葉桜と夏草 4

 ミシェル先生は、町子の言葉にふう、とため息をついて、ゆっくりと立ち上がった。そして、縁側まで行くと、そこに腰かけて庭の木々を見た。

「私が瞳と出会ったのは、六十年前で、その頃はもう日本は復興期に入っていました。私が軽井沢を訪れたのは、数少ないクリスチャンを救済するため。その時に、若い桜の下にたたずむ瞳を見たのです。そして、桜のシリンだと感じたから話しかけてみました。すると、彼女はボロボロと泣いて、その手に握っていた手紙をどうしても読めないと。自分が壊れてしまいそうで読めないと泣いていました。私は瞳が落ち着くのを待って、彼女に教えられた彼女の家へ行きました。そして事の顛末を全て聞いた後、その手紙を読んだのです」

「それで?」

 輝が聞くと、ミシェル先生は、悲しそうに笑った。

「どこにでもある、ラブレターでしたよ。ただそれを、あの当時の瞳が見るにはすこし、荷が重かったようです」

 また、皆の中の空気が重くなった。誰一人言葉を発するものはいなかった。瞳の受けたダメージは相当なものだったはずだ。それを今本人の口から語らせ、また、ミシェル先生の口からほじくり返されているのだから、瞳からすればたまったものではない。

「町子、私の正体は、と言いましたね」

 ミシェル先生は、町子を見た。町子はどきりとして目を伏せた。余計なことを詮索してしまったかもしれない。そう思って肩を落とす。その肩を輝が持ち上げて、笑った。

「俺も気になっていたんだ、町子。先生がどうして正体を明かさないのか。だけど、こんな話ばかりじゃお茶が冷めてしまう。せっかく瞳さんが用意してくれたんだから、全部食べていかなきゃな」

「まあ、そうだけど」

 輝にさえごまかされている、そう思って、町子は少しふくれた。しかし、輝があえて明かさないとなると、何か理由があるのだろう。そう思って追及するのをやめた。町子は、次第に輝のことを信頼するようになっていた。

 四人は、この先何も言うことなく、静かにお茶を飲んでいた。瞳がお茶のお代わりを淹れに行くと、三人は肩の荷を下ろして、畳に手をついた。正直、輝も町子も正座がきつくなっていた。

「それで、セインさんは私たちに何をどうしろって言いたいの?」

 残っているお菓子やお茶をほおばりながら、町子が誰ともなく聞いた。すると、ミシェル先生が答えた。

「それは、おそらく客人が来てから分かるでしょう」

「私たち以外にも、お客さんが?」

 ミシェル先生は、頷いた。

 なるべく人とのかかわりを断つことにしている、瞳はそういう人間ではなかったか。それにしては知り合いが多いような気もするが。

 そんなことを考えていると、瞳の家のチャイムが鳴った。瞳が、少し失礼します、と言って玄関に走っていった。三人は聞き耳を立てていたが、すぐにその必要がないことに気が付いた。

 瞳は、二人の人間を連れて、座敷に入ってきた。もとから紹介するつもりだったのだろう。二人は、輝たちが来ていることにまるで戸惑いを見せていなかった。

 瞳は、二人を空いている席に座らせた。若い男女二人の組み合わせだったので、男性のほうは輝の隣に、女性のほうは町子の隣に座った。

「はじめまして」

 若い女性がにこりと笑って挨拶をした。ちょうど二〇代前半あたりか。プラチナブロンドに緑色の瞳をした女性だった。

「小松 なつと申します。瞳さんとは十年来のお付き合いです。ミシェル先生も、お久しぶりです」

 なつが礼をしたので、それにつられて全員が礼をした。次に、何の変哲もない、普通の日本人男性が、挨拶をした。

「小松辰紀(こまつ たつのり)です。なつとは十年前に出会って、去年結婚しました。なつとは違い、シリンではないので、皆さんについていけるかわかりませんが、よろしくお願いします」

 辰紀が礼をしたので、再び皆が礼をした。

「辰紀さんは、国語の先生でいらっしゃるのよ」

 ミシェル先生が笑いながら紹介をしてくれたので、輝と町子は頷いて応えた。なつは、確かにシリンだろう。そんな雰囲気がある。輝も何かを感じているようだ。だが、この二人が来ることで一体何が分かるというのだろうか。

「ミシェル先生、それで」

 町子が問いかけると、ミシェル先生は笑顔を崩さずに答えた。

「町子、このお二人のなれそめを伺いなさい」

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