傍観者たち 4
それは、ある晴れた休日の昼下がりだった。
まだ外にも出してもらえない浩然とラウラは、部屋の中でおとなしくお茶を飲んでいた。二人とも、知り合ったばかりのような仕草で、元の二人を知る人間からすると、おかしなものに見えた。
その日は休日とあって、町子は一日中輝のもとに行っていた。肩と脚の傷はだいぶ塞がってきて、もう少しで立って歩くことができそうだった。
「傷が治っても、まだリハビリがあるんだよね」
今、この部屋にいるのは、町子とアース、そして輝だけだった。輝がうん、と一言言うと、町子は毛布の下の輝の足を見た。
「早く、歩いて、走って、サッカーができるようになるといいね」
輝は、町子の言葉に笑って頷いた。輝はまだ一人で起き上がることはできないが、支えてもらえば何とか座ることくらいはできていた。だから、点滴も取れて、今は飲み薬で傷や痛みの治療をしている。食事は皆と同じものを食べていた。
「ねえ、伯父さん」
近くで薬の仕分けをしていたアースに声をかけると、町子はそちらに寄っていってアースの手元を覗き込んだ。
「輝の薬、それだけなんだね。経過はいいの?」
「ああ」
アースは、町子に笑いかけてくれた。それだけでも嬉しいのに、次にアースが口にした言葉は、さらに二人を喜ばせた。
「それと輝、お前、リハビリは必要ないぞ」
その言葉に、二人は驚いてアースのほうをじっと見た。
「なんで?」
町子と輝の声が揃った。すると、アースは仕分けた薬を輝の枕元に持ってきて、傍にあったキャビネットの引き出しにしまった。
「輝の、戻す者としての能力は、体の状態を元の状態に戻すという働きをすることがある。だから、今の輝の体は元の状態に戻りつつあると言っていい。それと、輝は限りなくシリンに近い存在になっている。町子もだ」
「シリンに近い存在? じゃあ、私たちにも媒体ができるってこと?」
町子は、胸がどきどきして止まらないその気持ちを、抑えるので精いっぱいだった。伯父は、笑って応えてくれた。それは、否定ではなく肯定の意味の笑顔、そう取ることができた。輝も胸が躍っていた。怪我が治ればすぐにでもメルヴィンと一緒にサッカーができる。それがなによりも嬉しかった。
「私たちの媒体、一体何になるんだろうね」
町子が嬉しそうだ。それを見て輝も嬉しくなった。
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえたので、アースが入れと言った。すると、ドアを開けて入ってきたのは、アニラと劉姉弟だった。後ろに、マルスが連れている浩然とラウラがいた。二人は自分たちが持ってきたシリン封じの縄で後ろ手に縛られていた。記憶をなくし、屋敷のどこへ行くにもこれでは、哀れなものだった。
アニラたちが輝の部屋に入ってくると、だいぶ人数が増えて部屋がすぐに狭くなってしまった。そのことについてはマルスが詫びを入れていた。その後、セインとクチャナ、そしてシリウスが現れた。
「しかし、こんなに物々しい人間たちを輝の部屋に集めて、一体何をするんだ、アニラ?」
シリウスは輝の部屋を見渡した。医療器具がたくさん置かれていて、何かがあったら大変だ。そう思って、縛られている記憶喪失の二人を見た。
アニラは、シリウスのほうを見て、こう言った。
「浩然とラウラを、天敵である輝さんに会わせます。記憶が戻っても、シリン封じがありますし、アースをはじめとする皆さんがいるから輝さんは安全です。ここで浩然とラウラの記憶を戻し、歪んだ記録を書き換えておかないと、お二人は助かりません。荒療治ですが、やってみる価値はあると思います。説得は、私がします」
「アニラが?」
記憶をなくした二人を連れたマルスが、目を丸くした。
「君にそんな能力はあったのか?」
アニラは、首を振った。
「私にあるのは、真実を見極める力だけ。でもそれが、二人を救うことになるかもしれないのです。お願いです、やらせてください」
アニラの表情は必死だった。おそらくシリンの情報を書き換えられる前の浩然とラウラを知っているのだろう。洗脳されたとか、自分の意思で裏切ったとか、そういう言い方をしない。それが証拠だった。
