大地への伝言 5

 アースは、今までにないくらい張り詰めた表情をしていた。輝の命を懸けて、環の中に入る。そもそも、因果律を操れるシリンが直接環に干渉して因果律を操ることは、これまで禁忌とされてきた。できるのに、あえてやらないでいた最大の過ちだ。

 それを、ラヴロフのシリンはやってしまっている。

 だが、相手はあくまで因果律の中にいる。その外にいる存在を超えることはできないのだ。それでもアースと同等の力を得ている以上、アースも油断はできなかった。

 因果律の中と外。圧倒的な力の差がありながら、それを縮めるほどの存在。それがラヴロフのシリンだった。

 アースは、輝の様子を見ながら、環に干渉する準備を整えた。輝を見ながら自分と同等の相手を叩きのめして消滅させるだけの余裕はない。だから、アーサーと町子の力が必要だった。この地にいるシリンの中で強い戦闘能力を持つセインとシリウスにここを任せて、ラヴロフのシリンと戦っている間、アースの体のことを頼むことにした。二人は快諾してくれた。アースが幼児化させて無力になっている浩然とラウラは、いまだにシリン封じにやられて力を失っている。ナギが付いているから心配はないだろう。

 アースは、部屋のソファーに横になり、町子が矛を持ってやってくるのを待った。

 矛を持ってやってきた町子は、事情を聞くと、自分が輝を助けに行くことに対して難しい顔をした。以前、空港でのハイジャックの件で同じような状況になったことがあるからだ。そんな町子の背を、シリウスが押す。

「今回輝を助けるのはアースだ。お前たちは傍観しているしかないだろうな。それだけ相手は危険なんだ」

「じゃあ、私たちは何のために環の中に行くの?」

「いざって時、輝を受け止める役割がいるだろう。あいつが環のなかで意識を取り戻した時、もしくは、意識があるときに、助けに来たよって言える人間が必要だ」

 町子はその言葉にも納得できなかった。輝は町子に助けられることでプライドを傷つけられるのではないか。そう考えていた。しかし、いったん横になるのをやめたアースが、町子の手を取って立ち上がった。

「町子、輝の手を握ってみろ」

 そう言われたので、町子はためらいがちにその手を握った。

 熱い。ひどい熱を出していた。そんな輝は、町子の手の感触が分かったのだろうか、荒い息をしながら、掠れた声で町子の名を呼んだ。

「輝の前に、出ていってやるだけでいい」

 アースは、そう言って再びソファーに横になった。シリウスとセインに目配せすると、先に行っていると言って、目を閉じてしまった。

 町子は、泣きたい気持ちを抑えて矛を握りしめ、アーサーのもとへと急いだ。武器同士が近づくにつれて共鳴が増していく。その武器を床に横たえ、町子とアーサーは、目を閉じて床に寝転んだ。

 そして、環の中に意識を投じていった。

 町子が、アーサーに呼ばれて目を開けると、そこはいつかクチャナと一緒に来た素晴らしい場所だった。遠くに青い海が見えるその湿地帯は、以前にもまして美しかった。

「地球のシリンの意識の中。この中で戦いが行われるのか」

 アーサーがそう言うが早いか、二人の目の前に、一人の大男が現れた。彼は大きいだけではなく非常に太っていて、歩くたびにどしんどしんと音をさせていた。目が悪いのだろう。度の強い眼鏡をかけていて、両手にはハンバーガーを持っていた。

 そして、その男の向こうにある一本の木には、輝がいた。

 両手を鎖につながれて、木の枝から吊るされていた。怪我も熱もなさそうだったが、苦しそうにしている。町子たちが輝のもとへ行くには、この男を突破しなければならない。

「この大男は、一体?」

 町子の手に得物はない。素手でこの大男と戦うのには、分が悪すぎた。

 すると、そこにアースが現れた。町子たちのすぐ前、大男との距離が近い。アースが現れても歩みを止めずに町子たちのもとから輝のもとへ向かっていくその大男は、ハンバーガーを食べ終わると、輝のほうへ手を伸ばした。

