滑空する夢 6

 それは、二人のシリンがここに連れてこられた後、すぐに助けが来て連れ去られた、その知らせが入ったときのことだった。

 アントニオは、父カルメーロに呼ばれて、建物の五階にある指令室へと入った。この建物の外観は四階建てだが、中身は五階あった。その最上階にある指令室にはカルメーロがいて、常に本部である『月の箱舟』と連絡を取り合っていた。

 指令室に入ると、太った腹を突き出して椅子に座っている父がいた。アントニオは、父の付き人に付き添われて広い部屋の中を進んだ。父と対面するのにこんなに面倒なことになっているとは思わなかった。

 父の顔は、焦りに曇っていた。着ていたスーツから見えるシャツは汗でびっしょりと濡れている。額にも汗がにじんでいた。

「アントニオ、ルフィナとマルコはどうしている?」

 そう、カルメーロが聞いてきたので、アントニオはありのままを話して応えた。

「二人は引き離して監禁しているよ。父さんの命令通り、ルフィナの手は後ろ手に縛って足かせをはめた。マルコは縄でぐるぐる巻きだよ。ふたりとも、まだ元気で、何ら変わったことはないけど。どうしたの、父さん?」

 アントニオが聞き返すと、父カルメーロは、額の汗を拭いて声を震わせた。

「奴らが、あの、シリンたちがルフィナを取り戻しにやってくる。本部にはもう連絡した。すぐに、迎えのヘリをよこすというんだ。アントニオ、私はルフィナをあいつらには渡したくない。あれほど美しい娘を手放すなんて、私にはできない。アントニオ、お前の気持ちもわかるが、あれは私のものだ。だから、ルフィナを私のところに連れてきて、お前の手で私と彼女を守ってほしいんだ」

 アントニオは、父親が何を言っているのか理解できなかった。

 カルメーロは、聡明な男ではなかったが、信じてはいた。だが、その信頼が崩れかけようとしていた。

 父は、アントニオが想い慕っているルフィナを、手に入れたと思っている。自分の女だと思っている。その私利私欲を守るために、アントニオを利用しようとしている。

 アントニオは、次第に自分の体の中から怒りと絶望が湧いてくるのを感じた。

 ルフィナは言っていた。自分は誰のものでもないと。

 それが、アントニオの中にいまだに残っていた。今まではそれを否定してきたが、心の中に残っている以上は受け入れるしかなくなっていた。

 だから、アントニオは、ルフィナに今まで手を出すことをしなかった。

「あの女を手に入れたら、お前にも分け前をやるぞ、アントニオ」

 目の前の、欲にかられた豚がアントニオの前で鳴いている。

 いまや、ルフィナの高尚な思考に心を支配されたアントニオにとって、カルメーロはそうにしか見えていなかった。

 黙ったままのアントニオに、父は続けて言葉を放つ。

「そうだ、アントニオ、お前はルフィナのどこがいい? どこでも触らせてやるぞ。胸か?尻か? それとも、腰か? 唇と一番いいところは、賭けで決めようじゃないか。どうだ、アントニオ、お前なら乗るだろう?」

 そんな父に、完全に呆れたアントニオは、それを顔に出さずに冷静に父を見た。そして、自分にすがってくる父親にこう言い放つと、部屋を出ていった。

「父さん、ルフィナとマルコの様子を見てくるよ。その後また来るから、待ってて」

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