アニラにお願いをされたのは、アースと輝だった。輝は、少し考えたあと、アニラの顔をまっすぐに見て、こう言った。
「俺は動けない。見ての通りだ。もし、その二人の記憶が戻って襲い掛かってきて、それを君が説得できなかったら、その二人は死ぬことになる。それでもいいんだな?」
アニラは、頷いた。
「覚悟の上です。身寄りのないラウラはもとより、浩然のことは、劉姉弟さんたちに了解を得ましたから」
そう言って、アニラはアースを見た。ここで最も許可を取るのが難しいのがアースだった。彼は承諾してくれるだろうか。これまでの流れなら承認してくれるだろうし、悪くない作戦でもある。むしろ、うまくいく感じしかしない。
アースは、皆を見渡して、少し暗い顔をした。
「このままだと確実に二人は死ぬ。まだ、記憶喪失のほうが幸せかもしれない。それでもやるのか」
アースの表情は硬かった。
このままだと確実に、浩然とラウラは死ぬ。
それを聞いて、劉姉弟は真っ青になった。覚悟はしてきたつもりだった。しかし、いざ、アースの言葉でそれを聞くと、恐ろしくなった。
アースは、中途半端な優しさを使わない。突き放すべき時は突き放す。そのタイミングをよく知っている。
部屋の中が騒然となった。浩然とラウラがうなだれている。それを見ていたマルスが、あまりに哀れなため、難しい表情をしているアースに食って掛かった。
「どうにかならないのか? 君は地球のシリンだろう? この地球上でおよそ君にできないことはないはずだ。それでもダメなのか?」
「だめだ。誰かを危険にさらしてまでやることではない」
「しかし!」
マルスは、悔しかった。
自分には何もできない。しかも、一番何とかできそうな地球のシリンがこの作戦を拒否した。高橋輝、その存在ひとりのために。
悔しくなったマルスは、浩然とラウラを連れて、部屋を出ていこうとした。しかし、それは劉姉弟に止められた。
「浩然とラウラの身体能力は知っているでしょう? あれだけ鍛えた輝が負けてしまったのよ。いまさらアース抜きで二人を救えるとは思えない」
「マルス、アースの旦那を説得するしかねえんだ」
しかし、マルスはそれでも部屋を出て行こうとした。アースが駄目と言った以上、この二人を地球上で救うことは無理だったからだ。
「メティスのもとへ行くか、マルス」
アースから、声がかかった。マルスは、何も言わず出ていこうとしたが、一言、何かを言うためにアースのほうを振り向いた。そして、そこで、アースのため息を聞いた。
「暁の星へ行っても無駄だ。メティスに二人は救えない」
暁の星のシリン・メティス。
彼は地球とは違う星のシリンだ。惑星のシリンが他の惑星の環の中に入るのは命がけ。かれに浩然とラウラを救う理由がない以上、メティスにも無理だと言われる恐れは十分にあった。しかし、マルスは諦めたくなかった。
「少しでも、暁の星に可能性があるなら」
マルスは、唇をかんだ。すると、アースがもう一度ため息をついて、こう言った。
「俺が言いたいのは、作戦自体に問題があるということだ。あれでは説得する前に輝がやられる。それを阻止しようと思えば、俺が動くほかあるまい」
「確かに、そうだが。じゃあ、君にはそれ以上の作戦があるというのか?」
すると、アースは少し笑った。笑いながらも、困ったような顔をしている。
「本当は、こんなところは見せたくなかったんだが」
そう言いながら、アースは浩然とラウラのもとへ歩いてきた。そして、二人のシリン封じの縄を解くと、浩然の左手と、ラウラの右手を持って、自分の肩に乗せた。そして、二人を抱き寄せると、二人の耳元に何かを囁いた。
すると、驚いたことに、浩然とラウラの瞳から涙が出てきて、二人はアースにしがみついた。そして、わんわんと泣くと、浩然はこう言った。
「旦那ぁ、俺怖かったよ! 怖かったよ!」
ラウラはこう言ってしっかりと抱きついた。
「アース、ずっと待ってたんだよ! 助けに来てくれて、ありがとう!」
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