ。」


 「誰も世に出せと言っとるわけではない。残すんだ松田、この国の物語を。神武以来のこの国が、本当に滅亡の危機にある。」


 宮司の目からは涙が溢れていた。しかし話が大きすぎてついていけない。しかし、自分に何ができると問いかけた。メイファンの顔が浮かんだ。笑っていた。そして、彼女はこの国にいるという。守らなければ。


 「女のためか。悪くない。」


 なぜ分かったのかはわからないが、宮司がまたおっおっおっおっおっと高らかに笑った。


 「今日は、もうええ、帰れ。わしゃもう寝るぞ。清川。」


 清川がお辞儀をして、宮司の車椅子を押し始めた。


 「宮司さん、佐久間は、彼女はどうですか? 」


 宮司を呼び止めた佐藤の顔を見て驚いた。この男がこんなに暗い目をするのかと、松田は思った。


 「まだ、時間が要りそうだ。」


 「そう、ですか。」


 大日本帝国の亡霊はお付きの幽霊のような男とともに部屋を出て行った。

 

 タクシーの中は無言だった。

 松田は居心地の悪い空気をぬぐい去ろうと思ったが、どうにも会話のきっかけが見つからない。ああ、酒が飲みたい。とつぶやいた。


 「悪くないですね、それ。行きましょう。でも、くれぐれも話す内容は気をつけて下さいね。」


 「わかってるよ。でも、大丈夫なのか? 」


 先ほどの話を聞いて、監視されていないかどうか、二人でおおっぴらに会って大丈夫なのかと色々心配になってしまった。


 「僕も先生も、そんなに大物じゃないですよ。」


 「それもそうだ。俺の行きつけの店でいいか? 」


 「大塚のですか、いいですよ。」


 松田がなんでわかるんだという顔で佐藤を見た。

 

 「くそったれが。」


 佐藤がニヤリと笑った。以外と愛嬌のある男なのかもしれないと思った。

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