「まずい! 輝が危ない!」

 アーサーが叫んだ、その時だった。

 大男が一瞬にして消え、その大男のいたところには、二本の足だけが残っていた。その足は、次には町子たちのもとへ歩みを止めることなく進んでくる。輝に向けられていた手は消え失せていた。アースが、その足を一瞥すると、それも歩みを止めた。

「ラヴロフのシリン、名は何という?」

 そう問いかけるアースの瞳は、冷めきった色をしていた。いつものように優しく頼れる瞳ではない。これは、暗殺者の瞳だ。

 止まった足は、次第に人の形をとっていった。その間に、アースは輝を木から降ろした。町子たちにそれを託すと、右手を横に、すっと上げた。その手には一本のナイフが握られていた。アースと町子たちの間には、二人の人間が現れた。一人は男性、もう一人は女性。二人ともよく似ていた。双子だろうか。

「我々に名前はない。ラヴロフから与えられたコードネームがあるだけだ」

「コードネーム?」

 町子がふと、彼らのセリフに反応すると、男のほうがにやりと笑った。

「その少年は放っておいていいのかな、見る者のお嬢さん。彼はもうすぐ死ぬ。シリン封じをその首にかけられてね」

 男のセリフに町子が驚いて輝を見ると、彼の首にはきっちりと、シリン封じのリングが嵌められていた。これは取らなければならない。伯父の時には、首から脳幹を刺激して痛みを全身に広げる役割があったという。そうやって体力を奪っていくのだ。

「伯父さん、時間がないよ!」

 アースに向かって叫ぶと、彼は町子のほうへ手を伸ばし、大丈夫だと合図をした。今のアースの瞳は怖い。町子たちが見ていいものではない。

「我々のコードネーム、カストルとポルックス。そちらにいるシリウスと同じ、恒星の名前。惑星であるあなたをしのぐにはちょうどいいと思わない?」

 女性のほうが、こちらに手を差し伸べてくる。アースはその手を取らなかった。

「無礼な。我々を誰だと思っている」

 男のほうが、顔をしかめた。そして、歯ぎしりをすると、目にも止まらないスピードでアースのもとへと地面を蹴った。

 一瞬のことで、何も見えなかった。アースは、冷たいまなざしを男性のほうへ向けたまま、左手で攻撃を受け止めていた。後ろに町子やアーサー、そして輝がいる以上、回避行動はできなかった。

「遅い」

 アースはそう言って、即座に動いた。男性のほうの腹にアースのナイフが突き刺さる。男性は、とっさにその場から離れて元いた場所に戻った。すると、急速にその傷が回復している。

「そんな、攻撃してもあんなに早く回復するなんて!」

 町子の心配をよそに、今度はアースが動いた。相手の実力を見切ったのか、たったあれだけの接触で相手のことが分かったのか。

 アースは速かった。地面を蹴ったと思ったら、一陣の突風とともに二人の間に入り込んで、両方に切りつけた。回復する間もなく彼らの体は傷だらけになっていく。

「なんて速さだ!」

 男性のほうは、攻撃を受け止めるのが精いっぱいだった。

「因果律は、こちらが操っているはず!」

 女性のほうが、よけるので精いっぱいだった。

 倒れたのは、男性のほうが先だった。男性は、草の上にどさりと倒れ、蒸発して消えていってしまった。女性は男性の様子を見ると、後ずさりして、最後の手段とばかりに両手を広げて笑った。

「因果律はこちらにあるのよ! 我々は真理を掴んでいる! この世界のすべてを手に入れた我々に、あなたが敵うはずはないのよ!」

 そう言って、女性は、開いていた手を握りしめた。すると、その一瞬後にこの意識世界が消えてしまった。美しい風景もきれいな海もなく、ただ無限に広がる闇の中に、町子たちは放り込まれてしまった。

「私たちの世界にようこそ」

 女は、ほくそ笑んだ。隣には、蒸発していたはずの男性が蘇って、立っていた。

 男性は、言った。

「これが我らの世界。地球因果律の現れだ」

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