海 2

 輝たちは、頭を悩ませるミシェル先生の授業がようやく終わって、一息ついていた。早くも町子たちがチアの衣装に着替えて校庭に出て行く。女の子たちはやることが早い。

 同じクラブに所属している、同じチームの輝とメルヴィンは、二人で連れ立って町子たちとは違うサッカー場へと向かった。しかし彼女たちとは行き先が同じになっていて、輝たちが準備を済ませてサッカー場に着くと、チアのメンバー全てが同じ場所に集まっていた。今日は輝たちの所属するフットボールクラブの応援に来たのだろうか。

「今日は、高橋輝君の復帰試合だからね! 気合い入れていくよ!」

 チアのリーダーがそう言うと、一斉にチアリーダーの女の子たちが舞い始めた。

「まだ試合が始まっていないぞ」

 メルヴィンは、そう言うと、輝の背中を叩いた。

「いいなあ、お前、モテて」

 背中を叩かれた輝は、メルヴィンがおどけているので悪い気はしなかったが、少し恥ずかしかった。まさか自分のせいでこんなことになっているなんて。

 それでも、恥ずかしい気持ちを抱えたまま輝は練習試合に入らなければならなかった。試合開始のホイッスルが鳴ると、チアの一団の熱も上がってきた。

 試合は輝たちが勝って終わった。相手のチームと握手をして別れると、チアの一団がこちらに寄ってきた。

「輝!」

 真っ先に寄ってきたのは、町子だった。誰かを連れている。チアの女の子ではない。制服を着たままうつむいたその顔を上げたのは、上田実花だった。

「実花さん!」

 輝に名前を呼ばれると、実花は恥ずかしそうにうずくまってしまった。何をどうしたらいいのか分からないでいると、町子がその背を押した。

「ちゃんと編入できたんだよ。実花さんきちんと勉強していたから。ちょうどそこで見学していたから、連れてきちゃった」

 町子がどんどん喋るので、実花はそれを呆然と見ているしかなかった。しかし、自分のほうを向いて町子がウインクをしてきたので、実花は勇気を出して輝やメルヴィンに挨拶をした。

「が、学校に、通ってみようと思って。そ、その、私と同じような子がいるって、町子さんが」

 輝とメルヴィンは、それを聞いて、ある一人の女の子を思い浮かべた。

「メリッサ!」

 二人は、声を揃えてそう言うと、さっそく実花をメリッサのもとに連れて行くことにした。

 メリッサは、姉のナタリーと一緒に、朝美たちと同じ料理研究会に入っていた。もともと、ナタリーのほうは陸上をやっていたが、足を痛めてからはやめていた。メリッサは何もやっていなかったが、何かやりたいとは思っていた。

「お姉さんのナタリーさんはしっかり者でね、世話好きなセージのシリンなんだよ。メリッサはそれに比べておとなしくて内向的。でも、やるときはやるタイプかな。メリッサにはいつも助けられているから」

 料理研究会の入っている調理室に向かう廊下を歩きながら、町子が説明した。輝の試合が終わったくらいだから、料理研究会も、もう片づけをしてしまっているだろう。町子も輝もメルヴィンも、皆制服に着替えて帰る準備をしていた。

 料理研究会に着くと、ちょうどみんなクラブ活動を終えて帰るところだった。朝美や友子とともに、メリッサやナタリーも出てきた。大人数になった輝たち一行は一緒に屋敷に帰ることにした。

 屋敷への帰路、町子たちはいろいろな話をした。実花とメリッサがよく似ていることだけでなく、実花の英語が堪能でびっくりしたことも。

「三歳から通っている英会話教室だけは、休んだことがなかったんです。楽しかったから、うつ状態でも続けられて。無気力状態で何にもできないときは、一度だけ休んだんですが、月謝は取られませんでした」

 皆は、その継続の力にあんぐりと口を開けた。なるほど、英語が堪能になるわけだ。

「ビジネス英語や学術英語の資格テストは受けなかったの? これだけの英語力があればかなりのスコア取れそうだけど」

 ナタリーがそう言うので、実花は少し考えこんだ。なぜだろう。自分でもよく分かっていなかったのだが、考えてみると何か理由があった気がする。

「なぜでしょうね。いじめに遭っていて、将来の見通しが真っ暗だったからかな。この髪と瞳の色じゃ、どこの企業も採ってくれそうになかったから」

 その言葉に、メリッサが手を挙げた。真っ赤な顔をしている。

「はい! 実花、あなたすごく可愛いよ! 可愛いと思う! 赤い髪に緑の瞳って、魅力的だと思うわ! 私にはそう言った特徴全くなくて、地味で。羨ましいもの」

「この髪と瞳が、羨ましい?」

「うん!」

 メリッサは、顔を赤らめながら必死で首を縦に振った。ぶんぶん降るものだからめまいまで起こしていた。

 そんなメリッサの様子を見て、実花は少し嬉しくなった。自分の特徴をよく思ってくれる人がいたなんて、思ってもみなかった。なんだかメリッサたちに受け入れられた気がして、知らないうちに実花は心をゆだねていた。

 みんなで屋敷に帰ると、相変わらず天使と悪魔がお茶をしていた。しかし、今日はカリムやクローディアたちだけではなく、二人の男性が向かい合って座っていた。

 一人は見たことがある。ここに入居するときに皆に挨拶していた男性。たしか、セインやアーサーたちの義理の父親で歴史の傍観者と定められた男性、イーグニスだったか。がっしりとして大きい男性だった。もう一人は、イーグニスに比べると線は細いが、どこかに得体のしれない丈夫さを持ったような、そんな男性だった。黒いスーツを着ていて、上品なその男性の髪はプラチナブロンドで、瞳は紅だった。

「あれ、エル?」

 その男性を見て、輝が口から出た言葉を呑みこんだ。エルにしては大きい。顔かたちも顔つきもずっと大人だ。一つ一つのしぐさに気品があり、粗野なエルとは全く違っていた。

「見れば見るほどエルとは遠くなっていく気がする」

 声をかける前、町子が呟いた。それを拾ったのか、イーグニスとその男性は町子たちに気が付いて、礼をしてくれた。

 すると、天使の中からカリーヌが立ち上がって、町子たちにこちらに来るように言った。

「私は、アースを呼んでくるわ。そろそろ彼ともお会いしたいでしょうから」

 カリーヌは、プラチナブロンドの男性にそう言って、町子たちに席を譲った。この人数が座ると、ロビーのお茶会も相当なにぎやかさを得ることになった。

「そういえば実花さん、ご両親と櫻井さんたちはここに着いたのか?」

 輝がなんとなく聞いたので、実花はなんとなく返した。

「うーん、お父さんとお母さんは無事着いて、昨日からここにいるんだけど、櫻井さんと平沢さんは残りました。仕事や生活があるからって」

「そうか。ふたりとも、襲われなければいいんだけど」

 輝が心配していると、実花は笑ってくれた。まれにみる実花の笑顔。これからも彼女のこんな顔が見られるのだろうか。

「輝さん、大丈夫です。お二人に対する私の願いとして、無事であることを紡いでおきましたから」

 そんな話をしているうちに、カリーヌに連れられてアースがやってきた。そして、指定された席に座ると、例のプラチナブロンドの男性の正面になっていた。

「久しぶりだね、アース」

 男性は、そう言って右手を差し出した。アースはその手を取って、握手を交わした。

 そして、皆が見守る中、そっと手を引いて、こう言った。

「久しぶりだな、メティス。マリンゴートは、もういいのか?」

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