学校 3

 初めて歩いていく学校には、マルスが付いていってくれた。一緒に歩いて通うはずの町子は遅れてくるといい、一緒には来なかった。友子と朝美は訝しんだが、輝は何となく町子はこうなるのではないか、そう思った。

 学校に着くと、管理人であるマルスはそこで別れた。そして、屋敷に帰る道すがら、遅れて一人で歩いてくる町子とすれ違った。

「町子」

 マルスは、町子に何かを感じたのか、すれ違ったその瞬間に呼び止めた。町子はゆっくりとマルスのほうに向きなおった。

「何か?」

 町子の目が座っている。何かがおかしい。なのに、何も感じない。これはどういうことだろう。こんなことは初めてだ。

「いや、なんでもない。学校生活、楽しむんだよ」

 そう言って、マルスは町子と別れた。屋敷に帰ったら、アースにでも原因を聞いてみようか。フォーラに懇願されてアースから抜き取った昔の記憶の一部を見せたばかりだから、アースにはこっぴどく叱られるだろう。しかし、そのリスクを負ってでもこの件は報告しなければならなかった。

 マルスは、屋敷への道を急いだ。町子は明らかにおかしい。そのことを伝えるために。



 学校では、輝と町子、朝美と友子全員が同じクラスになった。この地域では家屋の数自体が少ない。だから、学校はあっても生徒数は限られていた。その中で四人も留学生が来たというのだから、クラスは沸いていた。教師の名はミシェル・スミスといい、少しきつめの顔をした女性の教師だった。四人は軽く自己紹介をすると、それぞれ好きな席に座りなさいと言われ、空いている席にバラバラに座った。

 輝の隣はどちらも男子で、内心ほっとした。町子の件で女の生徒が苦手になってきていたからだ。

 その日は、三時間授業をして終わった。放課後にクラブ活動があるというので、見学に行こうとすると、誰かが輝を呼び止めた。隣の席に座っていた男子だった。名前を、メルヴィンと言い、サッカーに興味のある輝を見てつい、呼び止めてしまったのだという。

「君、日本人の留学生にしてはきれいな英語喋るね。相当勉強したんじゃないのか?」

 そう言われて、輝は照れながら返した。

「いろいろ事情があるんだ。でも、確かにこの国の言葉はきれいだよな」

 その輝の言葉に、メルヴィンは、嬉しそうに頷いた。そして、輝のほうに右手を差し伸べて、握手を求めてきた。

「サッカー、やりたいんだろ? 僕が紹介してもいいよ。今日は足のケガで休んでいるけど、いつもはあそこで走り回っているからね」

「頼んでもいいのか?」

 目を丸くする輝に、メルヴィンは、またも嬉しそうに頷いた。

「じゃあ、これから練習場に行こうか」

 輝は、メルヴィンについて練習場に行った。

 一方、この学校に弓道部がないことを知っている朝美は、日本から持ってきた弓矢や道着を置いてきていた。かわりに、友子と一緒に料理研究会に入ることにした。町子は、また、どこにも入ることなく、一人で屋敷に帰った。

 サッカーの練習をひとしきり終えた輝は、メルヴィンに感謝をして、また明日会うことを約束し、家路についた。途中、屋敷に帰る一本道で先を歩く友子と朝美が見えたので、合流して三人で歩いて帰った。

 屋敷に着くと、また天使と悪魔がにらみ合いながらお茶をしていた。あれで本当に楽しいのだろうか。そして、お茶は誰が淹れているのだろうか。確認してみると、暇を持て余した輝の母・芳江がお菓子を作ってお茶まで出していた。芳江や天使悪魔の話によると、町子は帰ってから何も言わずにまっすぐ自分の部屋に行ってしまったという。そう言えば、マルスの姿も見えない。アースとフォーラもまだ帰ってきていなかった。いったい何があったのだろうか。

