チャプター2 「亡霊」①

 「ちゃんと元気でやってるの? あんた全然連絡してこないからお母さん心配になっちゃう。」


 「ごめん母さん。ずっと中国出張で忙しかったんだ。」


 「今年の盆は帰ってこれるの? おばあちゃんが信雄に会いたいって」


 生活必需品以外ほとんど何もない無機質な部屋のベッドに佐藤は座っている。


 「本当に忙しいんだ。何とかどこかでタイミングを見つけて帰るようにするから。」


 「あんた公務員なのに、まともな休みもないなんて」


 電話の向こうからため息が聞こえる。


 「で、あんたそろそろいい人は見つかったの? 佐久間さん、だっけ? 別れちゃったんでしょ。」


 その名前を聞くたびに、心に激痛が走る。

 守れなかった女。


 「まあいいわ、またおばあちゃんのお米送っておくから、ちゃんと自炊もするのよ。」


 「わかったよ。ごめん母さん、これからまた仕事なんだ。切るよ。」


 携帯電話をスーツの胸ポケットにしまい、佐藤はキッチンに向かった。棚からコップを取り出し、水道の蛇口をひねって水を一気に飲み干した。

 心が揺れてはいけない。恩師からの言葉をなんども心の中で反芻し、西日が強く差し込む、何もない空虚な部屋から出た。


 


 東京都千代田区永田町。

 6階にあるオフィス。内閣情報調査室、通称サイロ

 アメリカ人が心地いいオフィスへをスローガンに、情報官飯島の指示の元、無駄におしゃれな作りになっている。まるでシリコンバレーのIT企業のようだ。東アジア担当の部署だけが、異様な殺気を放っている。ミサイルの情報がうまくいっていないようだ。佐藤は自分のデスクに座ると、松田に関する資料をめくった。どうしても好きになれなかった。メイファンは松田の著作に救われたと言っていた。だが、もしメイファンが松田のファンクラブサイトを立ち上げなければ、彼女にはあんな不幸は降り注がなかっただろう。

 もともと、芸術というものが全くわからないから、知る必要もないし、孤独だなんだというものをだらだら書いているような、独りよがりの弱い人間には全く興味が湧かないばかりか、嫌悪感すら覚える。

 しかし、使える。あの男は世界中どこに行っても怪しまれない。特に要人にファンが多いから、ぽろっと機密を聞き出せるかもしれない。そして、しかるべき誰かをつけても秘書か編集者だと言えば怪しまれない。


 不意に肩を叩かれた。後ろを振り返ると、及川がいつものにやけ顏で立っている。手にはパソコンを抱えている。片時も離すことはない。


 「飯島さんがお呼びだよ。また、なんかやったの? ねえ、聞いてよマリちゃんの二足歩行が完璧にできたんだ。終わったら見に来て。AI機能を進化させたからお話もできるよ〜。」


 情報処理の天才児は、その腕だけでサイロにリクルートされた男だ。民間初の起用で、表向きは契約社員だ。各省庁のシギントをうまくつなげている男だ。主義主張もなく、パソコンで面白いことをしたり、発明をすることだけが生きがいだけなので、妙に人気がある。お気に入りのアニメのフィギュアを動かすことに今は情熱を傾けているらしい。


 「お前じゃないんだ。わかった。時間があったら見に行く。」


 オフィスの一番奥にある、ミーティングルームに入ると飯島がいた。英語で誰かと電話をしている。佐藤に気がつくと少し待てというジェスチャーをした。


 「すみませんね佐藤くん。アメリカの上司からでした。困ったものですよ。まったく。日本の警察組織は本当にアメリカに嫌われてますからね、また、あのFBIのようなクソ野郎どもって言ってましたよ。まあ、そのおかげで我々の存在意義があることも確かですけれども。」


 苦々しい顔で飯島が言った。アメリカの上司とはCIAを指す言葉だ。まるで部下のようにサイロを使うことからそう呼ばれている。


 「どうでした、松田先生は?」


 白髪混じりのどこか職人を連想される初老の男は、狡猾な目で佐藤を見つめた。使えるか、使えないか。そういうことだ。


 「使えると思います。正義感の強い男でした。そこをうまく操れば、いい協力者になるともいます。」


 「くれぐれも書かせないでくださいね。」


 飯島の目がギラリと光る。サイロの抜本を変えた男。そして、狡猾にCIAとやり取りができるほどの腕のある男だが、中間管理職の哀愁もある。


 「わかりました。用件はそれだけですか?」


 飯島が困った顔をした。


 「宮司がね、松田先生を連れて来いとのことです。」


 佐藤はため息をついた。

 

「まったく、あの爺さんはいつもどこから情報を掴むんですかね?」


 飯島の顔が余計に苦々しくなる。

 

 「あれはもう妖怪の類だと思った方が気が楽かもしれませんね。」


 「まったくです。」


  しばらくの沈黙がオフィスに流れた。


 オフィスに戻ると、及川が奇妙にうねるフィギアを持って、どうだという顔をして待っていた。

 

 「なんだその気持ち悪いのは? 」


 「君は本当に芸術というものを理解しない男だ。ねえマリたん。」


 アニメの声優を模した声でフィギュアが喋る。


 「佐藤さんは芸術のなんたるかを理解してないですぅ。」


 無視をして出ようとすると、及川が急に真面目な顔になった。


 「宮司のところ行くんだろ。佐久間いるかな。」


 佐藤の目が暗くなったのを見て、及川が慌てて謝った。


 「まだ、引きずってるんだね。ごめん。」


 「気にするな。」


 及川がまた申し訳なさそうに、ごめん。とつぶやいた。


 



 3コールで松田が電話に出た。あれ以来会っていない。メイファンの件はフィルムの引き渡しを条件として、6がうまく処理をしている。松田の部屋を出た後、家で強盗に殺されていることになっているはずだ。フィルムも、松田の体液もそこには残されていないはずだ。

 我々もやっていることは変わらないな。と佐藤はため息をついた。身がわりの死体を6はどうやって手に入れたのだろうか。


 「佐藤か、メイファンは無事なのか? 」


 「ええ、無事です。今は日本のある地方にいらっしゃいます。残念ながら場所をお伝えることはできません。」


 あの後、病気を理由にすぐ帰国した松田だったが、安否の連絡を向こうからしなかったということは、まだこちらを信用していないのだろう。


 「本当だな、信じていいんだな。」


 「写真くらいなら、お送りすることができるかもしれません。確認してみます。」


 「わかった。写真を見せてくれたら信用しよう。で、何の用だ。」


 松田の声に緊張が走る。


 「会って頂きたい人がいます。今から出ることはできますか? 」


 「今からか、ちょうど夕飯を食べようと思っていたところだ。」


 「わかりました。一時間後に新宿にお迎えにあがります。」


  電話越しにも、絶句しているのがわかった。


 「俺はまだ監視されているのか?」


 「携帯だけですけどね。」


 「気に食わん。」

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