第22話 海
二十二、海
その部屋には今使うのに必要なもの以外は、何も置いていなかった。
派手好きのエルザは、そんなヴァルトルートの部屋が好きではなかった。自分の部屋にはたくさんのぬいぐるみや人形があったし、飾り気のある食器やマグカップ、キャンディーの入った瓶などがところ狭しと置いてあったからだ。
だが、エルザにとってヴァルトルートの気に入らないところは、そういう潔癖な部分だけだった。ヴァルトルートはエルザにとって姉のような存在で、大好きな女性だったのだ。そんな姉がこの本部を留守にする、それは珍しいことだった。エルザは一人でいるのが寂しくて、本部を出ようと画策していた。どうせ彼女はラヴロフにでも会いに行ったのだろう。それは気に入らなかった。でも、邪魔をするとヴァルトルートのせっかくの計画が台無しになってしまう。それはよくない。
だから、エルザは、なるべくヴァルトルートの役に立てるように、ある計画を自分の中で実行しようとした。
そして、本部のある飛空要塞をヘリコプターで出た。運転手には、英国にあるロンドン郊外のある集落に降り立つよう指示した。エルザ一人では心もとないので、何人かの人工シリンを連れて行くことにした。ラヴロフのもとに行った三人の強いシリンは使えなかったので、適当に三人選ぶことにした。
「ヴァルトルートが喜んでくれるなら、あたし、なんでもやっちゃうからね」
エルザの心の中はうきうきしていた。
ヴァルトルートと同じ黒い色の髪の毛をくるくると巻いて頭の上で縛り、リボンで飾っているその姿は、とても月の箱舟の組織の幹部とは思えない。服も派手で、パフスリーブのピンクの上着にストライプの入った黒とピンクのミニスカート、同じ色のニーハイソックスにショッキングピンクのパンプスを履いていた。アクセサリーには大きな指輪とリング状のピアス、腕時計は人気の女性ブランドのものだった。
「ついでにいい男でも物色してこようかしらん」
エルザは楽しみで仕方がなかった。シリンという人種には美形男女が多い。エルザは女には全く興味がなかったが、男には興味があった。ただ、興味があるというレベルであって、それをどうこうしたいとは思えなかった。だから、ラヴロフが以前仕えていたサンドラとかいう女のことは理解できなかったし、嫌いだった。
そうこう考えているうちに、情報にあった地区に着いた。
その様子を見て、エルザはがっくりした。
「なあんだ、何にもない辺鄙な場所じゃない」
ヘリから降りて、いったんパイロットを帰すと、エルザはその辺鄙な場所を見て歩くことにした。ここにシリンたちが大勢集まる屋敷がある。しかし、その屋敷を見たことがある人間はいなかった。一度か二度、侵入したラウラと浩然がいたが、彼らもあの屋敷に呑まれてしまったからだ。
しかし、エルザは諦めてはいなかった。この地域を最近往診しているのがナギ・フジという、あの謎の多い女だったからだ。
あれさえ捕まえて洗脳してしまえば、かなりの戦力になる。おそらくは相当強いシリンに違いない。謎というあたりが強そうだ。
エルザは、名前すら与えられていない人工シリンたちを連れて、なるべく目立たないように行動することにした。茂みの中を歩いたり、建物の陰を伝っていったり。
そんなことをしているうちに、一人の男性が道を一人で歩いているのが見えた。何かのカバンを大事そうに持って歩いている。エルザはあの箱の中身が何なのかが気になった。男性のことはどうでもよかった。
エルザは、人工シリンのうちの一人に、あの男の近辺の情報の糸をたどって調べるように指示をした。すると、人工シリンは嬉しそうに、エルザにこう報告した。
「あの男、どうやらナギ・フジと深くかかわっているようです。強い反応が出ましたから」
エルザは、その報告を聞いて、やった! と声を上げた。
「でかしたわ。それじゃ、あの男を捕まえればナギって女はやってくるってことね」
だが、もう一人の人工シリンがエルザに待ったをかけた。
「お待ちください。厄介なことが一件」
「なによ、今いいところなのに。早くしないとあいつ、行っちゃうじゃない」
「今は行かせておいてください。あいつ相当ヤバいのとも関わっています」
「ヤバいの?」
エルザの声が大きくなってきたので、その人工シリンはエルザの腰を落とさせて、小さな声でエルザに、こう告げた。
「あの男、地球のシリンと相当親しいですよ」
「地球のシリン? あの猛烈にヤバいの?」
人工シリンは頷いた。
「とにかく今は退いて、作戦を立てましょう。あのヤバいのに気づかれずに、ナギをおびき出す算段を立てるのです」
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