 次の日になると、サッカーチームにメルヴィンが復帰していた。昨日より、より本格的になってきた練習に、輝の体は自然となじんでいった。戻す者として覚醒して以来、環境や状況への適応能力が格段に上がっていた。少しのブランクも感じさせない輝の体力に、チームのメンバーは喜びの声を上げた。メルヴィンは、自分が紹介した輝がこのように歓迎されて誇らしいと喜んでいた。

 町子は、相変わらず何も言わず、友達も作らずに孤独に過ごしていた。学校に来るときもひとり、そして、帰るときも一人。誰とも話さずに毎日を終えていた。

 そして、町子の中で何かが起きたのは、学校に輝たちが行き始めて二週間たったある日のことだった。

 授業が終わった後、町子が、輝を校舎の裏手まで呼び出した。一人だけで来いと言われたので、メルヴィンや友子たちには知らせていなかった。

 校舎の裏手に着くと、そこには本当に町子がいた。しかも、一人きりだった。こんな状態の町子と二人きりになることは初めてで、輝は背中に何かぞわりとしたものを感じた。悪寒とも違う、怯えのようなものだ。

「町子、お前一体どうしたんだ? 最近おかしいのはなぜなんだよ?」

 輝が話しかけると、町子は少し寂しそうな顔をした。そして、つぶやくような細い声で、こう返してきた。

「輝、私のこと、好き?」

 その言葉に、輝は息をのんだ。

 町子は本当にどうしてしまったのだろう。彼女のあの性格なら、こんなところで、こんなことは言わないはずだ。何かがおかしい。そういえば、先程から何かが漏れているようなにおいがする。ガスではない。しかも、町子の体の中からそれは匂ってきていた。

「町子、これはなんだ?」

 輝の問いに、町子は何も答えなかった。ただ、悲しい瞳のまま地面を見つめるだけだった。

「輝、私のこと、好き?」

 町子は、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 これは明らかにおかしい。壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す町子。少し、刺激を与えてみれば、町子を狂わせているものの正体が分かるはずだ。

 輝は、そう思って町子の肩に手を当てて、こう言い放った。

「分からないと言ったはずだ。君こそ、どうなんだよ」

 すると、町子は歯を食いしばって、怒りに燃えた目で輝を見た。そして、輝の手を振り払うと、勢いよく後ろに跳んだ。

「輝、そんなんじゃ私を救えないよ」

 そう言って、町子はにやりと笑った。そして、ものすごいスピードでそこから立ち去り、どこかへ消えて行ってしまった。

「町子を、救う? どういうことだ?」

 町子の中にもう一つ、町子自身を操る何かがいる、というわけではなかった。もし、そうなら、戻す者である輝の能力はそれを引き当てることができるからだ。あれはいったい何だったのだろう。そして、町子はいったい何がしたかったのだろうか。

 その答えが出た時、輝は頭の中がスッキリとした。それと同時に、一刻を争う事態になっていることを知った。これは危ない。

 町子は、輝が助けてくれない以上、他に助けてくれる人間のところへ向かうはずだ。しかし、その人物は居場所が分からない。だったら、多少痛い思いをしても、呼べばいい。

 町子が心を寄せる相手、輝以外でそれが可能な人物はおそらく、医師であるアースとフォーラ。そして、彼らを呼ぶには、自分の身を危険にさらせばいい。

 輝は、フットボール・クラブをそっちのけで町子を追った。あの速さだ。どこへ行ったのか全く分からない。しかし、彼女はその性質上屋敷には向かうはずだ。

 輝はまず、学校中を探した。友子たちのところにはいない。図書室にも教室にも実験室にも、どこにもいなかった。やはり学校の中を探しても無駄だ。屋敷に帰るしかない。

 その輝の様子を見ていたメルヴィンは、輝の行動を不審に思いつつも、輝を追った。なにがあったのだろう。あんなに好きなサッカーを放り出してまで追うものとは何なのだろう。

 輝が屋敷に着くと、町子はまだ帰っていなかった。相変わらず天使と悪魔がにらみ合いながらお茶をしていた。アースとフォーラは帰ってきていた。天使と悪魔に混ざってフォーラがお茶をしていたし、アースはマルスと何かを話し合っていたからだ。

