第七話 〇〇との出会い

「――成功だ」

 そこは滝つぼから少し離れたところにある河原だった。

 巨石が所々に林立する光景はとても幻想的だ。

「場所も指定できるのか」

 空を見上げれば遙か先に滝の始まりが見える。

 今日は曇天のようで日の光は弱かった。

「しかし、水飛沫がすごいな」

 本当は叫びたいほど嬉しいのだがまた狼に見つかってはたまらない。

 滝の息吹を感じつつ八皇は移動を始めた。


 川沿いをしばらく進んでいくと遠くに煙が見えた。

 細くたなびくその白煙は火を熾す何者かがいることを示している。

「人であればいいんだが」

 出来れば意思疎通の出来る相手であってくれと願いながら、慎重に煙の昇る方角へと歩を進めていった。


「キャァーーーッ!!!」

 大分煙の元に近づいた頃、突然そんな悲鳴が聞こえた。

 それは幼い女の子の声。急いで現場へ向かう。

(幼女……もとい少女を守るのは紳士の義務だ!)

 そんなどうでも良い思考で悲鳴の上がった方へと駆けていく。


 現場に着いた八皇が目にしたのはまさに戦場だった。

 小さな集落なのだろう。丸太で作った簡素な外壁の一部は壊され、その先に戦士が倒れ伏している。

 筋骨隆々の男だ。程よく焼けた肌に青い髪。羽の髪飾りを着け、手には無骨な槍を持っていた。その姿はまさに戦士だ。

 しかし、胸に開けられた大穴が既に彼が事切れていることを示していた。流れ出した血が大地を赤黒く染めていく。

「ギギィッ」

 そしてその先に大きな猿がいた。

――ドスンッドスンッ!

 歩くだけで地面が揺れる。大きさはあの大狼と同じくらいはあるだろう。

 隆起する筋肉の逞しさは倒れ伏す戦士と比べるのも馬鹿らしいくらいに暴力的だ。

 白目のない赤黒い瞳に理性の光はない。

 その大猿を数人の戦士たちが囲んでいる。傷だらけで満身創痍の彼らの手に持つ細槍は半ばから折れていた。装備に差があるのは殺された男がリーダーだったからだろう。


「――――っ! ―――――っ!」

 大猿から距離を取る戦士達の間から幼い少女が叫び声を上げ飛び出してきた。どうやら周りの静止を振り切ったらしい。

 蒼い髪に同色の瞳、肌は抜けるように白く、手足はすらっとした将来性を感じさせる美幼女だ。

「―――ッ!」

 周りの戦士が叫ぶ中、大猿の足元へ転がる死体へと縋りつく。

「―――――っ!!!」

 父親なのだろうか。幼女が叫ぶも男は返事をしない。

 大猿は幼女に向けてその大きな拳を振り上げた。

「ギギッ」

 その瞬間、大猿の表情は愉悦に染まっていた。


 ――プツンッ。


 八皇の中で何かが切れる。

「貴様ァッ!!!」

 喉が引きちぎれんばかりに叫ぶと敵に突貫する。

 普段ならその威圧感に怯えて立ちすくむだけだっただろう。

(幼女に手を出すやつはどんな相手だろうが敵だァァァァッ!!!)

 だが今回は違った。守り育てるべき存在である幼女に手を出した事もそうだが、父親の骸の前で子どもを殺そうとするなど八皇の道徳心が許さなかった。

 

