ある晴れた日に 6

 月の箱舟の前幹部であったヴァルトルートとエルザには、残りひとつだった屋敷の一室を貸し出すことにした。二人は社会に復帰するために、ロンドン市内にある喫茶店で働くことになった。エルザの言葉を直すことから始まって、山より高かったヴァルトルートのプライドを崩す目的もあった。放っておけば二人ともいつ自殺するか分からない。だから、常にシリウスの妻であるネイスが付いて回っていた。城のシリンであるエルザは、他のペル・シリンである家のテンや本のティーナに歓迎され、少しずつ屋敷の人間に心を開いていった。

 三人は、皆から姿を隠して、誰もいないロビーで話し合いをしていた。

「エルザ、マルスからは姿隠していたほうがいいよ。あいつ見境ないから。エルザけっこうかわいいから狙われるって絶対。フリーでしょ?」

 ティーナがそうアドバイスをすると、エルザは悲しそうに首を横に振った。

「マルスは火星のシリンで力も強いから、隠れても見つかっちゃうよ」

「じゃあ、近づかないのが一番か。幸いマルスはいま、ラウラと浩然で手一杯だから、女ひっかける余裕なさそうだしね」

 テンが腕組みをしてアドバイスをし直すと、二人はそのまま考えこんでしまった。

「ねえエルザ、反対にあんた、気になっている男子いるの?」

 テンはその辺に置いてあったお菓子をぼりぼり言わせて食べている。つまみ食いだ。

 すると、エルザは少し寂しそうな顔をした。

「まだ、そう言うのよく分からないの。この屋敷の男性をすべて見たわけではないし、今は仕事で手一杯だから。前の私を治すだけでも大変なの。ヴァルトルートはきっと、もっと大変」

「そっかあ。それじゃ仕方ないね。なんだかエルザもフクザツな立場だね」

 今までふわふわと浮いていたティーナが、エルザの肩に降り立った。そして何かを耳打ちすると、エルザは顔を真っ赤にした。

「それは、そうだけど、でもティーナ、私自信ないな」

「大丈夫よエルザ! 言うだけならタダなんだからさ、玉砕覚悟で!」

「う、うん。でもすこし、考えさせて」

 エルザの返事に、満足はしなかったものの納得をしたティーナは、彼女から離れていった。そこへ、誰かがやってきた。三人は姿を消したままそそくさと逃げていった。

 どのみち、シリンには姿を消しても見えてしまうのだが、消さないよりはましだった。

 やってきたのは、クチャナとクエナ、そしてワマンだった。

 三人はソファーに腰かけると、キッチンにいた瑞希に頼んでお茶を淹れてもらうことにした。瑞希や芳江は、他に用でもない限りキッチンで自分の好きなことをしている時間が多かった。イーグニスやマルコもしょっちゅうキッチンで仕込みをしていた。

「あれ、なんかソファーが温かい」

 最初に座ったワマンが、ソファーに触れて呟いた。

「おおかたペル・シリンでもいたのだろう。お茶が冷めてはいけないから、来る前に話を済ませてしまおう」

 クチャナはそう言って、物陰に隠れているティーナたちを見て笑った。ティーナたちはびくりとして、その場を去っていった。

「クチャナ、おれは故郷には帰れない。君がここにいると決めた以上はここにいたいし、それに、あのように変わり果てた故郷をみるのもしのびない。それは許してもらえるのだろうか」

 ワマンは、すがるような目でクチャナを見た。そんなワマンにクチャナは微笑みかけた。

「アースが、お前から渡航者の能力を奪わなかった時点で、私はそう決めていたよ」

 そう言って、クチャナはワマンに右手を差し出した。

「私は戦士だ。まあ、ペルーでは観光ガイドをして稼いではいるが、戦士としての自分を忘れたことはない。そんな私でもいいなら、これからもよろしく頼む」

 ワマンは、そう言って笑いかけてくれるクチャナの手を取り、泣きながら握りしめた。そこにお茶が来て、瑞希が笑いながら去っていった。

 瑞希はなぜ笑っていたのだろう。おかしく思ってみてみると、お茶が二人分余計においてある。周りを見渡すと、クチャナの隣には小学生くらいの少女が座っていた。ラウラだ。彼女はものをすり抜ける能力のほかに、自分の体の成長を早める能力も持っていた。ただ、後者は輝によって戻されてしまったため、いまは元の姿である少女になっていた。

 もう一人はワマンの隣にいた。浩然だった。

「ラウラちゃん、浩然君」

 嬉しそうに手を合わせたのは、クエナだった。自分と同じくらいの年ごろの姿をしたシリンが少ないので、この二人の登場には特別な感情があったのだろう。

 ラウラは照れながら、足をぶらぶらさせていた。

「私はクエナに会いに来たんだよ。マルスの許可はもらってる。浩然と二人ならいいって」

 浩然も、それに頷いて応えた。

「それで、私に何の用なの? 一緒にお茶しに来てくれたの?」

 クエナが目を輝かせていると、浩然も照れながらこう言った。

「そんなところだよ。マルスさんが、そろそろ他の皆とも仲良くなっておけって。でもほとんど知らない人たちばっかりだから、まずはクエナからって思ったんだ。歳、近いし」

「そうか」

 クチャナはそう言って、嬉しそうに紅茶を飲み始めた。おそらくこの二人を二人だけで行動させたのは、マルス自身がロンドンに行ってナンパをしたいからだろう。

「全く、食えない男だ」

 クチャナは、そう言って紅茶を口に含みながら、周りを見た。すでに楽しいお茶会は始まっている。クエナを中心にいい空気が出来上がりつつある。まだ英国式の紅茶のマナーも、中国式のお茶のマナーも、日本茶のすすり方も知らないワマンが戸惑っているのも楽しかった。

 そんな皆を見ながら、クチャナは少しだけ、この平和が長く続くことを願った。たくさん願ってしまうような状況にはなってほしくなかったからだ。

 二千年、この地球の中ではわずかな長さでしかないかもしれないが、その間を生きてきて、クチャナはいろいろな経験をしてきた。それでも毎日願うことは変わらない。

 この平和がこの先も続きますように。

 それは、誰もが願う、大地への、そして空への伝言だった。

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