 二人が帰っている以上、町子は必ずこの場所に来るはずだ。そう思って、輝はロビーでお茶をしている人間たちに話しかけた。

 その時だった。

 屋敷の外で、何かがぶつかったような、大きな音がした。

 皆がびっくりして外に出ると、屋敷の生け垣に車が突っ込み、その車の前方に、誰かが転がっていた。真っ先に出たカリーヌが青ざめた顔をして、屋敷に入っていった。すれ違いにアースが出てきたので、その後をついていく。後から出てきた芳江が悲鳴を上げた。

「町子ちゃん!」

 車にひかれて倒れていたのは、町子だった。

 皆、何があったのか全く分からなかった。轢いてしまった車の運転手も出てきていたが、訳が分からない様子だった。

 倒れている町子の様子を見て、アースが言った。

「まだ助かる。屋敷に入れるぞ」

 この地域には病院がない。だから、アースは屋敷の中の、町子の部屋を使って、そこで、町子を助けるのだ。三人がかりで町子を部屋の中に入れると、アースは扉にカギをかけて締め切った。カリーヌとフォーラだけが部屋の中に残され、あとの人間はただ祈りをささげることしかできなかった。扉の前で待っていても仕方がないので、皆はいったんロビーにまで下がることにした。ここなら、部屋の様子を注視しながら皆で待つことができる。

「町子が自殺なんて、そんなことないよね?」

 一連の騒ぎで寝ているところを起こされたテンが、皆のところに寄ってきた。

「普通の人間の自殺は喜ばしいけど、見るものの自殺は御免こうむるわ」

 アイリーンが真剣な顔で腕組みをした。だれもが、扉の中の状況を知りたいのに、知ることができなかった。これ以上もどかしいことはない。

 全員が、黙ったまま時を過ごした。マルスは何かを考えこんでいるし、クローディアとアイリーンは腕組みをして目を閉じている。輝は、テンを膝の上に乗せて不安な気持ちを抑え込んでいた。

 あの時、町子に一言「好きだ」と言っていたら、彼女はこんなことにならなかったのだろうか。輝は選択を間違ったのだろうか。

 午後の陽は長く、時計が午後四時を回っても屋敷の中に差し込む日差しは強かった。

 四時半の鐘がなると、ようやく、フォーラだけが部屋から出てきて輝を呼んだ。輝はテンを置いて町子の部屋に行き、中に入った。

 部屋の奥に置かれたベッドの上には町子が眠っていた。点滴の針が左腕に刺さっている。助かったのか。

 傍らにいたアースが、自分の座っていた椅子を輝に譲り、立ち上がった。

「輝、気付いているか」

 輝は、アースが見せてくれた町子の体の傷を見た。包帯の量は少ない。ただ、右手がひどく傷ついていた。

「町子のけがは俺が見る。そこは心配しなくていい。問題は、町子を本当に救えるのが誰なのかだ」

「おじさんや、フォーラさんではないんですか?」

 アースは、首を振った。

「輝、この原因は、惑星間渡航者が残していった、余韻だ」

「余韻?」

 アースは、頷いた。横で、カリーヌが目を伏せる。

「ドロシーは、町子との言い争いの後に、自分でも知らないうちに惑星間渡航者としての能力の一部を町子に植え付けていった。それが、もう一人の自分との出会いだった」

「もう一人の自分?」

「ああ。町子は、今でもそのもう一人の自分と戦っている。夢の中でも」

 ああ、それで今の今まで、誰一人として何も感じることができなかったのか。誰にもわかってもらえずに、それが何なのかもわからずに、ただ苛立ちを募らせるだけの日々。

 町子は相当つらかったはずだ。

「町子を、助けられますか?」

町子を、助けたい。その思いに偽りはなかった。そして、町子が目覚めたら言ってやりたい言葉もあった。輝のその気持ちを受け取ったのか、アースは少し、笑ってくれた。

「輝、お前ならできる。行ってくれるか?」

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