 その強い思いに反応したのか腕に着けたブレスレットが眩い輝きを放つ。

 そしてその輝きは八皇の身体を覆っていった。

 湧きあがる高揚感に任せ腰に着けたグルカナイフを引き抜くと、一瞬で大猿の懐に飛び込む。

 そしてその太い腕を一太刀で切り飛ばした。八皇に切った感触など殆どない。

 腕は放物線を描き遠くの広場に落ちる。

 大猿は理解できなかったのか一瞬固まると、振り上げていた腕に視線を向けた。

 そこには定規で引いたような綺麗な切断面が見える。太い血管から血が噴き出す。

「おおあぁぁぁぁっぁぁぁっぁ!!!!!」

 大猿は叫ぶと傷口を押さえて転げ回る。

 その間に死体と幼女を連れて離れる八皇。


「大丈夫?」

 そう幼女に声を掛けると

「――」

 泣き顔をほけーっと晒しながら幼女は返事をした。

「ちょっとここで待っててね。クズを殺してくるから」

 八皇はそう言うと、まだ転げ回っている猿へと歩き出す。

「っ……」

 幼女は声を掛けようと思ったが出なかった。

 八皇から溢れ出す圧力と殺気が声を掛けることを躊躇わせた。

「おいクソ猿」

 巨体の目の前まで来た八皇は冷めた目をしている。

 大猿は八皇に気づきもせずにただただ痛みに耐えている。

「よくも手を出したな」

 胸に穴を開けられた男の顔は絶望に歪んでいた。

 無念だったのだろう。

「よくも悲しませたな」

 身体を覆う輝きが増してゆく。

「貴様は殺す!」


 八皇の鬼の如きその表情は炎を背負う不動明王のようで。

 その尋常ならざる気配に気付いたのだろう。顔を歪ませた猿はようやく八皇に視線を向けた。

「死ね」

 だが時既に遅し。

 八皇はグルカナイフを勢いよく振り下ろした。

 音はない。ただナイフの軌跡に沿って光が奔る。


 ――一瞬の静寂。


 ズシーーンッ。

 惚けたまま固まった大猿は二つに分かれ倒れていった。

「……ふぅ」

 大猿の最期を確認すると、八皇は一つ息を吐いた。



 その姿は流れ星だった。

 夜空に流れるほうき星。

 いつも見上げるばかりだったお星様がついに目の前に現れたのだと思った。

(すごい……)

 その輝きが幼女の心に希望を与える。

 お星様は一瞬で大猿の腕を切り飛ばした。

 お父さんが立ち向かっても勝てなかった魔獣。

 幼女の目にその瞬間は見えなかったが、確かに切り飛ばしたのだ。

 大猿は反撃されるとは思っていなかったのか、傷口を押さえて転げ回る。

 あれだけ余裕そうに私達に襲いかかってきたのに。

(すごいっ……)

 お星様は私たちを抱え猿から離れると

「――?」

 私たちの知らない言葉で何かを言った。

「うん」

 多分「大丈夫?」って聞いたんだと思う。

 なんとなくだけど、心配する様子が伝わってきた。

「――――」

 それからお星様は再び私達に言葉をかけると大猿に向かって歩き始める。

「……っ」

 私は「危ないです」って言おうとしたけどできなかった。

 お星様が本気で怒っているのが分かったから――。


 ほんの一瞬の出来事だった。

 ただ剣を振り下ろす。

 それだけで大猿は死んだ。それも真っ二つになって。

 信じられなかった。目の前で起こった出来事が。それでも助かったことだけは分かる。

 そしてお父さんが死んだことも。

冷たくなってゆく身体を抱きしめながら私は声を殺して泣いた。



(困ったことになった)

 大猿を斬った俺は緊張感から解放されながら幼女達の元へと戻る。

 そこには父親の死体に縋り付いて泣く幼女の姿があった。

 どう慰めてあげたら良いのか分からない。

「幼女よ」

(あ、間違えた)

 幼女は気付かなかったのか泣き続けている。

「そこの少女よ」

 肩をぽんっ優しく叩いて気付かせる。

 一瞬ビクッとなった幼女だが顔を上げると再び泣き出す。

「~~~~~っ」

(どうしたものか)

 対応策が巡っては消えていく。

(生き返らせることは出来ない)

 考えた末にたどり着いたのは祈ることだった。丁度、数珠のようなものもある。

 手首からブレスレットを外すとそれを持って手を合わせる。

 幼女はただただ泣き続けている。

「どうか安らかに」

 眼を瞑り心から祈る。


 どれだけそうしていただろうか。

 気付けば合わせた手から温かな光が零れだしていた。それは光の粒となって天地を優しく照らし始める。

「っ」

 泣き続けている幼女も祈り続ける八皇もまだ気付かない。

 だが周りの兵士たちはそれに気付くと、その光景を驚きの表情で見ていた。

 八皇は願う。そしてまぶたの裏に見た。幼女と父親が幸せに過ごす日常を。共に輝ける姿を。

「どうか――」

 地に落ちる光の粒は幼女の父親の身体を優しく包んでいく。

 空に昇る光は雲を割るとその影を退けていった。

 天と地を繋ぐ光の柱。後に『光の奇跡』と呼ばれる光景がそこにはあった。


 周りが明るいことに気付いた幼女は顔を上げると、そこにこの世の奇跡を見た。

「――っ」

 固まったまま言葉が出ない。美しいと素直に思えた。

 最後に光の粒が一際輝いたかと思うと、次の瞬間その光景は嘘のように消えていった。

「さあこれで大丈夫だ」

 祈り終えた八皇はそう言って眼を開けた。

 視界に映るのは驚きで泣き止んだ幼女と穴の塞がった父親の姿。

「あ、あれ?」

 その胸はきちんと上下している。どうやら生きているようだ。

「この世界の人間はあんな怪我でも治るのか?」

 それにしては幼女の悲しみ方は異常だった。あれは大切な人が亡くなった時の反応だ。

 八皇が訳もわからず目を瞬かせていると、幼女は赤くなった目をこすり涙声で言った。

「――――っ」

 八皇には何と言っているのかわからなかったが

「どういたしまして」

 そう返すのが正解だと思った。

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