第六話 再び

 あの日からどのくらい過ぎただろうか。

 例のブレスレットは棚に飾ったままだ。

 本当に移動の原因がそれかは分からないが、検証するにはまだ心の傷が癒えていない。

 それに大狼に見つかれば今度こそ殺されるかもしれない。そう考えると踏み出すことは出来なかった――と考えるだろう普通は。


「ただいまーっと」

 寂れたアパートに仕事を終えて帰る。

 少し前までは当たり前だったその行為。今ではとても大切なもののように感じる。

「準備はできた」

 いつものように食事とシャワーを終えた八皇は、普段着に着替えると準備しておいた道具達を床に並べた。

 綺麗に並べられたそれらはナイフであったり防刃ベストであったりと、趣味にしては物々しい品ばかりだ。

「後は試すだけだな」

 そう、八皇はもう一度あの世界に行くつもりなのだ。


「あれから考えた」

 あの場所は一体何なのだろうか。

 ネットや図鑑などで調べたが同じような水晶や生き物の記載はなかった。

 知識不足かとも思っていたのだが、逆立ちしてもあんな物は地球上には存在しないことが分かってしまった。

「つまりは、だ」

 あの場所はほぼ間違いなく。

「異世界だ」

 そう結論づけた。

 よく書籍やアニメで描かれるもの。

 身近な物でありながら自分達の生活からは最も遠い場所。

「そう、異世界なんだ」


 地球では叶わなかった。

 どれだけ願っても手に入れることが出来なかった。

『大切な存在』

 異世界でならそれが叶うかもしれない。

 人間みたいな種族はいないかもしれない。言葉が通じることはないだろう。

 それでも行き詰まったこの世界よりは希望があった。

 人でなくてもいい。言葉は勉強すればいい。

 互いが想い合える関係が築ければそれで十分だ。


 八皇は真剣な表情で棚からブレスレットを取り出すと装備品の中心に置く。

「恐らく移動の鍵はこれだ」

 室内灯の輝きを反射する様はやはり美しい。

「身に着けて撫でる」

 それが移動の条件――だと思う。

 ただの接触だけなら何度もあった。

 最初に飾ったときなんかもそうだし、作る際には腕に巻いてもいる。

 だが身に着けて撫でるのはあの時が初めてだった。

「あとは出現場所がどこになるか」

 前回の続きからだと確実に死ぬ。

 絶賛ダイブ中なのだ。八皇でもパラシュートだけは準備していなかった。

 そもそも値段が高すぎる。それに訓練も出来ない。

「もし、ある程度場所が指定できるのなら」

 思い描いた場所に行けるのであれば。

「飛び降りた先が良い」

 滝が流れ落ちた先の河原。あそこならあの大狼もいないと思う。

 ――近くに別のがいたらお終いだが。

 それに最初に出た水晶の広場に跳ぶ可能性もある。


「考えても仕方ない、か」

 防刃ベストやプロテクターを素早く身につけていく。

 異世界へ行くまでサバイバルの経験はなかった。

 しかし目標を定め、本気で挑めば習得はそう難しくない。

 時間はどうにか捻出した。装備を揃えるお金は貯蓄を切り崩した。

 人間やろうと思えば案外何でもできるのだな、とこの時気付いた。

「やる気が大事っと」

 火打ち石や警棒、グルカナイフ等を腰に差していく。役に立つかは分からないが投げナイフなども購入しておいた。何かあったときの牽制くらいにはなるかもしれない。

 バッグ等の荷物は持って行かない。身につけられる物だけで向かうのは長居をしないつもりだからだ。

 あんなところで夜を越そうなどとは思わない。

 ある程度探索したらこちらに戻るつもりだ。何事もやり過ぎは良くないと経験から学んでいる。


「よし、準備オッケー」

 装備を粗方身につけた八皇は最後にブレスレットを腕に通す。

 あの日と同じ感覚に浸りながら

「行ってきます」

 異世界を思い浮かべ、ブレスレットを撫でた。

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