傍観者たち 5

 アースの言ったのは、たった一言だった。

「助けに来た」

 この一言で、浩然とラウラは長い苦しみから解き放たれた。そこにいた皆は、マルスを含めて何が何だか分からないままだった。アースが浩然とラウラから離れ、二人を助け起こす。すると、そこへタイミングよくやってくる人物がいた。

 もう一つの地球であるナリアの月、セベルだった。

彼は二匹の猫を連れてこの部屋に入ってきた。ジルとユーグだ。彼は、そのままアースに一礼をすると、皆のほうへ向き直った。

「間に合ってなによりです」

 セベルはそう言ってにこりと笑った。間に合う、とは何のことだろう。アース以外の人間がざわめいている。

「セベルさん、どういうことなんです? 私たちにはあなたのことも、あの二人のことも何が何だか分からなくて」

 紫萱は、戸惑っていた。無理もない。目の前で浩然とラウラがあっけなく元に戻り、また更に、セベルが訳の分からないことを言ってきたのだから。

 そんな皆を見渡して、セベルが額から流れる汗を拭いた。

「申し訳ない。私はこの状況を説明しに来たんです。昨夜、アースがその話を私にされました。浩然とラウラをどうするのかと。答えは、救うと、その一択でした。幸い二人はラヴロフのシリンの支配下から外れ、洗脳もされていない状態。記憶も失っているまっさらな人間でしたから、書き換えられたシリンの情報を環にアクセスしてほどくのに時間はかかりませんでした。ただ少し、猶予は必要でした。そのためにアースはマルスさんと間を持たせたのだと思います。情報をほどいて書き替えたら、あとは本人たちの人格を元に戻して定着させてやればいい。そのためのキーワードを、あの時アースは囁いたのです」

 セベルは説明を終えて、上がっていた息を落ち着かせた。そして、少し笑って、こう言った。

「そうでしょう、ナリア」

 セベルが言うか言わないか、そのタイミングで、天井から人が降ってきて、床に落ちた。それはとてもきれいな女性で、長い銀色の髪を床に垂らして、恥ずかしそうに皆を見渡した。その瞳は青く、アースと同じ瑠璃色だった。

 そこにいた全員が、ナリアと呼ばれたその女性が突然天井から降ってきたことに驚いた。皆が何も言えないでいると、ナリアが恥ずかしそうに笑ってこう言った。

「突然すみません、わたくしはナリアと申します。もう一つの地球、アースと私は互いに別れた一つの個体です。ええと、この服」

 ナリアは、どこかで見たことのある、薄い藤色のスーツを指さした。

「カリーヌさんに借りたのですが、少し動きづらくて。それで転移の方法を間違えて、落ちてきてしまいました。失礼いたしました」

 事情が少しずつ呑み込めてきた。そこにいた皆がナリアに質問をしたくて、口を開けようとした。その時、アースが皆を止めた。

「待て。ナリアのことはおいおい分かってくるだろう。今は浩然とラウラをどうするかだ」

「どうするって、当然保護」

 言いかけて、マルスはハッとした。

 浩然とラウラのようなケースはこれからも何人も出てくるだろう。それを元に戻すたびに保護していたら、屋敷の部屋がいくつあっても足りなくなる。今の状態でさえ、あと五、六部屋しか残っていない。住人は選ばなければならなかった。

「マルスさん」

 困っているマルスに、輝が声をかけた。

「浩然については、ここで保護しましょう。屋敷では無理でも、ローズさんやなつさんの所なら、ここに通いやすいでしょうから。ラウラさんは、管理人であるあなたかカリーヌさんが面倒を見てください。お二人とも、一人一部屋のはずですから」

 すると、皆の中からすぐ声が上がった。

「カリーヌだな。マルスはまずい」

「マルスはラウラに何をするか分からないから」

 そう言った意見が多数出た。マルスは、皆の声を振り払った。そんなに節操がないわけではない。今までのマルスの態度は本当に軟派なせいではなかったのだ。

「みんな、聞いてくれよ。僕がそんなことをすると思うかい?」

「思う」

 皆は目を座らせて、マルスを見た。マルスは頭を抱えた。少し、女性を物色しすぎたか。節操なくやりすぎていたのかもしれない。

「まあいい。ラウラは小さなころから、物をすり抜けられる能力のせいで、お化け、お化けと言われて周りからのけ者にされてきた。その能力をコントロールできるようになるまでは辛かったんだよ。浩然は幼いころに父親を亡くして、母親が女手一つで育てていた。だから、母親に恩を返そうといつも孝行していたいい奴なんだ。面倒を見るのなら僕が二人の面倒を見る。もう、二人とも行く当てなどないだろうからね」

「へえ、ラウラだけじゃなくて浩然もねえ」

 シリウスが、マルスを笑った。どれだけナンパな行為をしてきたのだろうか。マルスは毎日と言っていいほどロンドンに行っては女性をひっかけていた。屋敷のシリンの女性では無理だったからだ。そのうわさが屋敷中に広がっていたから、相当ナンパな男だと思われていたのだろう。

 マルスは、シリウスの言葉にため息をついた。すると、この場に来たばかりのナリアが、すっと手を挙げた。

「わたくしは、それで良いと思いますよ。アースが何の意見も言わないのが証拠です。なにより、今まで自分たちのことを守ってくれていたマルスさんたちに対して、浩然とラウラは親近感を持っているでしょうから」

 ナリアが浩然とラウラを見ると、二人は照れながら頷いた。

「本当は、アースの旦那と一緒がいいけど、マルスでもいい」

 浩然は、そう言ってアースを見た。彼は頷いて、浩然に応えてくれた。ラウラも同じようにしてアースに許可をもらった。

「アースは私たちを救ってくれた。そして、守ってくれる大事な人だ。でも、マルスでもいい。もし、彼が何かをして来ようものなら、浩然が守ってくれる。そうだろう?」

 浩然は、その言葉に親指を立てて笑った。

 浩然とラウラはこうして救われた。しかし、依然として月の箱舟が人工シリンやシリンの情報の書き換えによる洗脳を行っている限り、このようなケースが再び起こらないとは限らない。

 アースは、その時、容赦なく彼らを殺すだろうか。それともいちいち助けて保護し、元いた場所に返すだろうか。

 もう一つの地球のシリンであるナリアが来た以上、戦力は倍になっていると言っていい。ただ、ナリアの能力は未知数だ。

 アースは、セインとクチャナ、そしてカリーヌとマルスに頼んで屋敷にいる皆を集めて、ナリアとセベル、そしてジルとユーグを改めて紹介した。

 そして、今後このようなことがあった場合、例外なくそう言ったシリンは容赦なく切り捨てていく。その旨を伝えた。

 アースは時に冷たいほどに合理的になる。

 皆が彼のその特徴を改めて実感したのは、その時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る