第9話 滑空する夢

九、滑空する夢



 軽井沢のアウトレットショップで大量の服を買った町子は、満足顔で英国に帰ってきた。相変わらずロビーでは天使と悪魔が一緒にお茶をしながらにらみ合っていた。それでも以前のような重苦しい雰囲気はなくなっていたので、町子と輝は安心した。

 軽井沢から帰ってきて、やはり日本はいいと感じていた二人は、少しホームシックにかかっていた。しかし、そんな気分も吹っ飛ぶような事態がすでに起こってしまっていた。

 ロビーにいる天使と悪魔の間にいるアイラの正面に、一人の老人が座っていたのだ。それが普通の老人だったら何の問題もなかった。しかしそうはいかなかった。

 その老人は、バルトロだった。

 イタリアにいる、オリーブのシリンであるルフィナの父で、粉挽き小屋を営んでいる。そんな彼が海を越えて、どうしてこんな場所にまで来ているのだろう。電話や手紙ではいけなかったのだろうか。

 バルトロは、出されたお茶にも口をつけずにそわそわとしていた。そこに町子と輝が帰ってきたものだから、急いで立ち上がって二人の名を呼んだ。

「ようやく帰ってきたか、二人とも!」

 空港でミシェル先生と別れて二人きりで帰ってきたので、連れ添いは誰もいなかった。町子と輝は顔を見合わせながら、何があったのかとバルトロに問いかけた。すると、焦っているバルトロの代わりにクローディアが口を開いた。

「ルフィナとマルコが攫われたのよ。それも、バルトロの目の前で。アントニオって男とその父親がやったらしいわ。バルトロは殺されそうになって命からがら逃げてきたみたいね。一体どうなっていることやら」

 そう言って、悪魔は肩をすくめた。

 町子と輝はびっくりして、バルトロを見た。すると老人は肩をすぼめて、落ち込んだ様子を見せた。目の前で愛娘を攫われた挙句何もできずに命からがら逃げてきた自分を責めていた。そんな表情だった。

「ルフィナさんとマルコさんが」

 動揺を隠せないまま、町子が考えを巡らせた。

「アントニオとそのお父さんと言えば、ルフィナさんを狙っていたのよね。気になるのは、どこに攫って行ったのかと、何の目的で攫って行ったのか」

 すると、今度は輝がバルトロに質問をした。輝はどこか急いでいた。何が輝を急がせたのかは町子には分からなかった。しかし、他の人間の張りつめた表情とアイラの焦りにも似た瞳を見ていると、ただ事ではないことは見て取れた。

「バルトロさん、アントニオのお父さんには夢があるって言ってましたよね」

 バルトロは、頷いた。そして、膝の上で腕を組んで、震える手足をどうにかしようと試みた。

「アントニオの父親であるカルメーロには、世界一周をするという夢があった。それも、ある企業に雇われてのことだ。その企業の名は、ムーン・アーク。月の箱舟という意味の会社だよ。その企業は昔から何やら怪しい研究をしているという噂があってな。それがおそらく」

 そこで、バルトロは言葉を切った。そして、手で顔を覆って嘆き始めた。

 その姿を見て、アイラが後を続けた。

「私たちが調査を進めた結果、分かったのは、その『月の箱舟』は、何かのプロジェクトを抱えていて、そのためにシリンのデータが必要だったということ。そのために以前クエナちゃんを攫っていたこと。ここまれではわかっているの。だからもし、ルフィナさんが『月の箱舟』に手渡されることがあったら、バルトロさんやマルコさんは到底普通には生きていけなくなってしまう。事は時間との戦いになってしまっているの。輝、町子、お願い。今回は私たちが総出であなたたちをフォローするわ。だから、ルフィナさんとマルコさんを助けに行ってほしいの」

 アイラが言った言葉は、輝と町子にとってはとても重いものだった。

 何の力も持たず、拳銃でも撃たれれば太刀打ちもできない高校生に、何ができるというのだろう。確かに輝は戻す者として覚醒している。しかし、その力は戦闘向きではなかったし、第一最近のごたごたで大して体を鍛えることができないでいる。まだ覚醒していない町子を守ることさえできるかどうか怪しかった。

「アイラさん、話は分かりましたが、俺たちでは力不足ですよ。第一、戦闘になったときに備わった能力がまるでない。そんな状態でどうやってルフィナさんたちを救えって言うんです?」

 輝の質問を予想していたのか、アイラはすぐに答えを返してきた。

「戦闘になった場合は、その道のプロフェッショナルがいるわ。クリスフォード博士も回復して退院したから、セインやクチャナさんも動ける。それに、『月の箱舟』についてなら、クリスフォード博士やクエナちゃんも情報を提供してくれる。戦闘は私たちに任せて、二人は持てる能力をすべて使ってルフィナさんたちを救い出してほしい。お願い」

 そこまで聞いて、輝は頷いた。隣にいる町子と目を見合わせると、少しためらいがちに頷いてくれた。

「分かりました。ただし、条件があります」

 輝は、アイラに条件を出した。その行動に、アイラだけではなくバルトロやクローディアたちも怪訝な顔をした。そんなことは気にせずに、輝は続けた。

「危険なことになったら、俺のことはいい。町子は必ず逃がしてください」

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